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                            かけはし2007.4.16号

郵政から国鉄へ 勝利をつなごう

JR発足20年を検証する
何人殺したJR!抗議と追悼のスタンディング


民営化以後あい
次ぐ事故と死者

 三月二十九日、JR東日本本社前で「何人殺した!JR―私たちは許さない」JR発足20年を検証する〜追悼と抗議のスタンディングがJRに安全と人権を!市民会議(代表佐高信)、国鉄闘争共闘会議・鉄建公団訴訟原告団が主催して行われた。
 四月一日で、国鉄分割・民営化=JR発足から二十年目に当たる。JRになってから、事故が多発している。一昨年のJR西日本尼崎駅事故では、百七人の死者、重軽傷者五百五十人以上の多くの犠牲者を出した。この他、東中野、信楽高原鉄道、羽越線事故などを入れると死者は百五十六人に達している。さらに、JR労働者災害事故(下請け労働者を含む)の死者は三百人を超えている。
 このことはJRが利益優先の経営施策「稼げ・急げ・従え・隠せ」を社員に強制し、「利用者とJRに働く労働者に「安全と人権」を脅かしたからだった。
 この背景に政府・資本家による、国鉄分割・民営化による国鉄労働運動の解体のねらいがあったのだ。その結果、一〇四七人もの大量の解雇を強行するという許し難い事態を生み出した。一昨年の東京地裁の「不当労働行為」があったとする判決がありながらも、なお、政府・JRは解決の姿勢すら示していない。すでに、四十三人の闘争団員が他界している。
 そして、事故は過去のことではなく、現在も保線作業員の下請け化や点検の頻度を少なくする「手抜き」などによって頻発している。昨年一月から九月までJR東会社関係で、山手線における線路の「隆起」事故、信号機故障による「列車の遅延」事故など二十四件を数え、また同年七月二十四日から九月七日まで高崎線の踏み切りにコンクリート塊が、何者かによって置かれた妨害事件が十六件発生している。これらの事件・事故はちょっと見逃せば重大事故に直結する。これらの事件・事故に国交省は、昨年四通の「警告書」をJRに発している。

亡くなった闘争
団員の遺影掲げ

 午後五時四十五分から、鉄建公団訴訟原告団をはじめ市民会議の仲間たちが、JR東日本本社前(JR新宿駅南口)に、亡くなった闘争団員の遺影と「何人殺した!JR―私たちは許さない」を掲げて、静かな追悼と抗議を行った。大量のガードマン、私服・制服警官がうろうろして妨害の様子を示してはいたが、行動の趣旨と気迫に押されて何の手出しもできなかった。道行く人々は大きな関心を示していた。
 JRの相次ぐ事故に、JRに対する批判の空気は強い。追悼行動を行った部隊は、静かに遺影と横断幕を掲げて堂々と本社前から駅前までロウソクを灯しながら行進し駅前の宣伝隊と合流した。JR尼崎事故で犠牲になった男性と結婚の約束をしていた女性をJRが不当にも遺族として認めず、精神的に追い込んだ。その女性がJR西日本に対して、抗議の遺書を残して自殺した。その女性の遺書を読み上げ、「JRの安全と1047解雇問題の解決」を勝ち取るために、翌日の日比谷野外音楽堂集会を成功させることを誓い合った。       (M)



郵政4・28反処分闘争勝利報告
少数でも自立して闘う堂々と職場復帰実現へ

 【大阪】三月二十四日から始まった4・28勝利報告 西日本連鎖集会の最後は、四月一日アピオ大阪で開かれた。
 三木さん(郵政ユニオン近畿)の司会で始まり、「郵政クビキリ物語」の一部分が上映されたあと、加来さん(おおさかユニオンネット代表)が来賓のあいさつをした。加来さんは、「労働法制が大きく改悪される中でのこの4・28勝利判決は非常にありがたい。吉岡徳治さん(元全港湾委員長・総評副議長)は生前、この処分のことで心を砕いてきた。きっと喜んでくれるだろう」と話した。続いてあいさつに立った石田さん(大阪全労協議長)は、自らも処分され六年後に復職した経験を述べながら、「職場復帰は非常に大きい意味を持っている。復帰した後は、堂々と胸を張り郵政ユニオンの組織の拡大に努めてほしい」と激励した。来賓のあいさつの最後は箕田さん(国労熊本闘争団・大阪常駐)。「4・28処分はJRの国労組合員に対する採用差別とよく似ている。4・28処分が撤回されたのだから国労の1047人の問題も解決されなければならない」と述べ、また尼崎事故を風化させないための四月二十二日の現地集会への参加を訴えた。
続いて、被処分者である池田さん(赤羽局)、黒瀬さん(高輪局)、名古屋さん(八王子局)が勝利報告と近況報告をした。

自分たちの4・28
はまだ終わらぬ

池田さんの話は、この桜の季節にふさわしく喜びに満ちていて、今までの苦労が報われつつあるということが話の端々に感じられた。池田さんは、職場復帰が夢のようだと言った。
 復帰の初日は局長室で処分無効の辞令を渡され、何か一言ないかと局長に言ったら、局長は一瞬戸惑いながら「最高裁判決を厳正に受け止めたい」と言った。これが局長としての精一杯の返事だったのだろう。それから集配課に行ってあいさつをした。みんなが拍手をしてくれて、とても感動した。
 三日目から現場に出ている。職員だからいずれ対面配達の仕事になるが、しばらくは戸別配達をする。先生は若いゆうメートで、次からは一人で配達してくださいと言われている。二十八年前の物量と比べると現在は三倍ぐらい多い。初めてのバイクでの配達で、三回転んだりもした。外からビラ撒きしていたときは取ってくれなかった労働者も、今はビラを取ってくれる。管理職も民営化で動揺している。
 「まっさらの気持ちで、誰とも仲良くし、物だめ闘争やってるんじゃないか? と言われないようにがんばりたい。春の街を走ると気持ちがいい。仕事は本当にいいものだ。4・28争議は終わったが、自分の4・28は終わっていない。会社は全く反省していないし、JPU(元全逓)本部に電話して、どう考えているか聞いたが、コメントする立場にはない、と言われた。このような情況を変えないと自分の4・28は終わらない。これからの生きざまを注目してほしい」と池田さんは語った。
黒瀬さんは、現在は愛媛にいる。一九七四年のころ、愛媛に転勤したいなら全逓に入らない方がいいと、同じ職場の全郵政から言われたが、春闘での闘いなどを見ていて全逓に入った。4・28処分取り消しの一審が終わったとき、もう裁判は止めようと思ったが、名前だけでもいいから一緒に続けようと言われやってきた。続けてきてほんとうによかったと語った。
最後に登壇した名古屋さんは、最高裁判決が出た二月十三日以来ずうっとニコニコしている、この勝利判決はギネスブックものだと語った。それは三つの勝利である。一つは、トップが処分されずに現場が処分されるという新しい形の政治処分を葬り去ったこと。二つめは、自分らが指令しておきながら、責任を現場労働者に押しつけ、労働戦線統一に向けて処分者を切り捨てるというモラルハザードにおちいった全逓に対する勝利。
 ピラミッド型労働組合に対して、少数でも自立し闘っていける。全労協・郵政ユニオン・国労総行動などの闘いの勝利だ。そして現在、原告七人全員が職場復帰しているが、勤続三十周年の表彰をすると総務課長から連絡があった。そのようなことは事務的にやるけれども、本社はいまだに交渉に応じない。
 名古屋さんは、「バックペイのこと。年金問題。黒瀬さんの勤務地は高輪であり、すぐ愛媛への配転はできないと言っていることなどなど。当局は、三月一日に職場復帰させ、それ以外は何もなしで終わらせたいようだが、争議解決するまで仕事復帰はしない。今しばらくよろしくお願いしたい。また、4・28基金もつくりたい」と、まとめの報告をした。 (T・T)


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西山記者の国賠訴訟棄却判決に怒り!
                          藤井 保


 三月二十七日、東京地裁加藤謙一裁判長は沖縄返還に「密約」があったと報じた西山太吉さんの裁判の判決で、沖縄問題の中味に入らず「除斥期間」という「入り口」論で棄却した。
 二十七日午後一時、東京地裁には報道者と支援者二百人以上が駆けつけた。
 しかし午後三時半から始まった裁判で、裁判長は「棄却する」とただ一言。逃げるように法廷を後にした。
 午後二時から東京霞ヶ関の記者クラブで西山さんの会見がありました。「予想した判決だ、司法の権威を失墜させるもの」と批判し、「私だけが出来るものを今後もやって行く」と力強い発言をしました。
 さて、今日集まった多くの人々は「判決」をどう受け止めたのか。記者クラブで弁護士が解説した後、すぐに質問が出なかった。検討するにあたらないとはこういう「判決」をいうのだろう。
 印象に残った二点について報告する。一つは「違法な密約に入らず、最悪の「入り口」論で終わったが西山さんは闘いをこれからどう展開されますか」、との質問に西山さんは、「控訴する、司法が権力の手先になっているここが問題。私はすぐに沖縄密約の本をだす。この本と米国の情報公開が完全に一致している、これ以上の証拠はない」と言う。
 もう一点は、記者の次のような質問だった。「変な質問ですが、西山さん今誰に会いたいか。例えば吉野さんとか……」、西山さんちょっと考える。西山さんの次の言葉が良かった。「君たちが吉野さんに会いたいのではないか(06年2月に、日米交渉を担当した吉野文六外務省元局長が密約認める)。そして君たちとジャーナリズムがもっと頑張って欲しい」と言ったのだ。そうだとの声。そして閉会に入る。西山さんに 向かって会場から「ご苦労さんでした」という大きな声が上がった。車椅子の女性も、 「みなさん、報道頼みますね」と言った。
 翌三月二十八日の読売新聞社説は、「密約」の存在をいまだに否定し続ける政府の姿勢は、 ちょっとおかしいのではないか、で文章は始まっていた。
 二十七日に西山さんはこうも言っていました。「沖縄問題は今の問題。密約が明らかになれば安倍政権なんて、すっ飛んでしまう」と。
 米軍再編しかり。イラク派兵しかりです。日本政府の米国追随は異常である。 (3月31日)

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イスラム原理主義運動の階級的位相
                         K・S


 『かけはし』で3月に連載された「ジルベール・アシュカルとのインタビュー」(1)〜(3)、及び第四インターナショナル国際委員会の『中東についての決議』を非常に興味深く読みました。特に、『中東についての決議』は、アフガンのタリバン、イラクのシーア派・スンニ派の両イスラム組織、レバノンのヒズボラとパレスチナのハマスについて、端的にその階級闘争における立ち位置を捉えていると思いました。
 結論的に言うと、イスラム運動は、その固有の保守性と反動性を持っているが、階級闘争における位置どりによって、その具体的な性格が決まるのだと考えます。インタビューと決議は、アメリカのイラク占領に反対する立場、革命的組織の国際連帯と左翼的労働運動への支持を軸心に、それぞれのイスラム運動の役割を正しく評価しようというスタンスが基本であると思います。
 かつての革命の時代、後進国の民族ブルジョアジーの評価について、レーニンやロイ、トロツキーや陳独秀の論戦がありました。また、スターリン主義は、民族ブルジョアジーへの対応と評価を誤り、いくたの革命を血の海に沈めてしまいました。現在のイスラム運動への評価も、これと似たところのある難問と言えるでしょう。
 そこで、ちょっと私も評論してみると、イラクのイスラム抵抗勢力の中では、非アルカイダ系のアラブ・スンニ派が最も民衆的なように感じています。『リバーベンド・ブログ』なんかを読むとそう、思えます。サドル派マフディ軍は、政府のSCRI・バドル旅団の別働隊のようにしか思えません。「イラクのアラブ人を占領者に対する共通の民族的反対の中で統一しようとするムクタダ・アル・サドルの構想」(中東の決議)、「サドルが占領にとって恐るべき敵であるのは、彼に人気があるからです。彼は、ラディカルな反占領の立場を取って民衆の大規模な支持を獲得している唯一の勢力」(アシュカル・インタビュー)というのは、美化し過ぎのように思います。おそらく、第四インター国際委員会へは、レバノン(ヒズボラ)側からの情報が強いのではないでしょうか? 
 サドルやSCRIの反動性は、民衆から完全に疎外したイラン反動政府の影響を直接受けていることによると考えます。アシュカルさんは、「イランが行っている地域的闘争のもう一つの側面は、防衛的という範囲を超えたものであり、イラン政府はある種の緩衝地帯や友好諸国による防護地域のようなものを作って、地域に影響力を拡大することに利益を有しています」と述べていますが、そうでしょうか? イラン政府にそんな力はないと思います。そうではなく、「友好国にできないなら内戦のルツボにしておけ」といった戦術のように思います。それが、今、イラクの地獄のような内戦状況を作り出す一方の動力になっているのではないでしょうか(もちろん、イラクの現実の第一義的責任はアメリカなど帝国主義にあり、また、アルカイダ系のテロが宗派間戦争に火をつけたのも事実ですが)。
 核開発問題やイギリス兵人質事件を媒介に、アフガンからパレスチナに至る中東の戦争と内戦に、今度はイランが引きずり込まれようとしています。私たちは、革命的な国際主義の立場、労働者と人間の解放の立場に立って、慎重に状況の評価を探っていかなければならないと思います。


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