もどる

民主労組運動と常設連帯体                かけはし2006.9.18号

「狭小な」階級利益の放棄を要求する民族主義運動陣営


現場の自発的要求ではない


 常設連帯体論は特定政派、すなわち民族主義運動陣営の戦略路線だ。もともとは単一連帯戦線体論として提起され、「単一」ということの画一性、「戦線」という表現が持っている特定戦略の含意などが問題提起されると、名称を常設連帯体へと変えたのだ。その意味では大衆運動の自発的な要求だとの主張は事実ではない。
 民主労総の場合、05年の1月と9月の代議員大会において「汎民衆陣営の連帯戦線体」という名称によってこの案件が処理されたが、充分な討論の過程もなしに、それこそ「みんな一緒に団結してうまくやろう」式に処理され、特定政派の見解であることは隠ぺいされた。現執行部は名称を「進歩陣営の総団結体建設方針」へと変えたが、その内容は全国連合、南北共同宣言実践連帯、民衆連帯の幹部らの主張と大きく異なってはいない。

「すべての階級階層」の本質


 彼らの主張は大きく2つに要約できるが、まず彼らは常設連帯体建設の目的が「民族自主化と民主連立政府の樹立」にあるということを明確にしている。南北共同宣言実践連帯の場合、韓国社会は米国の隷属状態にあると判断し、これを克服するためにはすべての階級階層が結束した統一戦線を通じて自主的民主政府を樹立しなければならない、と主張している。ここで「すべての階級階層」という表現を用いていることからも分かるように、その構成もまた没階級的だ。
 実践連帯の中央委に提出された「進歩陣営の連合戦線体建設のための戦略報告書」によれば「連合戦線の使命と目標を実現する方法は労働者、農民、青年学生を中心に知識人、都市貧民、良心的宗教人、愛国的軍人、中小商工人、民族資本家、進歩的改革政治人に至るまで」と表現している。これは民族の自主化と統一のために狭小な(?)階級の利益を放棄し、労働者階級が資本家階級とともに行動せよとの主張であり、ここで言う「進歩的改革政治人」とは改めて言うまでもなく、開かれたウリ党などブルジョア政党所属の政治人らを指しているのだ。
 このような主張は05年7月25日に発表された「自主を目指し統一を実現する民主連立政府を構成しよう」という声明の延長線上にあるのであり、彼らは「民主連立政府の参与対象は6・15支持勢力であり、現実的には民主労働党を軸として、開かれたウリ党、民主党、ハンナラ党内の改革志向勢力」だと明示している。
 一方、民主労働党の位置づけもまた戦線体の下位の範疇として認識されている。民衆連帯の政策委員長の場合、民主労働党『理論と実践』05年8月号で「進歩政党(民主労働党)は『民衆陣営の常設連帯体』が制度圏に派遣した政治的代表体だと言えるのであり、『民衆陣営の常設連帯体』は進歩政党の大衆的組織的基盤」だと主張している。
 しかも民主労総の組合員用の資料集では「民主労働党は運動圏政党から国民政党へと発展しなければならない」とまで表現されている。
 次に、統一連帯と民衆連帯の統合だ。民衆連帯はIMF汎国本(汎国民対策本部)の後身として2003年に創出された。民衆連帯は労働者、農民、貧民、学生はもちろん、韓国社会の進歩的な社会団体の大部分が結集した常設的な共同闘争体だ。
 常設的だと言うことは事案別の一時的な連帯体ではないということであり、共同闘争体だと言うことは構成主体間の互いの政治的見解の違いがあるにもかかわらず最小限の共通分母、具体的には「反新自由主義」という旗じるしの下に団結して闘うことを目標とする、ということだ。これは民衆連帯の綱領にもハッキリと明示されている。
 統一連帯は2001年に創設された常設連帯体で、「6・15南北共同宣言の実現と韓(朝鮮)半島の平和のための統一連帯」という名称からも明らかなように統一運動を目標とする組織であり、そのため統一運動をしない諸社会団体は参加していない。このような点で民衆連帯と統一連帯とは、その性格が異なる組織なのだ。
 ところで、この統一連帯が常設連帯体の建設を主張しており、民族主義陣営のもうひとつの組織である全国連合は、常設連帯体の建設を目標として組織の自主解散決議を行った状況だ。統一連帯は06年の総会で特別案件として単一連合戦線体の建設を採択しており、彼らは現在の情勢は南北統一の機運が高まっており、そのために民衆連帯と統一連帯は統合すべきだと主張している。
 民衆連帯の政策委員長チョン・テヨンは民主労働党機関誌で「南側の民衆運動勢力は南側の6・15共同委員会を主導していかなければ」ならないし、このために「民衆陣営の常設連合体が建設されれば、この組織が6・15共同委員会に参加し、統一連帯体が担当してきた役割をさらにしっかりと遂行できるだろう」と主張した。
 チョン・テヨンの主張は南と北そして海外の常設的な共同統一運動機構である6・15共同委員会の発足によって統一連帯の位置づけや役割があいまいになり、そのままにしておけば統一連帯の弛緩が現れることから、統一連帯と民衆連帯が統合し民衆陣営の常設連帯体を作り、この組織が6・15共同委員会に参加し、統一連帯が担当していた役割を遂行しようというのだ。このような主張は政治的見解の違いにもかかわらず左と右がともに反新自由主義の常設的な共同闘争体を結成した現在の民衆連帯のありようを根底から否定する特定政派の宗派主義的な見解だ。

なぜひとつの枠組みなのか

 連帯体の重複と乱立は、これらの民族主義運動陣営が大衆組織を説得する主たる論拠として提示しているが、実像は論理の飛躍そのものだ。
 06年7月13日付で提出された民主労総の組合員用討論資料集「進歩陣営の総団結によって世の中を変えよう」の場合、総連盟の加入連帯単位を一覧表として示し、連帯単位の重複や乱立を常設連帯体あるいは総団結体の建設の根拠として提示している。だがその内容を見ると、事実とは異なる個所が相当に存在する。
 まず、提出された連帯の単位数は31個だが、実際にはこのうち一時的共同体の場合、すでに機能を終えていたり、解散した単位が少なくない。例えば「WTO反対国民行動」はすでに解消しており、韓米BIT汎対委、APEC反対国民行動は一時的共闘体で、今は存在していない。
 一方、民衆連帯傘下の特別委員会で反世界化運動機構を統廃合しようとする試図が主要連帯体などの反対にあって、一種の縫合策によって発足した「新自由主義の世界化反対民衆行動」の場合も、昨年の香港閣僚会議の闘争以降、現在はその機能を果たせずにおり、現在の情勢では韓米FTA阻止汎国本に代替されたと言えよう。このような状況はXファイル共対委、4・20障がい者共同闘争団、わが国のコメを守る食糧主権守護国民運動本部も同様だ。
 一方、民主労総総連盟があえて結集しなくともよい連帯体もある。代表的なのが朝鮮日報反対市民連帯、国際通商法制定連席会議などだ。似たようなものでは言論改革国民行動、言論改革市民行動などだが、少なくとも最低限のレベルで名義程度をともにするという状況であるならば、これをもって「組合員らにとって財政負担が大きく、常勤者が不足する」式に主張する根拠はない。しかもアジアの平和と歴史教育連帯などは、なぜ総連盟が加入したのか、充分な説得力はない。
 このような状況であれば、31個のうち常設的に結集するのは10余個内外であり、この中で現在時点で民主労総が安定的に結合し、人材を出して財政分担をしなければならない単位は、さらに少なくなる。こういった点では、見せかけを膨らませている資料だと言えるのであり、総連盟レベルで行政的に整理できる問題を常設連帯体建設の根拠として提示しているのは、それこそ論理的な飛躍だ。
 一方、連帯体の重複や乱立という表現自体が特定の政治的意図の産物だ。すでに言及したように、05年の反世界化運動に関連して民衆連帯の特別委員会で反世界化運動関連の連帯体などを統廃合しようとする一連の流れが失敗したケースのように、反世界化運動をはじめ連帯運動の中には、それぞれの独自的な領域が存在しており、このような闘争のさまざまな流れが、この間の反世界化・反新自由主義闘争の流れを形成してきたのは明白な事実だ。
 各個躍進を克服しようとの趣旨で共同闘争を展開するのは必要だけれども、各連帯体をひとつの連帯体、あるいは戦線体に仕立てて解決することはできない。しかも単一の闘争の求心をうち立てるとの名分のもとで、すでに存在している各連帯体に対して民衆連帯の政策委員長の主張のように「連帯体なのかひとつの団体なのかが判然としない団体もあり、一部の団体が該当領域で主導権を行使する窓口として活用するために競って連帯体を作っている」式に貶(おとし)めているのは、深刻な問題と言わざるをえない。
 2006年現在、民衆連帯があるにもかかわらず、韓米FTA阻止汎国本として反世界化闘争戦線が形成されていること、まさにこれが韓国社会の民衆運動の現在の水準と状況とを示しているのだ。
 多様な政治的見解にもかかわらず共同闘争戦線を構築しようとする努力が存在し、汎国民教育連帯のように事案やテーマの特性上、固有の質を持たなければならない連帯体の運動がすでに存在しているのに、無理に特定政派の政治的目標の下で、現存している連帯体をひとつの枠組みに再構成しようというのは現実を恣意的に解釈する主観主義的な誤りと判断にすぎない。

代議員制と組織運営体系

 大衆組織である労働組合が代議体系をとっているのは民主的な意思決定のための最小限の装置だ。政治組織の場合にも代議体系を置いて民主集中制を具現しようと努力している。この場合にも多数決の原則が一方的に貫徹されるというよりは批判の自由と行動の統一という原則の下に少数の見解を反映しようと努力する。
 ところで共同闘争体、あるいは連帯体は運営の原理に違いがある。反自由主義の共同闘争を行うけれども民衆連帯の中には大衆組織から政治組織に至るまで、そのスペクトルが極めて多様であり、政治的見解や運動の歴史の異なる諸集団が存在する。
 そのために一般的に最高議決機構として代表者会議を置き、充分な討論の過程と合意とを通じて主要な事案についての決定を行う。これは、合意がなされない事案はその共闘体あるいは連帯体の公式の事業としては決定できないことを意味する。
 実際に04年にノ・ムヒョン政権が弾劾された時、民衆連帯の中には弾劾反対運動をすべきだとする主張や弾劾反対運動をしてはならないとする主張が厳しく対立し結局、民衆連帯の名義で弾劾反対運動に参加はしなかった。それにもかかわらず主要な執行幹部らが弾劾反対運動を行い物議をかもした経過がある。このように共闘体あるいは連帯体は相異なる政治的見解を尊重するという気風によって討論と合意を通じて意思決定の過程を踏んでいく。
 ところでこの連帯体の中に代議員体系を置く瞬間から、このような気風は損なわれる危険に直面する。常設連帯体の提唱者たちは基層の参加を保障するとの名分をもって代議体系を主張しているが、実際には多数による少数意見に対する暴力、あるいは多数派の横暴という歴史的先例を繰り返しかねない。
 90年代中盤に全国的な共同闘争体として機能していた全国連合が特定政派の組織へと固まっていったのは、まさに特定政派の路線をもって全国連合という共闘体を強制しようとしたことに、その原因がある。
 当時、全労協、全貧連などの主要大衆組織が脱退したのは全国連合の代議員大会で大統領選挙をめぐる政治方針の票決を無理に強行した政派の行為が主たる原因と見なされてきた。
 これについて民衆連帯の企画団会議に提出された民衆連帯幹部による問題提起では「全国連合からの大衆組織の離脱は、いわゆるPD系列勢力の離脱と呼応したもの」だと事実を歪曲しているが、このような政派的立場の違いは論外としたとしても、明確な事実は、代議体系を通じた意思決定の過程は共闘体のありようを逸脱するもので必然的に民衆運動陣営の団結を損なう逆機能を果たしている。このような理由から民衆連帯に参加している主要大衆組織のひとつである全貧連の場合、代議員体系を置いていることに対する反対意見を持続的に提起している。
 一方、代議体系を置いているのは、民主労総はもちろんだが、その他の大衆組織、あるいは民衆連帯に参加している構成員らに対する政治的規制力や財政的負担を与えるもので、現在の韓国社会の民衆運動陣営の状態や水準を考慮するとき、極めて大きな政治的負担とならざるをえない。

運動の豊かさと意見の多様性

 運動陣営の団結は必要だ。問題はその団結の原則と内容だ。常設連帯体の主唱者らは各種の文書で政派的対立や葛藤を強調するが、これは正しい問題の設定ではない。この場合「政派=運動を阻害する要素」式のイデオロギーを伴っているが、これは極めて危険な発想だ。
 韓国社会の性格、変革運動の成果の経路、労働者の政治勢力化の方向などにおいて多様な政治的見解が存在することは厳然たる現実であり、このような立場の違いにもかかわらず民衆連帯のように共同闘争戦線を工夫してきたのだ。
 そしてさらに重要なことは、このような多様な政治的見解や路線論争が変革運動を豊かに作ってきた、という事実であり、これを否定して画一的な思想を強要したり多数の論理によって少数の見解を黙殺することこそが運動の発展を阻害した。
 その代表的なものが、スターリン主義の弊害と、その亜流とも言うべき北韓(北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国)社会主義の現実だろう。このように北韓問題、統一問題など政治的見解の違いにもかかわらず、韓国社会の進歩陣営は大衆組織のレベルにおいて、また政治組織のレベルにおいて反新自由主義を旗じるしとして団結してきていたのだ。
 重要なのは政派の存在ではなく、政治的見解の違い、政派的違いにもかかわらず、労働者階級をはじめとする基層民衆たちの利害や要求、ひいては労働解放という目標に向かって一緒に共同闘争を行うことだ。そしてこのためには政治的見解の違いを尊重し、充分な討論と合意を通じて共同闘争の気風を樹立することだ。万一にも合意のできない政治的違いが存在するならば、それを認め合う中で合意できるレベルからともに行動することが本当の団結を実現できるだろう。
 そしてさらに残念なのは、常設連帯体を提唱している同志たちが民主労総と韓国労総の統合を主張し、あまつさえ大衆組織の代議員大会や民主労働党の議決構造の中で、この案件の通過をあたかも政治方針であるかのように提示している、という事実だ。
 これは大衆組織の独自性を損なう深刻な問題であり、民主労総など大衆組織は断じて特定政派の私有物ではないし、またそうあってはならない。(「労働者の力」第108号、06年8月11日付、キム・テジョン/会員)


もどる

Back