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構造改革の現場から(11)                 かけはし2006.9.4号

管理強化と長時間労働でストレスにさいなまれる学校現場

 教育基本法改悪案が自民・公明の与党と民主党の双方から国会に出され継続審議となっている。東京や広島では「日の丸・君が代」強制に抵抗する教育労働者に処分が繰り返されている。これらと対をなして、学区制の廃止、学校選択制、小学校からの英語教育、小中・中高一貫校の導入や全国学力テストの実施、教職員評価・成績主義賃金制度、民間委託化など新自由主義の波が学校現場を襲いつつある。教育現場・学校の実情について、中学校教員二人に聴いた。

非正規雇用労働者が急増

――学校で働いている人々の構成はどのようになっていますか。

B 学校には実に多様な人々が働いています。教諭、養護教諭、講師、事務職員、栄養職員、校長、教頭が県費職員で、用務員、給食調理員が市職員。特別支援教育補助員、生活支援員、給食配膳員など市費の臨時職員、学校図書館司書補や事務補というPTA雇用職員がいます。給食調理業務や用務員が民間委託された学校には業者雇用の労働者が入ってきています。多くは低賃金で有期雇用です。市は調理員・用務員退職者の補充採用をしていませんので民間委託労働者の割合が増えています。

――非正規雇用が増えているわけですがどのような割合でしょうか。

A 全職員の割合は学校規模によりますので一概に言えませんが、教員の場合は、常勤・非常勤の講師が非常に多くなっています。私の学校だと五十人の教員中、講師が十人です。県の小中高全体で三千五百人だと聞いていますので二割近くになっていると思います。これは、産休・育休・病休の補充やTT(チームティーチング)などの加配に加え、三十人程度学級の県独自実施等によって学級数増などで必要になった教員を正採用ではなく講師でまかなっているからです。
 毎年、正採用の二十倍近くの講師が採用されており、三十歳を超えて正採用というのも珍しくはありません。今年から義務教育費の国庫負担が二分の一から三分の一に引き下げられましたので、県の財政状況によってはさらに講師として安く働かされる人が多くなると懸念されます。

――正規と非正規の人たちとの関係はどうですか。どんな問題がありますか。

B 講師の人たちは賃金がもともと低く設定されていて、同年齢で二万円から六万円も正教員より安く、さらに勤務を重ねても上限があり昇給しません。常に次の雇用を心配しなければならず、権利行使の面でも制約があり、結婚や出産・育児などでさまざまな困難を抱えています。それなのに都合良く使われがちで、例えば非常勤講師なら時間が限定されているのにそれを超えて仕事をさせられている実態も見られます。
 日常の勤務においても上司や同僚から言われればいやとは言えず従わざるを得ない、採用試験の前日まで部活の大会引率に行っていたという例もあります。逆に言えば、管理職や正採用教員が講師の人たちの立場に想いが及ばないという問題でもあります。

A 子どもの数・PTA会員の減少で司書補・事務補の賃金や労働時間日数が減らされる傾向にあります。何の説明もなく労働条件が一方的に変えられたり、首にされそうになったりしています。みんなでそれを阻止した例も最近ありました。

民間委託がもたらす問題点

――民間委託ではどんな問題が起きていますか。

B 調理員の場合、業務委託費から計算すると最低賃金ちょっとの賃金で、暑くてハードな労働ですから途中で辞める人もいます。また入札で委託業者が変われば調理員も変わります。派遣ではなく業務委託ですから献立を作っている学校栄養職員と調理員が直接打ち合わせする関係にもありません。こうした中で例えば子どもたちが食べやすいよう野菜を刻むなどの調理技術が継承されていない、ということを栄養職員部の仲間が指摘していました。
 用務員の場合も同様で、「校舎のここを治してほしい」と直接依頼したり指示したりはできません。年二百万円位の賃金です。退職者など一定程度余裕がある人が再就職の場として入ってきているようです。若者が働き続けて技術を磨いていく職業ではなくなりつつあります。

A 学校の中に、自分たちの評価を行わない大人が存在していて、かかわりをもてるということは子どもにとって癒しとなり、とても教育的なのです。用務員や調理員の方はそういう存在でしたが、民間委託の場合は子どもたちとの関わりはほぼゼロです。私たちも子どもたちの情報を伝えることも得ることもできませんし、学校職員の懇親会にも委託労働者は参加していませんので、同じ職場にいながら交流はなくなっています。

息つくひまもない勤務実態


――教職員の多忙化が言われていますがどんな労働実態にあるのでしょうか。

A 始業は八時十分ですが、週番なので朝のあいさつのため七時三十分出勤、八時に教室に行き十分から朝の読書、その後学活、午前四校時の授業で、十二時三十五分から給食指導、休憩時間は分割で一時十分から四十分までありますが休めず、この間はかたづけ指導や生活記録ノート点検に追われ、一時四十分から五校時、その後モジュール(25分単位のブロック)で学級行事や数英国のドリル。掃除をはさんで三時四十五分までには帰りの学活を終え、その後事務処理を行い、五時頃から部活、その後学級事務や成績処理を行うと七時になります。会議のある日はさらに延び、帰りは七時三十分頃になります。

B 勤務実態はほぼ同じです。週の授業は六校時二日、五校時三日。B案=短縮授業を臨機応変に取り入れています。そうでないと授業後に会議があると他の仕事をする時間がなくなってしまうからです。給食の時間は準備からかたづけまで三十五分間、まさに息つく間もなく、教員は食べ物をただ流し込んでいるだけ。その後、部活指導を十五分。そして午後の授業。休憩は三時五十分から四時三十五分の四十五分一括ですが、お茶一杯を飲む程度で実際は休めません。しかし、分会の会議はここに休憩時間があるので開くことができます。放課後は会議、生徒の活動、部活で五時半過ぎ、その後学級事務で七時、不登校生徒の家庭訪問で家路につくのは七時半です。トイレに行っていないことに気がつくのもしばしばです。組合の会議があるときなどはいろんなことを意識的にカットして行かなければなりません。
 いま、振りかえってみると、自分の子どもが小さい頃は家事をまともにする時間が確保できず家の中は散らかり放題でした。その日その日を乗り切るのに精いっぱいだったのです。一日の労働時間は八時間ですがほとんどが十時間は働いているでしょう。
 教員は原則として時間外勤務はないということになっていますので、オーバーした分はその前後の日に勤務時間を減らさなければならないのですが、実際には変更できていない状況です。さらに部活動については毎日の朝練、土日の練習、大会引率などで時間とエネルギーを注いでいる人が数多くいます。

A 県教委も異常な事態に気づき十年ほど前に勤務の適正化の方針とそのプログラムを出しましたが、市町村教委も現場管理職も具体的な手立てを示さず、ちっとも良くなっていません。適正化委員会を職場に作って効果を上げている職場も少数ながらあり、それを見習って行こうと思っています。また、一週間に一回はできるだけ早く帰って頭と体を冷やそうと努力はしているのですが、なかなか…。

分断の広がりと人間関係の崩壊

――病休、とくに精神疾患が増えていると言われていますが。

A 教職員の病休は全国で七千人、その内の半数以上三千八百人が精神疾患で、十年で三倍と急激に増えています。統計に表れない短期の人を考えると何倍にもなると思います。
 私の周りにも休んでいる人がいますし薬を常用している人もいます。多忙な毎日の中、自分より働いていないと思う人に対してきつい視線を持つ人が増えているように思います。分断され、互いの大変さを理解できない関係性が事態を悪化させているようです。

B 多忙とストレスの影響が大きいですね。子どもとの関係づくりや授業の問題、学級崩壊、保護者、管理職、同僚との軋轢、焦りと不適切な対応の悪循環など病に至るきっかけはたくさんあります。それでも組合員なら相談する仲間がいて場所もありますから少しはいいのですが、組合にも加入していない人は孤立して深刻な事態に陥っているのでは、と思います。
 また、校長と教頭の関係が殿様と家来のような支配関係になっていて病休に追い込まれる教頭もいました。病気にはならなくとも「校長になって霧が晴れた心境だ」という手紙をよこした元同僚もいます。

主任制導入後三十年の現実


――主任制度が導入され三十年になりますが、どうなっていますか。

A 主任が中間管理職になっているという実態にはないと思いますが、非組合員の世界では誰々先生ではなく「主任」と呼ぶようになっていると時々聞きます。若い人たちは主任制を上下関係として従順に受け容れ敏感に反応するようになっているのかもしれません。

B 私の職場では主任になったら主任手当を拠出するということを分会で確認しています。非組合員を除いて全員が出しており、中間管理職という意識はありません。ただ、市や県全体を見ると主任制闘争は過去のものとなり手当拠出者も減っています。小学校の場合は教務主任が教頭昇任のステップになっていますね。

――管理体制はどうなっていますか。

A 初任者研修や五年十年毎の経年研修などが強化されています。内容云々というよりは研修出張のための補欠授業の準備や部活への対応、授業研究発表に追いまくられることで、独自に考え活動するという気持ちそのものを失ってしまうようになっています。管理のためには効果絶大です。

B 多忙化は政策であり管理の方法としては最上だったのではないでしょうか。でも、東京都のように、職員会議で挙手採決することはまかりならないとか、校長が上から教職員に方針を押しつける場として職員会議を支配するようにはなっていません。職員会議等が指示伝達の場になりがちなところも多いのですが、出された意見が無視されるということはありませんし、意識的に発言することでこちらの意向を反映させることはできています。 (つづく)



光輪の夏!!決起集会

組合つぶしと闘って10年勝利までもう一歩だ!


 八月十一日、入谷南公園で「光輪の夏!! 06夏の決起集会・デモ」が光輪モータース闘争支援共闘会議、全統一、同光輪モータース分会の主催で開催し、三百人の労働組合の仲間が集まった。
 光輪モータース闘争支援共闘会議議長の中岡さんが「組合つぶしとの闘いは十年になる。裁判で勝利判決後、職場に戻そうとしない会社に対して、百日間の座り込みを行い、ついに割田さんの解雇撤回・職場復帰を勝ちとった。光輪は百四十億円の負債を抱えて、資産は他人に渡っている。偽装倒産もありうるが、みずほ銀行の責任をきちんととらせよう。勝利はもう一歩の所まできている。がんばろう」と主催者あいさつをした。
 この後、参加した各団体からの連帯アピールが続いた。全労協議長藤崎さん、支援共闘の副議長の平賀さん(全国一般南部支部委員長)、東部全労協、荒川区労協議長、神奈川シティユニオン、東部労組、国労闘争団岩崎さん、埼京ユニオン、全石油昭和シェル労組、電通労組、下町ユニオン、ネットワークユニオン、台東連絡会、郵政ユニオン、東水労、全日建運輸連帯、全統一各分会。
 倒産攻撃がかけられ、板橋にある山本製作所の責任を追及するために遠征団を組んで闘っている韓国ヤマモト労組のシン・ジョンスンさんは「韓国ヤマモトは日本の山本製作所の百パーセント出資で、一九七三年に設立された。十年程前に日本社長から韓国の社長に代わるという交代劇があった。会社の経営が思わしくなく、無理な要求を労働者に押しつけるためのものだった。会社はリストラを強行し、会社をなくそうとしている。六月三十日に工場の閉鎖を通告してきた。七十二人の従業員が職場を追われて闘っている。本社の日本の山本製作所に雇用の確保と謝罪を求めてやってきた。要求は雇用の保障。ご支援をよろしくお願いします」と支援を訴えた。
 全統一の鳥井書記長が十年間の闘いの経過を報告し、勝利宣言を行った(別掲)。最後に光輪分会の大原分会長が「十年間いろいろなことがあった。仕事を取り上げられたりもした。割田さんの解雇撤回の勝利は闘いの自信になっている。若林社長の責任を追及し、そして私たちは職場を守りぬく。自信の持てる職場を勝ちとっていく」と決意表明を行った。
 各労組の旗をなびかせて、上野駅浅草口の一角に光輪ロードと言われる光輪モータースの大きなビルや店舗が密集一角にデモ隊は向かった。店舗の前で何回も、「若林社長は団交に応じろ」「組合敵視をやめろ」とシュプレヒコールを繰り返した。(M)

全統一鳥井書記長の報告から
10年目の勝利を確認し、さらに光輪闘争の完全勝利を


 一九九六年九月に全統一光輪分会は公然化し十年が経った。さまざまな組合つぶしに対して闘ってきた。労働組合としての役割を果たし旗を守ってきた。砂田書記長に対する襲撃事件、犯人は捕まっていないがむき出しの暴力で、家の前で拉致し、両手両足をめった打ちにし、足腰を立てないようにするひどいものであった。当人は家族の支えもあって、こうした暴力を打ち砕くと職場復帰して闘っている。
 そして二年前に、割田さんに対して一方的に懲戒解雇をしてきた。地位保全での仮処分、地裁で解雇の無効を勝ちとった。それでも職場に戻さない若林社長に対して、百日以上にわたる座り込み闘争を分会と地域の仲間で行った。若林社長は「会社に行くこともできない。なんとかしてくれ」と回りにもらすようになった。ついに七月四日に和解が成立して、割田さんは職場復帰した。割田さんの職場復帰は本当に大きなことだった。
 いったん、職場からはじかれても、職場復帰ができたということは分会の職場内での闘いがあったからこそだ。ここで、十年間の闘いの勝利宣言をしたい。組合を組織した時はほとんどが二十代であった。十年間の闘いで若者たちが労働組合の役割が何であるのかを――労働組合は大切だということを確認してきた。
 社会を見渡せば、労働組合の役割を果たしているのかが問われるような事件がいっぱい起きている。三菱ふそう自動車、トヨタ自動車、パロマだ。そうした企業にも職場に労働組合があるだろう。商品に問題があることを労働者は一番よく知っている。もし労働者が声を上げていれば死人がでなかった可能性がある。労働者や労働組合が声を上げることができない状況がある。社会の公共性を労働組合がしっかり果たしていく大切だということを見てとることができる。
 光輪モータースは経営不振を理由に、会社を整理するのか再建するのか考えているようだ。いずれしても、組合は事業を継続していくということでやってゆく。十年間の闘いの成果を地域や職場で生かす闘いをやっていきたい。(発言要旨、文責編集部)


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