かけはし重要記事

frame01b.html

もどる

韓国・大宇自動車労組を訪ねて             かけはし2002.7.1号より

ワールドカップの最中も労働者は断固として闘い続けている!


暴力ガードマン監視下の組合事務所

 「ワールドカップ・キャンペーン」で訪韓しました。「フィリピン・トヨタ労組を支援する会」の事務局メンバーとしては、ぜひ大宇自動車労組の近況を知りたいと思い、富平の組合事務所を訪ねました。韓国労働運動の様子とともにお伝えします。
 五月二十九日の昼下り、大宇自動車、富平工場の門をくぐりました。門から会社の建物の一角にある組合事務所までの五十メートルあまりの道は、人が通れる幅を残してコンテナが隙間なく並び、壁を作っていました。昨年二月、千七百五十人の解雇の後、解雇者は工場内に入ることを阻まれていましたが、四月九日、解雇者でも組合事務所には入れるという裁決がでました。しかし、組合事務所に行こうとした組合員たちが、警官によってひどい暴行を受けたという弾圧と闘争の象徴でもある道です。コンテナにはハングルで書かれた様々なスローガンが踊っていました。
 三階にある組合事務所の階段の下で、コンテナの壁は途切れ、そこから構内に行く道は六人の「暴力ヤクザ」と言われるガードマンたちがふさいでいました。「暴力ヤクザ」は組合事務所から会社内に通じる廊下にも六人いて、自由に通行できないようになっています。工場内のいたるところにいる彼らにより、組合役員と労働者の接触はたえず監視されていると聞きました。

昨年春の大闘争と労使暫定合意

 大宇自動車労組は代議員大会の三日目でしたが、その忙しいさなか、スポークスマンのチェ・ジョンハクさんが昨年春の大闘争後の経過を次のように語ってくれました。
 昨年の九月、大宇自動車債権団とGMは、富平工場と釜山のバス工場を除いて引き継ぐという覚書(MOU)をかわした。九九年に倒産した大宇自動車は現在三つの工場―富平、昌原、群山工場―が稼動中だが、主力工場である富平工場以外の二工場は半数近くが非正規雇用の労働者。組合ができてから二、三年なので組合の力も弱く、ストになっても生産ラインが止まることはないので、GMはこの二つの工場は引き継ぐと言った。
 債権団は、GMとの交渉過程で、GMへの売却反対を主張する組合との話し合いをもとうとしなかったが、十一月十二日に初めて組合との交渉をもった。組合は売却後の雇用の維持、富平工場の存続、解雇された千七百五十人の復職を求め、交渉に臨み、現在まで二十一回の交渉が重ねられた。交渉の結果、GM買収との本契約締結の前提条件となる債権団と労組の団体交渉は、四月九日妥結した。この暫定合意は、四月十六日、組合員による投票が行われ、可決された。
 暫定合意の内容は、@千七百五十人の解雇者のうち三百人を今年二〇〇二年末までに復職させ、残りは二〇〇四年末までに人員の補充が必要な時に再雇用するA以前の労働協約では転勤、配転など人事に関して、事前に「労使間の合意」を得るというものだったが、「労使間の協議」になったBGMは雇用の引継ぎをするC覚書ではGMの買収対象にはいっていなかった富平工場は、稼働率、品質の上昇、平和的労使関係などの条件が整えば引き継ぐ、等の内容だった。
 @について、労組は千七百五十人全員の復職を要求していたが、三百人でも復職を認めさせたことは勝利である。しかしながら、三百人の復職の時期、誰が復職するかという選定の基準は明確でない。
 Aについて、富平工場は民主労総の中でもとても労働者に有利な労働協約をもっていたが、それが崩されてしまった。
 Bについて、労組は雇用の保障を得たかったが、引継ぎになってしまった。
 Cについて、買収後三工場が完全二交替制で稼動するという条件だが、現在二交替制といっても二交替する人員がいないので交替できるはずがない、大宇の工場はトヨタに比べても劣悪な条件で生産性が上がっているので、トヨタ並みの生産設備があれば、生産性はもっと上がるだろう。品質向上という点では大宇の車種はシカゴのモーターショーでも高い評価を得ている。GMは「平和的な労使関係」ということを言いがたいためにその他の条件をつけている。つまり争議をやるなということ、労働者の権利を奪うことを言っているので承服できない。

三百人がいまも連日の就労闘争

 暫定合意の後、四月三十日にGMの大宇自動車買収に関する本契約が締結され、翌五月一日より新車の生産にはいった。それまでは週三日の勤務だったが、週六日の勤務となり、人手不足となっている。会社は人手不足のため非正規労働者を雇用しようと考えているが、労組は阻止しようとしている。
 千七百五十人の解雇者のうち千八十三人が不当解雇で訴えている。第一次訴訟は、緊迫した状況ではリストラも仕方がないというリストラ法のため敗訴し、控訴して第二次訴訟が係争中である。大宇自動車に勤めていたという理由で再就職もむずかしく、解雇者は日雇い、アルバイト、屋台などで生計を立てている。そのうち三百人は毎日、就労闘争を続けている。九月の選挙まで、復職闘争を労組の最優先の課題としていく。
 キム・イルス委員長、キム・スンガ副委員長と二人のリーダーが獄中にありながら大宇自動車労組は必死で頑張っている様子が、チェさんの話しからもうかがわれました。また、GMの世界戦略を調査し、国際連帯を考えていかなければ、各国の労働者が競い合わされてしまう、いすゞ自動車で働く労働者とも連携していきたいとも語っていました。なんと、イギリスのGM、ヴォクソールのニック・ラリー社長が「GM大宇自動車」の新社長になるとか。韓国、日本、フィリピンの、アジアそして欧米の自動車労働者の国際連帯がますます重要になってくることを感じました。

W杯キャンペーン下の労働運動

 最後に、ワールドカップ直前五日間の訪韓でふれた韓国の労働運動のことを書きます。韓国政府はワールドカップ・キャンペーンの期間中はストライキをしないようにという「平和宣言」を労働界に申し出ていますが、民主労総はダン・ビンホ委員長、イ・ホドン発電労組委員長、そして大宇自動車労組委員長、副委員長など、活動家三十数人の釈放がなければこの申し出を受けることができないと闘争を続けています。
 ご存知のように、民主労総執行部は発電労組ストの収拾をめぐり、獄中にあるダン・ビンホ委員長を除いて総辞職し、次の選挙まで非常対策委員会がつくられています。この委員会のイ・ジェウン執行委員長に、五月二十九日にお話しを聞くことができました。
 執行委員長は民主労総は週四十八時間労働、労働条件の向上、民営化阻止、労組活動家の即時保釈などの闘争目標を掲げていると語りました。ワールドカップ期間中でも労組活動家の保釈がなければ闘争を続け、五月二十二日から二十六日までの第一波では賃上げなど労働条件の向上を求め、各産別の集中ストを行い、二十八日から三十一日までの第二波では各単組がソウルの中心街に集まっての行動を計画している。その後の予定はまだ決まっていないが六月二十二日(「6・22反戦平和世界同時行動デー」)、六月二十七日(ICFTUが韓国の活動家釈放を求めて各国の韓国大使館に抗議する「国際行動の日」)に大きな行動を予定しているとのことでした。

連日、街頭デモや占拠闘争が続く

 私がソウルに到着した日は五月二十六日。第一波、産別を中心にした行動の最終日で、三万人のデモがありました。第二波の初日の二十七日、私たちはソウルYMCA前で「ワールドカップ・キャンペーン」の街頭行動をしましたが、その行き帰りで民主労総、韓国労総のデモと、機動隊があちらこちらで行われるデモの規制のために走りまわっているのを見かけました。二十八日には、明洞聖堂のすぐそば、明洞の目抜き通りで舞台を作り集会をしているサービス労働者の行動に参加しました。ロッテデパートやロッテホテルなどの若い労働者たち三百〜四百人が、日本でいえば銀座通りの一角を占領して、歌ったり踊ったりしながら抗議行動をしていました。
 三十日、帰国する日の朝、大渋滞に見舞われたので、ワールドカップの交通規制のためかと思っていると、「漢江大橋の上に労働者が上っている」と、ワゴン車のなかで誰かが大きな声をあげました。橋の上に一人、そしてまた、一人、鉢巻をした女性たちがいて、橋の下を機動隊が固めていました。電子部品を製造している韓国シグネティクス労組の労働者で、復職を求めて百人の女性たちが三百日にわたる闘争を続けているとか。前の週もこの橋に上ったそうです。韓国労働者は「決意の高さを示すために高い所に上る」と聞きました。
 ワールドカップのさなか、韓国では労働者たちの闘いは続いています。六月二十二日の日韓同時行動デーでは、力強い報告が聞かれると思います。
遠野はるひ(横浜アクションリサーチセンター)


もどる

Back