もどる

決議                          かけはし2007.3.12号

アフガニスタン派兵に反対したフランコ・トゥリグリアットへの支持を

第四インターナショナル国際委員会

高揚するイタ
リア反戦運動

 第四インターナショナル国際委員会は、アフガニスタンでの帝国主義戦争とビチェンツァの米軍基地拡張に断固として反対したフランコ・トゥリグリアット上院議員の立場を支持する何万人もの全イタリアならびに国際的な活動家と連帯する。
 二月十七日、ビチェンツァ市の人口の二倍に達する十二万人もの人びとによる米軍基地反対のデモ行進は、イタリアの反戦運動が再びその声を大きく、かつ鮮明に上げたことを意味する。トゥリグリアットは二月二十一日の上院での戦争に反対する投票で、国内、国外のこれらの勢力の証人となったのである。彼の立場は、共産主義再建党(PRC)の歴史的立場に沿ったものでもあった。同党は、ジェノバ(二〇〇一年の反G8闘争)及びそれ以後の街頭での社会運動を支持し、この党を十五年間にわたって支持してきた数百万人の有権者の期待をも担ってきたのである。
 われわれは、この原則的立場に対するPRC指導部の反応が、党からのフランコ・トゥリグリアットの追放であったことに注目する。この受け入れがたい官僚的な反応は、社会運動との関係から離れ、圧力を通じて現政権を支持し、自らの歴史的遺産と断絶した共産主義再建党指導部の変質と軌を一にしたものである。ラディカル左翼にとってブルジョア国家機構の統治への参加は、われわれの政治的思想を妥協させる圧力につねにさらされるのであり、それに対しては大衆運動との継続的関係によってのみ対抗できる。
 われわれは、国際的な反戦運動とグローバル・ジャスティス運動を闘うわれわれのすべての活動家が、ともにフランコを支持し、以下のサイトにある請願に署名するよう訴える。
www.sinistracritica.org/www.internationalviewpoint.org/www.inprekor.org/www.Europe-solidaire.org
2007年2月

解説
政府の戦争加担を支持するPRC指導部に反旗


 さる二月二十一日、イタリア国会上院は、アフガニスタンへの派兵継続を求めた政府の外交方針に過半数の支持を与えず、中道左派政権のプロディ首相がナポリターノ大統領に辞表を提出するという政府危機の状況に入った。上院は与党と野党の差がわずか一議席であり、与党・共産主義再建党のフランコ・トゥリグリアット(共産主義再建党内の批判的左翼協会のメンバーであり、同党内の第四インター支持者で構成する「バンディエラ・ロッサ〔赤旗〕」潮流=第四インター・イタリア支部の同志)をふくむ二人の上院議員が「棄権」に回ったことで、政府は「信任」を失ったのである。
 今回の首相辞任劇は、プロディ政権によるアフガニスタンの帝国主義的占領へのNATOの一員としての参加、あるいはビチェンツァ市にある米軍基地拡張方針の承認に対するイタリア民衆の六〇%以上に及ぶ反対がもたらしたものである。与党第3党の位置を占める共産主義再建党(PRC)は、党の綱領的立場に反してプロディ政権の戦争加担を支持するという右旋回を急速に推進してきた。これに対して、PRC内の左翼反対派は「批判的左翼協会」を結成し、プロディ政権の戦争政策とPRC指導部の追随を厳しく批判してきた(本紙2月26日号参照)。
 すでに昨年七月にも、プロディ政権はアフガニスタンへの派兵継続への賛成を政権への信任投票とするという態度を議会に迫っていた。この方針は上院での過半数獲得のキャスチングボートを握るPRC「批判的左翼潮流」に属する二人の上院議員に鋭い選択を迫るものであった。この時、フランコ・トゥリグリアットは、アフガン侵略・占領に反対する立場を明確にしつつ、ベルルスコーニ右派政権の復活を阻止するためにプロディに「賛成」投票をするという「苦渋の選択」を行うとともに、次回は反対するという立場を打ち出した(本紙06年9月18日号掲載のフランコ・トゥリグリアットの上院演説参照)。今回の「棄権」は、その「約束」の履行である。
 フランコ・トゥリグリアット同志のこの行動に対し、与党から厳しい圧力が行使され、共産主義再建党指導部も「除名」という統制処分の攻撃をかけている。
 二月末に開かれた第四インターナショナル国際委員会は、会議には出席できなかったフランコ・トゥリグリアットならびにサルバトーレ・カンナヴォ(下院議員で、同じくPRC内批判的左翼協会ならびに「バンディエラ・ロッサ」潮流の同志)とインターネット映像を通したリアルタイムの質疑・討論を行い、ここに掲載した連帯決議を満場一致で採択した。  (平井)




投書
映画「グアンタナモ、僕達が見た真実」を見て


神奈川 S・M

 2月にシャンテ シネ2(日比谷)で「グアンタナモ、僕達が見た真実」という映画(マイケル・ウィンターボトム、マット・ホワイトクロス監督作品)を見た。
 ストーリーを簡単に紹介したい。パキスタン系イギリス人の青年、アシフ・イクバル(アルファーン・ウスマーン)はバーミンガムの側(そば)の町ティプトンで平和に暮らしていた。2001年9月、アシフは結婚式を挙げるためパキスタンへと向かい、やはりイギリスに住む友人のローヘル・アフマド(ファルハド・ハールーン)、シャフィク・レスル(リズワーン・アフマド)、ムニール・アリ(ワカール・スィッディーキー)を招待する。
 パキスタン南部の都市カラチで合流した彼らは、米軍の侵略によるアフガニスタンの悲惨な状況を耳にする。そこで彼らは自らの目で隣国の実情を確認したいと思い国境を越える。だが、彼らが迷い込んだのはタリバンの拠点だった。アシフたちはムニールとはぐれてしまう。さらに彼らは北部同盟軍に捕らえられてしまう。そして彼らはキューバの米軍基地・グアンタナモへ送られてしまうのだった……。

 この映画は、タリバンともアルカイダとも無関係な「ごく普通の若者が、対テロ戦争に巻き込まれ、2年以上にも及ぶグアンタナモでの収容所生活を強いられた」(この映画のプログラムより)というティプトン・スリー(アシフ、ローヘル、シャフィクの3人は、ティプトン出身だったためにマスコミからこう呼ばれた)の実話をもとにしている。この映画は「ドラマのなかに、本人たちのインタビュー、実際のニュース映像を挿入する」(この映画のプログラムより)という構成になっている。この映画は見ていて重く静かな気持になった。自分も収容所の中に入れられているような気持になった。「アメリカは民主的な国だ」などというのはデタラメだ。この映画を見れば、そのことが良く分かる。アメリカはナチス・ドイツのようだ。この映画を見て、ぼくはアメリカという国に嫌気がさした。拷問・虐待・死刑制度などは絶対悪だ。世界の民主主義者は、世界中の「拷問・虐待・死刑制度などの存在する体制」を打倒するために、団結して闘うべきだ。ぼくは、そう考える。
 酒井啓子さん(東京外国語大学大学院地域文化研究科 教授)は述べる。
 「アフガニスタンやイラクなどで展開された米国の『対テロ戦争』の過程で、米国が『テロリスト』として捕縛したムスリムの多くは、グアンタナモの米軍基地に収容された。20世紀初頭に米国がキューバから永久租借した地に設立されたこの基地は、外界から閉ざされた治外法権地域となっている。収容者が裁判もなく無期限に拘束されていることも問題だが、メディアなどの目の届かないところで虐待、拷問が繰り返されていることでも悪名高い。『テロリスト』として拘束された過程がいかにいい加減で、憶測とこじつけに基づいているかは、この映画を見ればよくわかるだろう。そして取り調べの非常さも」。「『対テロ戦争』のどこに人道と正義があったのだろうか」(この映画のプログラムより)。

 シナリオに『「9・11」の謎――世界はだまされた!? ――』(成澤宗男著、金曜日)に書かれているような内容をプラスすれば、この映画はさらに良い映画になったかも知れない。この映画は、話が少し細かいような気がした。誰が誰だか、主要人物の顔が良く分からなかった。この映画のプログラムを読んでも、ザヒド(シャーヒド・イクバル)がどの収容所に入れられていたのか、が良く分からなかった。「いかれている」というような表現が2回出てきた。勉強不足なので良く分からないが、「いかれている」という表現は「精神障害者」差別だろうか。気になった。ストーリー紹介の部分で、この映画のプログラムと『スクリーン』2007年3月号(近代映画社)を引用に近い形(合成の形)で参考にした。
 「グアンタナモ、僕達が見た真実」/2006年/イギリス映画/原題 The Road to Guantanamo(グアンタナモへの道)/2006年ベルリン国際映画祭 銀熊賞(監督賞)受賞作品。(2007年2月6日)


もどる

Back