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                            かけはし2007.6.11号

「集団的自衛権」行使許すな

緊急院内集会を開催
「集団的自衛権」は侵略の引き金だ
「有識者懇談会」での容認に反対!


 五月二十八日午後一時半から衆院第2議員会館で「緊急院内集会 集団的自衛権行使は憲法違反です」が開催された。呼びかけは平和を実現するキリスト者ネット(キリスト者平和ネット)、平和をつくり出す宗教者平和ネット(宗教者平和ネット)、許すな!憲法改悪・市民連絡会の三団体。
 安倍政権は五月十八日に「集団的自衛権は現憲法の下では行使できない」という政府統一見解を「見直す」ための「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(有識者懇談会)の初会合を行い、秋までに従来「集団的自衛権」の行使に区分されてきた四類型について「個別的自衛権」の範疇に属するものとして解釈しなおすという、究極の解釈改憲に踏み出そうとしている。一方で改憲手続き法を成立させ、明文改憲への政治日程を加速させながら、同時にそれ以前にも米国の要請に応じて自衛隊を本格的に海外で参戦させようというのだ。この日の緊急院内集会は、こうした動きをストップさせる運動を広げるために準備された。
 主催者を代表してNCC(日本キリスト教協議会)総監事の山本俊正さんが趣旨説明を行った後、憲法研究者の小沢隆一さん(慈恵医大教員)が報告した。小沢さんは「集団的自衛権」の歴史的概念、戦後の国連の枠組みと「集団的自衛権」が平和を破壊したこと、そして自衛隊の発足にあたって「集団的自衛権」が否定された経過、そして現在、安倍政権の下でそれが見直されようとしているのはなぜかについて丁寧に解説し、安倍「改憲」政権の下での「集団的自衛権」行使容認に向かう動きを止めよう、と訴えた(小沢さんの報告は別掲)。
 つづいて社民党の福島みずほ党首、日森文尋衆院議員が連帯のあいさつを行った後、日本消費者連盟の富山洋子さん、新しい反安保実の国富建治さん、許すな!憲法改悪・市民連絡会の土井登美江さん、宗教者平和ネットの木津上人などがそれぞれが取り組んでいる闘いについて報告した。なお主催三団体が呼びかけた「東アジアの軍事的緊張を拡大する集団的自衛権の行使に反対する」は、この日までに百四十七団体の賛同が寄せられている。今後この賛同をさらに拡大することも確認された。 (K)

小沢隆一さんの報告から
「九条を守れ」と集団的自衛権合憲化阻止は一体


集団的安全保障
と集団的自衛権

 一九八一年の政府統一見解は「集団的自衛権」について次のように規定している。すなわち「自国と密接な関係にある国が第三国によって攻撃された時、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、その第三国を攻撃する権利」である、と。それは軍事同盟の中でなされてきたことであり、軍事同盟とは「集団的自衛権」によって結ばれた国家間の関係である。第一次大戦も第二次大戦もこの軍事同盟=集団的自衛権の発動によって闘われた。
 第二次大戦後、国連は二つの大戦の悲劇の上に軍事同盟によらない安全保障の枠組みとして集団的安全保障を構想した。つまり戦後世界は、もはや集団的自衛権の時代ではないとして始まったのだ。しかし国連憲章の中に、国家固有の権利として個別的自衛権と並んで集団的自衛権も挿入されるという限界も含まれていた。これはもともと中南米諸国の要求に基づくものだったが、アメリカはそれを利用して全世界に拡大した。しかしそれでも「集団的自衛権」はあくまで国連の集団的安全保障が機能するまで、という限定付きだった。

政府統一見解は
どう作られたか

 集団的自衛権の危うさは、ベトナム戦争、ソ連の東欧への介入やアフガニスタン侵攻、アメリカのニカラグアへの介入によって示されている。この集団的自衛権は大国が小国を自分の意向に従わせる道具として使われることになった。集団的自衛権で恩恵をこうむるのは大国だけであり、封印しなければならないものだ。
 国連憲章五十一条に規定されている集団的自衛権について、権利はあるが使えないというのはおかしいという議論がある。しかし、国際法上持っている権利を国内法によって使えないようにすることは、なんら不思議なことではない。
 ここでどのようにして現在の政府統一見解が振り返ってみたい。それは一九五四年に自衛隊ができたときにさかのぼる。それまで政府は自衛のためでも戦力は持てないという解釈をしていたが、自衛隊発足にあたって個別的自衛権の範囲で必要最小限の実力を持つことは合憲だと主張することになった。それと合わせて他国を守るためにそれを使用すること、すなわち集団的自衛権は違憲だとした。
 一九五九〜六〇年の安保国会でこの見解が定着する。自衛隊が在日米軍基地を守ることは集団的自衛権の行使にあたるのではないか、という野党の質問に対して、政府は在日米軍基地防衛は領土・領海内だから個別的自衛権の範囲だと答えた。もともと岸首相は、米軍基地の提供も集団的自衛権だと述べていたが、途中からそう言わなくなり、基地の提供も防衛も個別的自衛権の範囲という見解に統一することになった。いま、有識者懇談会のメンバーになった佐瀬昌盛は、岸の最初に言ったことが正しいと語り、「自己欺瞞はやめよう」などと語っている。なぜ岸は自己の見解を変えたのか。それは国民の戦争体験に基づく批判のためだった。

米政府と財界
の強力な圧力

 政府統一見解は一面では、自衛隊の増強や安保体制の強化を「個別的自衛権」の名で正当化する弁明に使われた。それは統一見解の負の側面である。しかし、それは政府の政策への歯止め、限界となってきたことも事実であり、その両面を見据える必要がある。例えば一九九二年にPKO法が出来た時に、自衛隊は武力行使するのではなく「武器を使用」するだけだという言い訳がされ、当初はPKO「本体業務参加」は凍結された。一九九九年の周辺事態法でも「米軍の活動とは一体化しない」とされ、自衛隊が攻撃されたら退避するという説明がされた。歯止めの機能を果たしたのは国民の声だった。
 それではいま集団的自衛権の行使は違憲という立場を変更することを誰が求めているのか。第一は言うまでもなく米国である。二〇〇〇年と二〇〇七年の二つのアーミテージ報告は、米軍にもっと積極的に協力しろ、と政府に圧力をかけている。第二は財界だ。財界は憲法九条と九十六条を変えろ、と主張し、武器輸出三原則の撤廃も求めている。このような形で自衛隊の海外派兵の自由化、MDシステムの整備などを進めている。亡くなった自民党防衛族の一人だった箕輪登氏は、「自衛隊はあくまで自国防衛に任務を限定すべきだ」と主張して、こうした動きに強く反対していた。

結論を出すのは
容易ではない

 それでは今後の展望はどうか。今回の首相の私的諮問機関が容易に結論を出せるとは思わない。それは内閣法制局の立場、自民党内の派閥状況や公明党の批判もあり、四十年から五十年にわたる積み重ねをチャラにするのは困難と感じるからだ。
 昨年安倍政権の発足直後に石破茂を座長とする集団的自衛権についての研究会ができたが、これがどうなったかさっぱり分からない。自民党内でも報告書を出せない状況だ。石破ができないことを私的諮問機関ができるのだろうか。
 私たちは「九条を守れ」という声を拡大することと、「集団的自衛権」行使の合憲化を阻止する闘いを一体のものとして作り上げる必要がある。(報告要旨・文責編集部)


大江・岩波裁判第9回口頭弁論
「広義の命令」は直接隊長命令ではないと原告主張

 
 【大阪】五月二十五日に、「大江・岩波沖縄戦裁判第九回口頭弁論」が大阪地裁大法廷で行われたが、前日の夜、シンポジウム「沖縄戦集団死の書き換えを許さない――教科書と大江・岩波裁判」が行われた。
 シンポジウムでは、最初に秋山幹男さん(沖縄戦裁判主任弁護人)が「沖縄戦裁判で明らかになったこと」と題して、第九回口頭弁論で述べる内容を報告した(後述)。そして小牧薫さん(沖縄戦裁判支援連絡会事務局長・大阪歴史教育者協議会委員長)、大塚茂樹さん(岩波現代文庫編集長)、津田則光さん(沖縄国際大学教員)がパネラーになり、服部良一さん(沖縄戦裁判支援連絡会世話人)のコーディネートで行われた。

文科省検定は
首相官邸主導

 二〇〇八年度から使用する高校用教科書の検定において、沖縄戦における「集団自決」は「日本軍による強制または命令によるとは断定できない」との検定意見により日本軍による命令・強制・誘導が記述から削除された。文科省はその根拠として、日本軍による命令を否定する学説が出てきていることや、自決を命じたとされる元軍人らが起こした裁判をあげている。
 しかし新しい学説など全くなく、ただ単に元座間味島の隊長だった梅澤らが「隊長命令はなかった」として裁判を起こしたことを文科省が利用したに過ぎない。教科書の書き換えを目的にしてこの裁判を起こした黒幕の歴史修正主義者たち(自由主義史観グループやつくる会・日本会議系)の動きが政府と直結する動きであったことが明らかになったというわけである。
 小牧さんは詳しい資料を準備し、八〇年代初めからの検定の流れ、歴代大臣の教科書検定に関わる答弁を紹介し、八一年の検定で沖縄戦の虐殺記述が削除されたが、沖縄県民の抗議により、八三年に復活した事実を紹介。当時の朝日新聞の記事では、沖縄県議会の「即時訂正」要求に対して当時の小川文相は次の改訂検定の機会に沖縄県民の意に配慮したい」と述べている。小牧さんは、今回もまた運動の力で検定調査審議会に認めさせることが大事であることを力説した。
 大塚さんは、証拠はまだ出ていないが、官邸からの圧力があったことが推測されると述べ、安倍政権の新保守主義的な性格について話をした。安倍は九三年に衆議院議員に初当選するが、この年に結成された「終戦五十周年国会議員連盟」の事務局次長になっている。同じ顔ぶれで九六年結成の「明るい日本国会議員連盟」を受け継いで「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」がうまれ、会長は中川昭一、事務局長が安倍であった。大塚さんは、「安倍は初めから右翼の流れの本流に身を置いており、首相になってからもぶれていない」と語った。

沖縄で広がる
削除撤回の声

津田さんは、今回の検定で彼らは沖縄を甘く見ていたと言った。いま沖縄の市町村議会は、検定による削除の撤回を要求する意見書を次々採択している。今まで黙っていた体験者が証言を寄せてきている。捕虜になれば助かると思っていても、沖縄戦では、軍の根底に県民総スパイ視があって、壕の中などでも後ろに日本軍がいたから、住民が捕虜になるかならないかの選択は非常に厳しかった。彼ら(右翼)は、「集団自決に追いやられた」という表現すら認めていない。では何故集団自決が起きたのか?彼らに言わせれば、サイパンの影響だとか、沖縄人は元々捕虜にならないという意識があったということになる。そのようなわけでガマンできないことが多い、と津田さんは言う。
 パネラーの発言の後、会場からの意見で、軍命とはなにかの論議があった。沖縄の安仁屋さんは、「合囲地境では民政はなく、軍の指揮官が全権を握る、すべては軍命だ。八三年検定で文部省は集団自決を書けと言った。これに対して家永さんは、住民の死は自発的な死ではないから自決と言う言葉は不適当だと主張した。〇七年の今度は軍命はなかったという。結局彼らは以前と同じで、住民は自発的に死んだのだということにさせようとしている」と意見を述べた。
 松田さん(沖縄高教組)、山口さん(沖縄戦の歴史歪曲を許さず、沖縄から平和教育をすすめる会)から、六月九日県民大会が超党派で準備されているとの報告があった。大塚さんからは、「本当に問われているのは、岩波の名誉ではなく、沖縄戦の真実をゆがめるのを許すかどうかだ。9条を守るのは大切だが、それにとどまるのではなく、天皇の戦争犯罪を免責することとのバーターでの9条、沖縄を要塞化することで9条が成立したことをもっと考えるべきだ」との発言があった。津田さんは「隊長命令は軍命の一つ、彼らの隊長命令を掘り下げれば矛盾が見えてくる」と語った。小牧さんは、「彼らは裁判に負けても教科書書き換えさせれば半分以上勝ったも同然。そうさせないためにもガンバロー」と述べた。

フェアーではない
原告側の訴訟戦術

第九回口頭弁論では、秋山弁護人が被告側の主張を整理した準備書面(10)を陳述した。
 沖縄戦は「軍官民共生共死の一体化」の方針の下の軍官民一体の総動員作戦だった。慶良間諸島に駐留した日本軍も、住宅の提供、陣地の構築、物資の運搬、食料の供出、生産・炊事その他の雑役にかり出し、村民の住居に兵士を同居させ、住民の一部を防衛隊に編入し、村の行政組織を軍の指揮下に組み入れ、全権を握り、これらの軍への協力を村長・助役・兵事主任、防衛隊長などを通じて命令していた。そして、慶良間諸島で沖縄住民が捕虜となり再び戻ってきたとき処刑された。梅澤隊長・赤松隊長はこれらの島での最高指揮官だった。日本軍の指示・命令はすべて隊長の命令であった。あらたに、阿嘉国民学校慶留間分教場の校庭で戦隊長野田少佐が玉砕を命じた訓示を直接聞いたという証言がよせられている。概略はこのような内容であった。
 続いて、原告側が準備書面を読み上げた。この準備書面は裁判の前日に届けられたもので、しかも一週間前に届けられた被告側の準備書面をみてそれに対する反論を内容とする準備書面だった。「直接隊長命令」なる造語をつくり、手榴弾を渡したとか、共生共死の一体化とか、広義の命令などは直接隊長命令ではないと言うことを述べたものである。「潮だまりの魚たち」の中の宮里育江の証言や梅澤の手記にふれ、時間を超過して続けようとするので、やり方があまりにもフェアーではないと秋山弁護士が制止し、裁判長もそれを認めた。原告が準備書面を直前に提出するというやり方は彼らの常套手段で、今回に始まっものではなかった。

いよいよ次回
から証人尋問

 口頭弁論は終わり、次回七月二十七日には、皆本義博、知念朝睦(この人たちは中隊長と副官)、宮城晴美の三人の証人尋問が行われることが決まった。
裁判が終わった後の支援連絡会の簡単なミーティングで、口頭弁論の始まる前に、沖縄の議会決議を添付して公正裁判を求める要請書を提出し、教科書の記述削除について沖縄では非常に関心が高く、新たに証言する人も出てきていると、沖縄の状況を裁判所に伝えたとの報告があった。また、「大江・岩波裁判を支援し沖縄戦の真実を広める首都圏の会」が六月六日に結成されるとの報告があった。(T・T)


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