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フランス大統領選第1回投票結果を受けて         かけはし2007.5.14号

サルコシ゜打倒へ社会運動勢力の結集を


解 説
左翼の路線的分裂とブザンスノーの善戦

 フランス大統領選挙第一回投票が四月二十二日に行われ、右派主流のサルコジ候補と社会党のロワイヤル候補が第一位、第二位の得票率を得て、五月六日の決選投票に進むことになった。
 右派サルコジが第一位を獲得し、極右、国民戦線のルペンが前回大統領選挙よりも後退したことは、右派主流のサルコジが移民排斥など極右派の綱領を事実上取り入れたことよるものである。
 新自由主義路線を体現した欧州憲法条約に反対して国民投票でノン(反対)を呼びかける運動から生まれた社会党の左に位置する左派統一候補を擁立する運動(統一コレクティブ)は、今回の大統領選挙では統一候補を擁立できなかった。新自由主義路線を容認する社会党との政府問題をめぐる関係をこれら左派勢力が政治的に明確にすることができなかった結果である。言い換えれば、ジョスパン左翼多元主義政権の破産の二の舞を繰り返さないために、政府問題(社会党主導の連立政権への参加問題)について、社会党との妥協を拒否すべきだとするLCRの一貫した主張が、現時点ではコレクティブ全体の支持を得ることができなかったためである。
 共産党ならびにコレクティブの全国指導部の多くは、この社会党との関係について政治的明確化を一貫して回避し続けた。共産党は、それだけでなく、自党候補ビュフェをコレクティフの統一候補にするという形式的決定を強行しようとして強引でセクト主義的方法を取った。
 社会党を除く左翼の中で、LCRのブザンスノー候補は、相対的に善戦したということできる。凋落傾向にある共産党は、コレクティブ内でのセクト主義的対応によって、一%台にまで落ち込んでしまった。
 フランス大統領選挙については、本紙は系統的に報じてきた(別掲)。大統領選挙のより全面的な総括については、第二回投票の結果を受けて、あらためて報告する予定である――編集部

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仏大統領選の最終結果(第1回投票)

b投票総数  3726万0798 83.78%(有権者比)
b有効投票  3672万4845 98.56%(投票総数比)

1 サルコジ(国民運動連合)  1145万0302 31.18%
2 ロワイヤル(社会党)      950万1295 25.87%
3 バイル(仏民主連合)     682万0914 18.57%
4 ルペン(国民戦線)       383万5029 10.44%
5 ブザンスノー(LCR)   149万8835 4.08%
6 ドビリエ(フランスのための運動)81万8704 2.23%
7 ビュフェ(共産党)       70万7327 1.93%
8 ボワネ(緑の党)        57万6758 1.57%
9 ラギエ(労働者の闘争)      48万8119 1.33%
10 ボベ(ボベ・キャンペーン委員会)48万3076 1.32%
11 ニウ(狩猟・釣り・自然・伝統) 42万0775 1.15%
12 シバルディ(ランベール派)   12万3711 0.34%



オリビエ・ブザンスノー(LCR大統領候補)の声明
右派も左派も大企業に利益をもたらす新自由主義を容認

 約百五十万人の有権者の票が大統領候補である私のもとに寄せられた。これは、前回の二〇〇二年大統領選挙よりも二十八万票だけ増えたことになる。選挙戦では、「有効投票を」という圧力がかけられ、最終段階の数週間では、この有効投票をというスローガンがセゴレーヌ・ロワイヤル(社会党)陣営の選挙キャンペーンのたったひとつの綱領としての役割を果たした。このような圧力にもかかわらず、四・一%以上の有権者が私に投票してくれた。これは、明日の闘いのためのかけがえのない励ましである。私に票を投じてくれた人々に感謝する。
 今回の大統領選挙戦では、われわれはともに力を合わせることによって、われわれのこの選挙結果以上に、人々の社会的期待に応えることに成功した。雇用の権利、購買力の引き上げや居住権……、千五百ユーロの手取り最低賃金、すべての人の所得を三百ユーロの一律引き上げ、空家の収用、解雇の禁止、差別に反対する闘いなど要求を掲げ、社会と労働界に今日横たわる問題が多ければ多いほど、それと同じく、われわれの道について訴え、われわれの勢力が重要になる来るべき大衆動員も多くなるだろう。
 ニコラ・サルコジは、第一回投票で社会党のセゴレーヌ・ロワイヤルをリードしトップに立ち、第二回投票に進む資格を得た。右派は、過去五年間、われわれの社会的既得権を組織的に解体する政策を展開して来たのであり、サルコジは今後もMEDEF(フランス経団連)のショック療法をフランス社会に押し付けることを望んでいる。言い換えれば、よりいっそうの不平等とよりいっそうの不正義が到来し、よりいっそう自由がなくなるのだ。極右派のルペン(国民戦線)が第二回投票からは排除された。これはすばらしい知らせだ。だが、サルコジはきわめて反動的なキャンペーンを展開している。この人物(サルコジ)とその綱領は、国民戦線の政策を自分のもとに取り込んでいるのであるから、われわれの当面の主要な危険となっている。
 いかなる候補者も票を所有することができないのであって、各人が(第2回投票の日である)五月六日に自由に自らの票を投じることができることは明白である。だが、この五年間、LCRはシラク大統領とその政権下の歴代首相に対して街頭と選挙で闘ってきた。まさにこの意味において、私は、大統領選挙の選挙戦の中で擁護してきた社会の緊急政策を求め、サルコジの反社会的計画に反対するために、フランスのすべての町で五月一日のメーデーにデモ行進するよう呼びかけているのである。
 思い上がったこの右派に対して、第二回投票は、サルコジの政策に抵抗したいと望むすべての人々にとって反サルコジの国民投票の様相を呈することになる。五月六日には、われわれはニコラ・サルコジが共和国大統領に就任するのを阻止したいと望んでいるすべての人々の陣営に加わる。それは、セゴレーヌ・ロワイヤルを支持することではなくて、ニコラ・サルコジに反対票を投じることなのである。
 この手強い右派に対して、社会党とその候補者(ロワイヤル)は、実際には対抗し得ていない。私は、この選挙戦を通じて一貫して、富の再分配を提案してきた。私が指摘しているように、富の再分配という政策は、新自由主義を受け入れ、大企業の利益を賞賛する右翼と同じ土俵に立っている社会党の計画とはなっていない。同じく、愛国主義と民族主義の領域でも、愛国主義と民族主義の土壌の上に立って右派と競い合おうと努めている。LCRが社会党のセゴレーヌ・ロワイヤルを支持する立場に立たないのは、このためである。
 われわれは、われわれの提案を支持してくれた人々に、社会の大衆動員の中でわれわれの提案を擁護することができる勢力をわれわれがみんないっしょに力を合わせて作り出すことができるよう、勢力の再結集を訴える。五月六日の投票からどのような大統領が生まれようと、新自由主義の政策に反対し続けなければならないし、LCRは来るべき闘いにおいて可能な最大限広範な統一を実現するために闘い続けるであろう。もし不幸にしてサルコジが五月六日に勝利することになったとしても、そうであるし、セゴレーヌ・ロワイヤルが、大統領に選ばれた場合にもまた同じである。ロワイヤルが当選した場合、彼女は、右派からの反対があるだけでなく、左派からも反対があることを知ることになるだろう。
 われわれには反資本主義の新しい勢力が必要である。CPE(初期雇用契約制度)に反対する大衆動員以後、郊外や企業の中で出現している新しい政治的世代に依拠しながら、われわれは過去五年間、闘いと抵抗を展開してきた。それを有効なものにするために、LCRは、資本主義と闘うことのできるこの勢力をともに築き上げ、もうひとつの世界が可能であるという希望を与えるよう提案する。
オリビエ・ブザンスノー
       (LCR)
二〇〇七年四月二十二日二十二時三十分

極右派の綱領を取り入れた右派仏版「ブレア化」路線の社会党

                       ダニエル・ベンサイド

 五月六日に行われた仏大統領選第二回投票で、右派・国民運動連合のサルコジが約五三%を獲得して勝利した。以下に掲載する仏LCR(革命的共産主義者同盟)のダニエル・ベンサイドの文章は第一回投票の結果を受けた革命派の立場を明らかにしたもの。第二回投票の結果についての声明などは次号に掲載する。(編集部)

共産党と急進
的左翼の後退

 大統領選挙第一回投票の翌日、朝刊紙は、二〇〇二年の第二回投票でのシラク対ルペンの争いというショッキングなエピソードを経て、右翼と左翼との間の古典的分極化への復帰を歓迎した。しかしながら、この判断は額面どおりに受け入れるわけにはいかない。確かに、ルペンは約百万人の有権者(得票率では六%以上)を失い、サルコジは三〇%の得票率で与党の地位にある右翼として第一回投票で歴史的な投票結果を達成した。しかし、サルコジのこの成功は主として、国民戦線を支持する有権者を引き寄せるための、移民とフランス人のアイデンティティというテーマを持ち出すキャンペーンの結果であり、要するに、彼の発言の「ルペン化」の結果なのである。
 セゴレーヌ・ロワイヤル陣営について言えば、彼女は、古典的な左翼的キャンペーンではなくて、一方ではナショナリズム、道徳、家族秩序をもてあそびつつ、他方で左翼に対しては社会的同情の若干の象徴的なジェスチャーを示すというすべての陣営の有権者によい顔をするキャンペーンを展開した。したがって、左翼の中の若干の有権者を別とすれば(こうした有権者の主要部分はオリビエ・ブザンスノーに投票した百五十万人の人々であった)、セゴレーヌの左翼は、主として(イギリス労働党のニューレイバー路線に向かう)「ブレア化」された左翼であった。
 他方、一八%以上の得票率を得て、バイルの中道派が調停者的な地位を築いた。セゴレーヌ・ロワイヤルが勝利した場合においてさえ、バイルとのある種の協定を結ぶことなしに、ロワイヤルが議会と政府の多数派を形成することが困難になるだろう。ある意味において、それは、死滅しつつあるあの左翼連合や多元的左翼(一九七二〜二〇〇二年)の繰返しであり、今日におけるその展望は社会民主主義と社会的な民主主義派との中道左派連合、言い換えれば、一種のフランス版(イタリアの)プロディー路線という展望である。そうは言っても、第一回投票の結果を見ると、勝負はまだ決着がついていないものの、五月六日にサルコジが当選しそうだという仮説が最もありそうである。
 急進的左翼(左翼の中の左派)は二〇〇二年には約一三・五%の得票率(アルレット・ラギエが五・七%、オリビエ・ブザンスノーが四・三%、共産党が三・五%)を獲得し、緑の党が五・五%を得た。この左翼の中の左派は、今回は合計で九%未満(ブザンスノーが四・一%、共産党のマリー・ジョルジュ・ビュフェが一・九%、ラギエが一・四%、ジョゼ・ボベが一・三%)だったので、支持を大幅に低下させることになった。緑の党は一・五%を得たにすぎなかった。したがって、この低下は、共産党と労働者の闘争派と緑の党の有権者が衰退したためである。
 オリビエ・ブザンスノーだけがその得票率で二〇〇二年に比べて同じレベルを維持し、得票数では百五十万票を獲得して前進したことをすべての人が認めている。彼は、五年前にその新鮮さゆえに彼に票を投じたが、第二回投票にルペンが進出したのを見てひどく後悔した三分の一の有権者を、彼が失ったことは確かである。他方、彼は労働者階級地域で票をしっかりと固め、第一回投票の数字では、彼は新しい青年の有権者の中で票を獲得し、若者層の間での得票はその全国平均得票率を著しく上回っている。
有権者はよりましな悪に投票した

 左翼の中の左派への票がなぜこのように低下したのか? 第一の理由は二〇〇二年の前回の大統領選挙のショックによるものである。第二回の決選投票でサルコジとルペンの争いとなることに対する恐れが、選挙戦の最後の二週間には重圧としてのしかかった。もっとも、このような不安というのは、マスコミと社会党指導部が作り上げたものであったのだが。
 第一回投票からこの不安を免れるための投票をという訴えは、選択と信念にもとづく投票の可能性を取り上げてしまうことにつながった。これは、第一回投票で、社会党候補やフランソワ・バイルの綱領やプロジェクトとは無関係に消去法の投票をすること、反対のための投票をすることに有利に働いたように思われる。投票率が一段と高かったという点からしても、このメカニズムはそれだけによりいっそう働いたのであり、これらの間歇的な形で一挙に登場した有権者の多くがよりましな悪に投票したものと推定することができる。
 この低下の第二の理由は、二〇〇五年五月二十九日の欧州憲法条約をめぐる国民投票における「反対」の勝利以降に起こった変化のためである。当時、反対票は五五%を獲得して勝利した。しかし、この多数派は、右翼の「反対」と左翼の「反対」とに分裂していた。たとえ、左翼の反対が支配的であったとしても、この二つ陣営の有権者のそれぞれの割合はいぜんとして不確定なままである。左翼の中の左派内の一部の人々(とりわけジョゼ・ボベ周辺の人々)が抱いた幻想は、今年の大統領選挙と総選挙をこの国民投票の単なる延長と想定し、急進的左翼の潜在力を結果として過大評価してしまったことであった。
 五年間の統治のためのプロジェクトをもとに共和国大統領を当選させ、議会の多数派を作り出すことは、国民投票で「賛成」か「反対」について答えることとはまったく別のことなのである。さらに、社会党内の「反対」票派(ファビウス、モントブール、メランション)は、ほどなくしてセゴレーヌ・ロワイヤルの指導権のもとに統合されてしまい、欧州憲法条約を支持してきた党多数派を支持するようになった。
 その結果、ヨーロッパ問題(今年末から再び議題にのぼることになるが)は、あたかも二〇〇五年に起こった出来事がすぐに忘れ去ることのできる口論にすぎなかったかのように、選挙戦からはほとんど姿を消してしまった。国民投票で全面的な敗北を喫した右翼にとってそれについて語ることは少しも利益にならなかったからである。
 この問題をめぐる自党の分裂を何とか収拾したが、来るべき時期に欧州問題にどう対処することになるのか自分でもおそらく分からない社会党もまた、この問題について語るのはまったく何の得にもならなかった。そのために、この問題は脇に追いやられてしまった。最後に、左翼の中の左派の陣営の候補者の分裂が、複数候補の立候補によって混乱させられた有権者に対して影響を与えたことは確かである。
 しかし、厳密な選挙上の観点からすると、ボベが言い始めていることとは反対に、このことが主要な理由でないことは確かである。明確な政治的基礎にもとづく統一候補の擁立がなされれば、確かに、候補者を決めかねている有権者を引きつける発展力学をもつであろう。しかし、経験が証明するところによれば、統一は単なる算術的足し算の問題ではないし、共産党と労働者の闘争派とLCRを支持するそれぞれの有権者のうちの一部は統一候補が実現されたとしてもその候補に一体感を持たないないだろう。だから、この選挙戦の困難な諸条件のもとで、たとえそのような統一候補が実現されたとしてもその統一候補がそれぞれの候補者の得票率を合計した八・五%という率を獲得するだろうということについて、われわれは重大な疑問を呈することができるのである。

独立性を主張
したオリビエ

 なぜオリビエ(・ブザンスノー)は「有効投票を」という魅惑的な呼びかけに最もよく抵抗した候補者になったのだろうか? 彼の選挙戦の力強い発展、個人的能力、労働者階級の世界や若者の間での非常に肯定的なイメージというレベルを超えて、その答は彼の選挙戦の根本路線に求められなければならない。彼は、諸問題に最も明確な形で注視し、真剣で十分な主張をもった綱領を練り上げ、セゴレーヌ・ロワイヤルの勝利と左翼政府の成立の可能性を含む社会党との関係で最も明確にその独立性を主張した候補者であった。
 こうして、彼は彼に投じられた百五十万票をはるかに超える共感を得たのであった。このことは、ブログ上や彼と有権者との直接の対話の中で立証された。彼のもとには、(二〇〇二年)四月二十一日(前回の大統領選第1回投票日)の再現を恐れて「有効票」を投じるために、信念にもとづく投票をしかったことについてむしろ恥じ入る調子でわびる人々から数多くのメッセージが寄せられているからである。
 票数の点からだけでは評価できない選挙戦のこの結果は、明らかに非常に重要である。なぜなら、五月六日(第2回投票日)の結果がどうであろうと、それは、将来における抵抗と闘いの種を撒くものである。したがって、われわれは次の点にも注目しなければならない。すなわち、オリビエの得票結果は、県が違っても非常に均等であり、全体として四%から五・五%の間であり、共産党のマリー・ジョルジュ・ビュフェが国会議員に選出されているセーヌ・サン・ドニを含む労働者階級と共産党の強い伝統を持つ県で最も高くなっている(ノール、パ・ドゥ・カレ、リムザン、マルト・エ・モーゼル)。したがって、その得票率は大都市(そしてとりわけパリ)のブルジョア的中心街や海外県・海外領土では(だが、マルチニックではオリビエは第四位となっているが)はるかに低く、そのために彼の平均得票率は四%を少し超えた程度にまで下がるのである。
 それではこれからどうなるのか? 今後どのような事態になるのかは、五月六日にサルコジが勝つのかセゴレーヌ・ロワイヤルが勝つのかによって明らかに異なってくるだろう。しかし、いずれの場合でも、われわれは、ブザンスノーが彼の選挙集会や(第1回投票の直後の)四月二十二日夜に発言したように、左翼の中の左派の反資本主義同盟を呼びかけ続けるだろう。サルコジが選ばれた場合、われわれには、社会党の左に立って抵抗と闘争を展開する急進的左翼が必要となるだろう。セゴレーヌ・ロワイヤルが勝利した場合、われわれにはまた、彼女の政府連合とは独立した左翼の野党勢力が必要となるだろう。そのような同盟の形態と内容はいぜんとしてわれわれの潜在的な提携相手との討論によって決められるべきものとして残されている。しかも、これらの提携相手も以上の二つの仮説のどちらになるかによって異なったものになりそうである。われわれとしては、できるだけすみやかにそうした提携相手と会合するつもりである。われわれは、来るべき数週間のうちにわれわれの路線を定め、提案を行うために、四月二十八日の全国指導部の会議で、選挙とこれらの会合の総括を導き出すことになるだろう。


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