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寄稿 国家と全逓本部に対決堅持             かけはし2007.2.26号

郵政反処分闘争の勝利を全労働者へ

「自力自闘」で勝ちぬいた
            名古屋 哲一(郵政4・28ネット、免職者)

 何と言っても、嬉しい。とてつもなく喜ばしい。二〇〇七年二月十三日、最高裁での上訴却下により「郵政4・28処分の取消し・無効=地位確認」との〇四年六月高裁大勝利判決を確定させることがでた。これから、「どうだ参ったか!」といった調子で、郵政公社との謝罪要求や職場復帰へ向けた交渉など、反処分闘争の総仕上げに向かっていく。
 二十八年前、全国の郵便局で「差別は許さない」と二カ月間も闘った全逓反マル生越年闘争、これに対する五十八人の免職等八千百八十三人への政治的な4・28報復処分、そして全逓(04年6月よりJPU)本部による変節・裏切りと一九九一年免職者の組合追放、このことに負けず4・28闘争は自立自闘の歩みを続けてこれた。これはもうすべて、支えてくれた皆さんのおかげだ。私たち4・28ネットは、免職者全員の統一と職場復帰を目指し活動を続け、今日の最高裁勝利へ至ったが、これは支援連帯の皆さん全員が勝ち取った勝利だ。どうもありがとうございます。
 4・28処分は、政府自民党が音頭をとった、当時の新処分政策だった。「全国闘争を指導した役員には軽い、指導された現場組合員には重い首切り処分」で現場に恐怖をまき散らした。このあまりにもの不合理さ一点により、やはり不合理すぎる国鉄1047人首切り新々方式作りに加わった江見弘武・東京高裁裁判長は、「重大且つ明白に」不法な「処分裁量権の逸脱」と判決を書いたのだった。さらに、提訴時効無しの「処分の無効確認訴訟」も認め、原告以外の免職者にも「再提訴=職場復帰」の道を開いた。そして今回、最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)は五人全員の裁判官が一致で、高裁判決を支持した。
 また4・28処分は、労戦再編(全逓ツブシ〜国労ツブシ〜総評ツブシ)の思惑によるもので、「権利の全逓」から「連合全逓(JPU)」へと変質させ免職者を切り捨てた本部の誤りと卑劣さが、今回の勝利で改めて照射される。
 国家機関に対する勝利、しかも国と大労組コミでの弾圧に抗しての勝利。どんなに酷い仕打ちをしても自立自闘を続けることに、敵は驚き、格差社会の矛盾噴出と十月郵政民営化を目前にたじろいたのかもしれない。闘争継続を可能にした郵政ユニオンなどの現場の仲間や国鉄闘争・東京総行動・弁護団等々の人々の温かさと民主主義と努力とが、連合路線にも勝ったのだと思う。この勝利を今後の運動に活かせていければと思う。


4・28郵政反処分闘争の歩み
当局と全逓指導部の敵対に抗し郵政ユニオンの強化へ



 二月十三日、最高裁第三小法廷は一九七九年四月二十八に郵政省が発令した首切り処分、いわゆる四・二八処分取り消し訴訟で、郵政公社による上告受理申し立ての不受理を決定した。これにより、二〇〇四年六月三十日の東京高裁による原告七人の処分取り消し判決が確定してから実に二十八年ぶりの原告七人の職場復帰が最終決定した。

不当な労務管理
政策の転換求め

 ここで四・二八処分が発令された当時の労使関係について簡単に触れておかねばならない。
 一九六〇年前後、「権利の全逓」と言われた全逓労組(現JPU)への敵視と切り崩しのために、郵政省は『労務管理の手引き―職場闘争対策』『新しい管理者』を発行、「管理者は反動と言われて一人前になる」として、人事差別、不当労働行為、組織攻撃、監視労働などを行い、業務命令と処分を乱発していた。他方、第二組合=全郵政を結成させ、その保護と育成に力を注いでいた。こうした労働組合の否認、基本的人権の侵害は一九七〇年代も同様に全国で強力に押し進められ、全郵政の伸長を助成していった。
 こうして一九七八年末から七九年一月、省の労務政策の転換を求めて反マル生越年全国業務規制闘争が展開された。だが、人事差別、組織攻撃、不当労働行為など全逓は何ひとつの要求もかちとることもないまま、公労委の斡旋で闘争の終結が決定されたのである。
 この結果一九七九年四月二十八日、六十一人の解雇を含む八千百八十三人という日本労働運動史上、前例のない大量処分が郵政省によって行われた。しかも、この六十一人のほとんどの組合員は組合の闘争指令に従って業務規制闘争に参加した現場の若い一般組合員であり、争議の責任者ではなく、現場の参加者に免職処分を科すというまったく不当な処分であった。加えて、このうち五十八人は全逓東京地本傘下の組合員であり、明らかに東京地本をねらい打ちにした報復処分であった。

労使協調路線へ
の転換と裏切り

 四・二八処分が発令されて以降、全逓本部は四・二八処分闘争に関する反処分指導委員会を設置し、人事院に提訴し、その敗訴後、裁判闘争を展開してきた。しかし、反処分闘争を闘う最中、処分からわずか半年後の十月二十八日、全逓本部は郵政省と「共通の事業認識をもち労使関係の改善をはかる」「一〇・二八確認」を結び労使協調路線へと大きく右に舵をきり、その後一九八二年には全逓運動の三十年総括による職場闘争から団体交渉重視の運動展開、八三年には「連合新時代」による事業をとりまく環境の変化や新しい経済社会情勢に対応する制度・政策闘争方針の確立と称して、名実共に労使一体化路線を突き進んでいく。
 こうした全逓の労使協調路線は、四・二八反処分闘争の展開と無縁ではあるはずはなく、全逓本部・反処分指導委員会は一九九〇年八月、被免職者の国家公務員の再受験(40歳以下の有資格者に限定)方針を打ち出し、郵政省との協議で好感触を得たとして「再採用の道をひらいた」と語り裁判取り下げを一方的に決定した。ところが、この全逓本部・反処分指導委員会の決定を受けて一九九一年三月、受験した被免職者は全員不採用となったのである。
 全員不採用という事態に対して全逓本部は経過と取り組みの中で、分析や判断については甘さがあったとしながら、同年五月の臨時中央委員会で「省への再採用の道、裁判闘争は断念する」と破廉恥にも四・二八反処分闘争の終結を決定したのである。実はこの背景には労使一体化路線を突き進む全逓にとって「ノドに刺さった小骨」=四・二八被免職者たちの切り捨てが焦眉の課題であったのだ。「連合新時代」に参入するうえで全郵政との組織統合は絶対要件であり、この四・二八闘争の清算を通して郵政省からパートナーとして認知されるということなのだ。このことは四・二八反処分闘争終結の決定からわずか一カ月後に、被免職者の組合員資格と犠牲者救済適用の打ち切りを行ってきたことからも明らかだ。

郵政4・28全
国ネット結成

 こうして労働組合による二重の「首切り」とも言うべき不当な弾圧に抗して、独自に裁判闘争を継続して闘う七人の被免職者たちに、全国で支援の輪が広がっていった。裁判の一方的な取り下げ、組合員資格剥奪を受けて、全国の郵政職場では「四・二八被免職者と共に闘う会」が続々と結成されていった。一九九二年には郵政四・二八を共に闘う全国ネットワークが結成、闘争資金対策として物販闘争の取り組み、国労闘争団、各争議団の仲間と共に東京総行動に参加し、郵政省への申し入れや抗議行動を今日まで展開してきている。
 こうした中で一九九三年、四・二八被免職者が全逓本部の犠救打ち切りと組合員資格剥奪の取り消しを求めた裁判は、一九九八年最高裁で「犠救打ち切りは本部の裁量の範囲」としたものの、「組合員資格の剥奪は違法・無効」であるとした原告勝利の判決を下したのだ。一方、本裁判である四・二八処分取り消し裁判は、二〇〇二年三月、東京地裁で処分から二十三年、裁判提訴から十六年を経て職場復帰に向けて闘い続けてきた原告たちの熱き思いを踏みにじるかのような不当判決であった。
 地裁の判決内容は、原告の主張する「単純参加行為のみを理由に懲戒免職処分に付された前例はない」に対して、「仮にそうであっても、そのことから直ちに、組合役職者でない者のした争議行為の程度、態様の反社会性、反規範性が強い場合に他の事情と相まって懲戒免職処分に付すことが許されないとはいえない」と退け、郵政省・当局の主張を全面的に踏襲した、原告らを悪意に満ちた視線で指弾するというものであった。
 この不当判決に対して七人の四・二八被免職者は直ちに控訴審に立ち上がる。そして二〇〇四年六月、処分撤回控訴審が行われた東京高裁において、歴史的逆転完全勝利判決が下されたのだ。判決は「控訴人らは、全逓の意思決定に従ったもであり、裁量権の行使を誤った重大明白な瑕疵(かし)があり、取り消しを免れず、また無効というべきである」として争議一般参加者への懲戒権の濫用である、と郵政省の免職処分に断罪を下し、四・二八処分の取り消し、無効の逆転勝訴判決が下されたのだ。しかし、これを不服とした郵政公社(2003年、郵政省から公社へ移行)は最高裁に上告受理申し立てを行ってきた。

闘いの中から
ユニオン結成


 こうして高裁での逆転勝訴判決が出されるまでの二十五年にもおよぶ闘いと、それを支えてきた家族・支援者・支援団体の喜びは全国を駆けめぐった。
 ひるがえって、一九七八年十二月の反マル生闘争に突入する五カ月前に、郵政労働者の情報の共有化と闘いの指針をつくりだすために『伝送便』が創刊されたことを述べておかねばならない。この後、全逓は反マル生闘争の終結からわずか半年後に労使一体化路線を選択した「四・二八確認」を郵政省と結んだ。
 これ以降、事業防衛路線をひた走る全逓は、郵政省の打ち出してきた「実験時短」、「五九・二合理化」「郵政事業活性化計画」などのさまざまな合理化計画を全郵政との組織合併を第一義として積極容認してきたのである。こうした中で一九八四年、全逓の右傾化に抗して郵政労働者全国交流会が結成、八八年にはこれを組織統合し、郵政労働者全国協議会(郵政全協)へと拡大発展していく(『伝送便』は機関誌に)。
 これに対して全逓は闘い支部への執行権の停止、統制処分を全国にわたり、矢継ぎ早に打ち出してきた。こうして、この攻防の中から独立組合が続々と誕生し、この誕生をはさんで一九九一年、郵政労働組合全国協議会(郵政全労協)が全国十組合の参加で結成され、これが単一労組としての現郵政労働者ユニオン(郵政ユニオン)結成へと発展解消されていくこととなった。この現在までに至る郵政ユニオンと、結成されるまでの二十八年間の闘争の連続性において、四・二八反処分の闘いは決して切り離せる闘いではなかったし、むしろ四・二八反処分闘争とともに自らの運動と組織化の拡大・充実に向けた闘いの両輪として行動展開してきた。
 こうしてついに処分から二十八年目に郵政省の首切り処分(四・二八処分)が二月十三日、郵政公社による上告受理申し立ての不受理を最高裁が決定し、ここに原告七人の職場復帰が確定した。
 最後に、この場を借りて四・二八反処分闘争を闘ってきた一郵政労働者として、二十八年間もの長きにわたって全国で支援・共闘してくださったすべての皆さんに原告七人の職場復帰が最終決定したことをご報告しお礼申し上げます。(中村哲也)


長居公園・野宿者排除に抗議
ブラジル、香港、パリで国際的連帯行動を実現

 二月五日の大阪・長居公園の野宿者たちに対する大阪市の強制排除攻撃(本紙前号1面参照)に対して、国際的な抗議行動が展開された。
 ブラジルでは二月二日、日本大使館前で長居公園の野宿者の尊厳を守ることを訴える要請・抗議行動が行われた。
 二月九日、香港では「グローバリゼーションに関する香港民衆連盟」(HKPA、二十一の女性団体、労働組合、宗教団体、市民運動団体などで構成)によって、「大阪市が野宿をする人びとの人権を保障し、野宿者への弾圧を停止する」ことを要求し、「今回強制的に排除された人びとへの謝罪と補償」を求める抗議文を大阪市あてに提出した。
 さらにフランスでは二月二日に長居公園の野宿者と連帯する署名が日本大使館に提出されたが、日本大使館は受け取りを拒否した。その後二月五日の長居公園における排除攻撃を受けて、二月十二日には、NO VOX(声なき人びと)ネットワークと野宿者連帯署名に賛同する市民団体(DAL〔住宅権利協会〕)、ATTACフランスなど二十八団体)の代表三十人が、大阪市のパリ事務所を占拠し、「大阪の野宿者と連帯を」と書いた横断幕を掲げてアピールした。
 今回の連帯アクションは、「持たざる者の国際連帯行動」の闘いの広がりを示している。あらゆる社会的排除に対するグローバルな抵抗を!     (K)


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