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                           かけはし2007.7.30号

核惨事が起きる前に脱原発へ

国の責任で被災者支援の大幅拡大を
地震と原発は共存できない! 核エネルギーからの脱却へ

高齢者に集中した被害


 七月十六日、午前十時十三分頃、新潟県柏崎市沖約二キロの深さ十七キロの大陸側プレートを震源としたマグニチュード6・8の強い地震が起こり、柏崎市と長岡市、長野県飯綱町で震度6強を記録した。「中越沖地震」と名づけられたこの地震で十一人(一人を除いて七十歳以上の高齢者)が死亡し、負傷者は新潟、長野、富山で千人を大きく超えた。千棟近くの家屋が全壊し、避難した人びとは一万人以上となった。地震後の調査では、柏崎市内で「危険」と認定された家屋が市街地の二割を占めている。
 JR信越線の青海川駅裏の山が崩れてホームと線路が埋まり、柏崎駅などで列車が脱線するなど交通網は寸断され、水、ガス、電気などのライフラインも止まった。柏崎市内の自動車部品メーカーで自動車エンジンのピストンリング生産のシェア五割を占めるリケン工場が被災し、操業ストップしたため、トヨタ、日産、ホンダなど国内自動車メーカーのすべてが操業停止せざるをえなくなった。
 全国から被災者に救援物資、義援金が寄せられ、ボランティアも駆けつけて炊き出しや復旧作業が進められているが、住宅再建には重大な負担が被災者に強制される。阪神・淡路大震災後に制定された被災者生活再建支援法では、年収八百万円以下の世帯には、家が全壊した場合には生活必需品などの購入用に最高百万円が支給され、住宅再建には大規模半壊の世帯をふくめて最高二百万円が支援されるが、その使い道は解体・整地費用に限定され、住宅再建に使うことはできない。国の責任において、無償の生活支援・住宅建設、あるいは住宅再建をふくむ支援費用の大幅な増額が不可欠である。

続発する「想定外」の事態

 国内で最大級の東京電力柏崎刈羽原発でも重大な事態が引き起こされた。3号機建屋脇の変圧器では火災が起こり、黒煙をあげて二時間にわたって燃え続けた。地震による地盤沈下のために変圧器内の電気を流す銅帯が周辺の金属と接触して発生した可能性がある、とされている。他の原子炉5機の変圧器でも油漏れや土台のズレなどの損傷が相次いでいた。
 6号機では使用済み核燃料プールの水があふれ、放射性物質をふくむ水が施設内の排水溝を通じて海に流れ込んだ。その後の東電の発表では、6号機だけではなく1〜7号機すべての使用済み核燃料プールの水もあふれていたことが明らかになった。
 7号機では、主排気筒から放射性ヨウ素、クロム51、コバルト60という放射性物質が大気中に放出されたことも報告された。放射性物質の放出は十八日まで続いた。低レベル放射性廃棄物が入ったドラム缶数百本も倒れ、数十本のフタが外れていた。機器の故障や破損は五十件以上に及んでいる。
 経産省の原子力安全・保安院は、今回の地震で1号機の地下5階に設置された地震計で東西方向に680ガルの揺れを観測し、それは原子炉など重要機器の設計で想定する273ガルを大きく上回ったとしている。
 原子力安全・保安院や東電によれば、すべてが「想定外」である。今回の中越沖地震を起こした海底の断層は柏崎刈羽原発のある海岸直下にまで及んでおり、設計時に想定していた「マグニチュード6・5」程度という「耐震評価」そのものに根拠がなかったのである。今年三月二十五日に発生した能登半島地震でも北陸電力志賀原発1号機て、使用済み核燃料プールから放射性物質を含んだ水45リットルが原子炉建屋内の床に飛散した。この地震も志賀原発に近い(17キロ)震源地でマグニチュード6・9を記録している。それは志賀原発直下にマグニチュード6・5を超える地震の震源断層は存在しないという設計時の想定に根拠がなかったことを明確にするものだった。
 それは「地震列島」の上に作られたすべての原発が、まさに未曾有の原発惨事の勃発を確実に引き起こすものであることを突きつけている。地震の翌日十七日には、JCO臨界事故により避難と屋内退避を経験した茨城の市民団体は東海第二原発の即時停止を求める緊急申し入れを行った。中部電力浜岡原発に反対する住民団体からは「東海地震襲来に備え、浜岡原発を即刻停止することを中部電力に命令する」「全国の原発のうち、近郊に地震断層を持つプラントはすべて停止させる」などの要求が原子力安全・保安院などに対して提出されることになっている。

東電は事故隠ぺいをやめろ

 今回の中越沖地震による柏崎刈羽原発の損壊や放射能漏れは、ずさんな耐震設計とともに電力各社の「データ改ざん・隠ぺい」体質を明るみに出した。北陸電力志賀原発1号機での原子炉制御棒離脱と「臨界状態」(一九九九年)、東京電力福島第一原発3号機での制御棒離脱(一九七八年)が判明したのは今年三月になってからである。その他にもさまざまなトラブル隠しが、多くの原発で相次いで判明した。
 今回もまた、事故報告を遅らせ、情報を小出しにしてできるかぎり隠蔽しようとする東電の体質はそのままである。柏崎刈羽原発の放射能漏れは、国際的にも大きな注目を集め、IAEA(国際原子力機関)のエルバラダイ事務局長は地震による原発被害の情報を共有する目的で、調査団を派遣する用意があると表明した(7月18日)。しかし日本政府は、「事態の収拾や調査は自力で可能」であり、「今は現場が混乱しているため調査団を受け入れる余裕がない」として調査団の受け入れ見送りをIAEAに伝えている(「朝日」7月22日)。これもまた、国際的な調査をできるだけ回避したいという隠蔽の意図から発している。「事態の収拾・調査は自力で可能」と言いながら「現場が混乱しているので受け入れの余裕がない」というのは、矛盾に満ちた言い訳でしかない(追記:7月23日になって塩崎官房長官はIAEAの調査団を受け入れると発表した)。
 柏崎市長は東電に対して原発施設の使用停止命令を言い渡した。この使用停止命令は当然である。しかし、それで根本的な問題は解決されるわけではない。柏崎刈羽原発反対地元三団体と原発問題を考える柏崎刈羽地域連絡センター、原発問題を考える西山刈羽住民の会、プルサーマルを考える柏崎刈羽市民ネットワークが呼びかけている七月二十一日付の声明では「耐震強度を偽造していたマンションが壊されているのに、もっと、被害が甚大な原発が今のままでよいのでしょうか?」「地震対策の前提となる基準を設け審査した、政府は間違っていたのですから、柏崎刈羽原発の設置許可を取り消すのが当然」と求めている(別掲)。われわれはこの声明を支持し、同時に少なくとも地震断層の近くに位置するすべての原発の停止を要求する。

電力危機キャンペーンの嘘

 柏崎刈羽原発の運転再開が、当面メドが立たない状況の中で、夏のピーク時を控えた「電力危機キャンペーン」が再びメディアで盛んになっている。「日本の電力供給の三〇%は原発に依拠している」「地球温暖化の防止のためにも原発建設は不可避」だという宣伝だ。
 思い起こしてみよう。二〇〇三年四月十五日、前年の事故隠し、データ隠しにより、東電はすべての原発の運転を停止することとなった。この時、小泉内閣と東電は夏のピーク時に向けて「関東大停電」に陥るという危機アジりのキャンペーンを行った。このキャンペーンに対して、故同志高島義一は「原発なしでも停電にはならない―脱原発はいますぐ可能だ」(本紙03年4月28日号)をはじめとする論陣をはり、過大な電力需要をもたらす大企業が主導する、過労死と不安定雇用の上に成り立つ超長時間労働体制の根本的是正と脱原発を結びつけて闘う必要性を強調した。
 東京電力と政府は、夏に向けて、ひび割れ事故の点検などを行わないままに柏崎刈羽4・6・7号機と福島第一6号機の四機の運転再開を強行した。しかしそれでも運転に無理やり持ち込んだのは東電の十七機の原発のうちこの四機だけであり、残りの十三機は止まったままだった。「電力危機」は起こったか? まったく起こらなかった。『エコノミスト』は「今回の原発停止は、皮肉にも東電が主張する『八〜十基』もの原発が再稼働しなくても、大停電とはならない現実を対外的に証明することになりそうだ」と書かざるをえなかった(同誌03年7月8日号)。
 高島は、この事態を受けて「破綻した電力危機キャンペーン 原発の不要性は実証された!」と訴え、このキャンペーンが「人為的に作られた過大需要」に基づくものであることを指摘した。そして「東北で連続して発生した大地震は、阪神淡路大震災以来、日本列島が大地震活動期に入っていることを改めて示した。マグニチュード8クラスの東海大地震、中南海大地震が日程にのぼり、巨大地震がヒビ割れた原発を直撃し、人類未曾有の原発大震災が発生する可能性がますます高まっていることを、多くの地震学者が切迫感を込めて警告している」と述べた(本紙03年8月11日号)。
 われわれはこの警告をあらためて噛みしめ、脱原発社会の即時の実現に向けて闘うことを訴える。(平井純一)

b全国では7月17日に反原子力茨城行動が、7月20日に脱原発福島ネットワークが、7月23日は大阪でグリーンアクションと美浜・大浜・高浜原発に反対する大阪の会が、同23日には島根原発増設反対運動が、それぞれ各電力会社や自治体に申し入れ行動を行った。


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