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スリランカ 今や「インド亜大陸の涙」          かけはし2007.2.5号

ジェノサイド戦争への支援を止めよう

多数派シンハラ人政府が1年間に5千人を虐殺

タミール人の
反乱の歴史

 これは、戦争により一年間で二十万人以上の男女や子どもが住む家を失い、マイノリティーに属する六十万人が拘禁され、基本的ニーズを否定され、幾万人もの人びとにとっては砲弾と空爆のみがクリスマスと新年の花火であるような国についての物語である。
 この国では、一年間で五千人近い人びとが戦争で殺され、八カ月のうちに二千人近い人びとが行方不明となってきたのだ。国防予算は四五%も増額され、十二億八千万ドルになった。米英など西側諸国はこの国を政治的・経済的・軍事的に支援している。
 この国とは、かつて「インド洋の真珠」と讃えられ、今や「インド亜大陸の涙」にまで落ちぶれたスリランカのことである。
 約二十年間にわたる戦争の後に、スリランカ政府と「タミールの虎」(LTTE)は二〇〇二年に休戦協定に調印した。ノルウェーが調停役を買って出て、両者は同年に交渉を開始した。会談の第一ラウンドはノルウェーの首都オスロで開催された。
 それに続いて双方が調印した協定は、「統一スリランカの連邦的構造を基礎に、歴史的慣習としてタミール語を話す住民の地域での内部的自決の原則にもとづいた解決策をさぐること」に双方が合意したと述べている。
 最後の植民地支配者であった英国が一九四八年にスリランカを去って以来、インド洋のこの島国は多数派のシンハラ人によって統治されてきた。現在タミール人は全人口の約五分の一である。スリランカのタミール人はこの国の北部と東部で支配的であるが、支配者であった英国によってプランテーションの奴隷として連れてこられたインド出身のタミール人は中部高地で暮らしている。この国の第二のマイノリティーであるムスリムは、おもに東部に集中している。
 多数派のシンハラ人政府による何十年もの民族的差別に耐えてきた北部と東部のタミール人は、一九八〇年代初頭に武装決起して反乱に立ち上がった。そのおもな引き金となったのは、シンハラ人が支配する南部に住む数千人ものタミール人が、国家が支援する「ポグロム」(訳注:帝政ロシア時代のユダヤ人に対する虐殺を指す用語)によって虐殺されたことだった。首都コロンボの国家監獄に収容されていた「タミールの虎」容疑者五十人以上が、一夜のうちに殺された。タミール人の闘士たちは、「もうたくさんだ」という結論に達し、北部と東部に分離した祖国を作るために武器を取った闘争に入った。

「タミールの虎」
形成の経過


 スリランカの左翼は、一九三五年当時から少数民族の権利のための闘争の先頭に立っていた。ランカサマサマジャ党(LSSP=平等社会党)は、こうした闘争の指導部だった。彼らは、高地のタミール人労働者とともに北部と東部のタミール人の間に相当数の支持者を有していた。
 しかしLSSPは一九六四年に連合政権に参加し、少数民族と労働者のための闘いを放棄した。タミール人だけではなくシンハラ人の青年たちも幻滅した。シンハラ人の青年は一九七一年に失敗に終わった蜂起で武器を取り、タミール人は七〇年代末にその先例にならった。
 当初はいくつかのタミール人グループがシンハラ人国家と闘っていた。約十年後、「タミールイーラム・解放の虎」(LTTE、タミールの虎)が、彼らの恐るべき指導者であるベルプライ・プラバカランの下で、タミールの大義のために闘う中心勢力となった。彼らは「ヒット・エンド・ラン」のゲリラ戦術から、恐怖の的となった「海の虎」海軍や「黒い虎」自爆部隊を擁する正規軍的性格を持った軍へと発展した。
 LSSPから分裂したナバサマサマジャ党(NSSP=新平等社会党。現在の第四インターナショナル・スリランカ支部)は、一九七七年の発足以来、タミール民族の自決権のために活動してきた。他の左翼組織の指導者とともに、NSSPの指導的メンバーの何人かは、一九八〇年代後半にシンハラ人差別主義勢力によって暗殺された。これは、当時のブルジョア政権が導入した、州議会という形式を取った限定的な権力分有措置を保証するキャンペーンの中で行われたものだった。

2001年の
一方的停戦宣言

 LTTEは、スリランカ政府やインド軍との数多くの連続的な戦闘の後に、北部の主要部分と東部のかなりの領域を解放することができた。「タミールの虎」政権とその警察部隊、裁判所、軍は、キリノクチを本部とする北部バンニ地方に拠点を置いている。スリラランカ政府が確保する最北端の市であるジャフナに至る高速道路A9号線は、「タミールの虎」の支配地域を通っており、国家と反乱派のチェックポイントが置かれている。
 LTTEはその強力な軍事的位置にもとづいて、二〇〇一年のクリスマスイブに一方的停戦を宣言した。新自由主義の信奉者であるラニル・ウィクラマシンゲ首相率いる統一国民党(UNP)は、休戦協定への調印でそれに応えた。このやりとりの背後にあった中心的な西側の国家はノルウェーだった。
 休戦協定は、「タミールの虎」が事実上の支配を行っている現実を受け入れた。チャンドリカ・クマラトゥンゲ大統領が率いる主要野党のスリランカ自由党(SLFP)が、「タミールの虎」とのあらゆる対話にきわめて批判的であった中で、左翼を装ったジャナタ・ビムクテイ・ペラムナ(JVP=人民解放戦線)と、仏教徒の黄色い衣をまとったジャティカ・ヘラ・ウルマヤ(JHU)が率いるシンハラ人極右勢力は、街頭に出て戦争を呼号した。

津波援助を倉
庫に隠す政府


 ノルウェーを調停役とする西側諸国は、交渉を開始するにあたって交戦してきた双方を支援した。会談の第一ラウンドは二〇〇二年に始まった。会談の進展につれて、援助供与国は「平和プロセスの進展」とリンクした四十五億ドルの援助パッケージを約束した。資金を管理するために、英国、米国、EU、ノルウェー、日本が援助供与の共同議長国として指名された。
 スリランカの最大の自然港であるトリンコマリーは、国の北東部に位置している。それはタミール人の本拠の一部である。そこにはまた、現在ではインド政府の管理の下に、大規模な石油タンク施設が置かれている。ここは中東に向けた米太平洋軍の通路でもある。
 戦略的に見て、トリンコマリー港とその石油タンク施設は、米国の対中東戦争にとって重要な位置にある。皮肉なことに、この地域は「海の虎」が作戦地域としており、米国の軍事作戦にとって十分に「安定」しているわけではない。したがって米国は、スリランカの北東海域に非紛争地帯を望んでおり、米国が押しつけようとしている和平プロセスはブッシュがパレスチナに押しつけようとしているものに対応している。
 二〇〇三年、スリランカ政府は六ラウンドの会談の後に、「タミールの虎」を排除して、援助供与国との会合をワシントンで行った。「タミールの虎」は、スリランカのシナリオに関わるあらゆる金銭問題は双方の側を交えて討議されるべき問題と述べて、会談を中断した。スリランカ政府はそれに対して「主権国家」の問題と答えた。
 「タミールの虎」の交渉代表でイデオローグでもあるアントン・バラシンガムは、首相に対して「マクロ経済政策と政府戦略から北東部のタミール人を排除することは、タミール民族の信頼と交渉過程におけるLTTEのリーダーシップを深刻に掘り崩す」との書簡を送った。
 スリランカのタミール人地域は、二〇〇四年の津波の被害を最も深刻にこうむった。外国の機関と衝撃を受けた世界の人びとは、被害を受けた地域の政府に幾百万ドルもの援助を送った。北部と東部に向けて送られた援助をタミール人は、それが税関の倉庫にとどめおかれているのを見た。
 LTTEは必要とされている援助をさらに獲得するために、政府と共に活動するための共同メカニズム(PTOMS)を提案した。二〇〇四年四月に自らの政党連合が政権の座に復帰した大統領は、PTOMSが機能することを阻止した。この動きはJVPとJHUによって支持された。「タミールの虎」はコロンボに次々に代表を送ったが、彼らの訴えはすべて聞き入れられなかった。タミール人は壊滅的な貧困化と絶望的状況のまま放置された。

暴力のエスカ
レートと暗殺


 二〇〇四年の選挙に先立って、「タミールの虎」東部司令官ビニャガマムーシ・ムラリタラン、通称カルナが指導するグループは、東部の北部からの分離を主張して分裂した。武装闘争の開始以前においてさえタミール人の祖国樹立の呼びかけは、北部と東部の統一という内容であったにもかかわらずである。
 後に、ラニル・ウィクラマシンゲのUNPは、この分裂は「和平会談」の中で促進されたものだと公然と語った。「信頼醸成」とはそういうことだったのだ。スリランカ国軍がカルナ派とともに作戦していることは秘密でも何でもない。二〇〇六年十一月、国連と「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」は、東部地域でカルナ派のために子どもたちをリクルートしているとして、ともにスリランカ政府を非難した。
 カルナ派と国軍は、二〇〇五年二月に大攻撃を行って、LTTE東部地域の政治部門指導者E・カウシャルヤンを、タミール人の前議員チャンドラネール・アリアナヤガムとともに、政府支配地域で殺害した。容疑者は現在も見つかっていない。
 国連をふくむ西側諸国は、双方に交渉のテーブルに戻るよう求める声明を発表した。二〇〇五年八月にコロンボでラックスマン・カドリガマル外相が暗殺された時、EUは「タミールの虎」に渡航禁止の措置を取った。この禁止措置に対する左翼からの反応はほとんどなかった。
 二〇〇五年十一月、おもにJVPとJHUに支援されてマヒンダ・ラジャパクサ大統領が権力の座についた。共産党とLSSPも彼を支持した。彼の戦いの叫びは「統一スリランカ」であり、「タミールの虎」とのあらゆる権力分有措置に反対するものだった。
 それ以前の三年間には散発的なものにすぎなかった暴力がエスカレートしていった。マヒンダ・ラジャパクサ体制は、自ら戦争を準備していた。非武装のタミール人活動家の殺害は、新たな高みにまで達した。

東部の町は空襲
と砲撃が日常化

 タミール人の国会議員ジョセフ・パララジャシンガムは、クリスマスイブに大衆とともにいる時に射殺された。目撃者は、殺人者が近くにあるスリランカ軍のキャンプに逃げ込んだのを見ている。それから一カ月も経たないうちに、パララジャシンガムが殺されて空席となったトリンコマリー地区タミール人民衆フォーラム議長に就任したV・ビグネスワランも殺された。
 この二人の文民殺害に関与した政府に対して諸外国からなんの行動もなされなかったにもかかわらず、国軍の本部にいた軍司令官に対してLTTEが報復の自爆攻撃を開始すると、EUはLTTEへの全面禁止措置を取った。
 スリランカ政府は、軍指導者に対する攻撃に対して、LTTEが掌握する東部に対する空爆で応えた。それ以後、政府はこの作戦の重点を「タミールの虎」を東部から追放することに置いた。現在、空襲と砲撃は、タミール人の日々の生活の一部である。数十万人の市民がこの地域から脱出した。多くは、インドに近いポーク海峡で難民として困難に直面している。
 ある時、サンチョライの学校が空爆を受け六十人以上の子どもたちが殺される一方、スリランカ国軍の砲撃によって東部にあるカディラベリの難民キャンプで五十人以上が殺された。現在トリンコマリーは難民の都市となっている。スリランカ政府は司法の決定を称え、タミール人の土地の北部と東部への分割を開始した。
 その中で、政府は北部と東部のLTTEが支配する地域への主要な供給ルートを閉鎖した。北部ジャフナの五十万人以上のタミール人が、「高度治安地帯」(HSZ)と名付けられた大量の軍が占拠する地域で、貧困のうちに住むことを強制される一方、「タミールの虎」が支配する東部の町バカライからは、恒常的な砲撃、空襲、基礎的アイテムの不在のために幾千人もの人びとが逃げ出している。援助団体もメディアもこの地域に入ることを許されていない。
 いわゆる「国際社会」は沈黙している。この間、八カ月のうちに政府支配地域で、おもにタミール人からなる二千人以上が行方不明になった。この行方不明問題とタミール人への攻撃に反対する運動をしているNSSP指導部は、政府が支援しているシンハラ人レイシスト勢力から死の脅迫を受けた。
 一番最近の暗殺事件は、タミール人議員のナダラジャー・ラビアイが、コロンボで白昼に射殺されたことだった。彼は多数派シンハラ人の間で人気がある政治家で、タミール人が弾圧されるのはタミール人であるためだとシンハラ人たちに語っていた。彼はシンハラ人が支配的な南部で、左翼や進歩勢力と手を携えて、国家と私兵たちによってタミール人になされる行方不明事件や残虐行為に反対するキャンペーンを行っていた。数千人の反戦デモが彼の殺害に抗議した。

ようやくEUも
政府と軍を批判


 EUは、「タミールの虎」への禁止措置は「この組織の行動」がもたらしたものだとする主張を維持しながら、二〇〇五年五月三十一日の声明でLTTEに「暴力路線を変更し、和平会談に復帰」するよう呼びかけた。EUは、スリランカ政府の超法規的殺害と私兵グループへの支援に警告を発しつつ、「スリランカ当局が政府支配地域での暴力を抑制するよう呼びかけ」ただけだった。とはいえ、この声明はLTTEがこの島国を揺さぶる暴力に責任がある唯一の党ではないことを認めたものである。
 しかし「テロ行為への関与」を理由に欧州でLTTEを禁止したEUは、「政府が支配する地域での不処罰の文化を停止し、すべての暴力行為を厳重に取り締まる」効果的な行動をしなかったとしながら、シンハラ優位主義者が支持するマヒンダ・ラジャパクサ政権を批判するどのような措置も取らなかった。
 これは、EUは政府の支援する武装ギャングがLTTEとタミール人市民に対する代理戦争を始めていることを知っているというメッセージを伝えるものである。EUは、それにもかかわらず警告を発することで満足している。

50万人がEU
に脱出し放浪

 約五十万人のタミール人がEUを放浪している。彼らはタミールの大義に忠実であるために、自分の祖国から放り出されたのである。彼らは欧州労働階級の大きな集団を構成している。欧州のグローバルな主人たちは、米国に突き動かされてタミール人闘士の指導部に「テロリスト」組織のレッテルを貼った。人間の顔を持つと信じられている「国際社会」は、政府のテロキャンペーンの洪水の中で、彼らを見捨てた。欧州と世界中の左翼は、彼らの声に耳を傾け、彼らの自決権を防衛しなければならない。
 「ソシアリスト・レジスタンス」はNSSP(第四インターナショナル・スリランカ支部)とともに、この問題を取り上げ、LTTEの禁止措置の解除を求める請願署名を開始した。
 労働組合活動家、市民的自由のための運動家、あらゆる進歩的勢力は、こうした全世界的、そしてスリランカそれ自身の反タミールキャンペーンを打ち砕くためにともに闘うべきである。国際的に支援された猛烈で不正義に満ちたジェノサイド戦争の開始に反対して、今こそ闘う時である。
 署名は、
http://www.petitionnonline.com/ntwsdtp/petition.html

(ヤムナ・バンダラは英国在住のスリランカ人ジャーナリスト)
(「インターナショナルビューポイント」電子版07年1月号)


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