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「原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島」          かけはし2006.8.7号

戦争犯罪・人道に対する罪でトルーマンらに有罪判決


 【広島】一九四五年七月十六日、ロスアラモス近郊のアラモゴードでの人類史上初の原爆実験の成功から核時代は始まった。資本主義の高度な生産力が途方もない破壊力に転化した。六十一年たった二〇〇六年七月十六日、被爆地・広島で、この原爆投下行為を犯罪とし、実行行為者を有罪とする判決が民衆法廷という法的な手続を経てはじめて下された。

被爆が人体にも
たらした影響

 原爆投下を裁く国際民衆法廷・広島は、広島平和記念資料館メモリアルホールで、七月十五日〜十六日両日開廷された。初日二百五十人。二日目二百七十人。昨年の被爆六十年の十二月開催が延期されていたものである。主催は同実行委員会。なお、起訴状と国家賠償を求める訴状は、七月四日アメリカ独立記念日にアメリカ大使館に送達された。
 司会は、被爆者問題に長年関わっている舟橋喜恵実行委員(広島大学名誉教授)。開会あいさつを坪井直共同代表(日本被団協、広島県被団協)が行った。経過説明をこの法廷の提唱人でもある田中利幸共同代表(広島市立大学広島平和研究所教授)が行い、三人の判事団が紹介された。レノックス・ハインズ教授(米国、ラトガーズ大学法学部、国際法・刑法、国際民主法律家協会〔IADL〕終身国連代表、フィリピン国際民衆法廷判事)、カルロス・ヴァルガス教授(コスタリカ、コスタリカ国際法律大学法学部、国際法、国際反核法律家協会副会長)、家正治教授(姫路獨協大学法学部、国際法、国際機構論、神戸市外国語大学名誉教授、日本国際法律家協会副会長)の三人はいずれも国際法に関する権威である。
 判事団指揮の下で開廷した。起訴状を検事団長の足立修一さん(広島弁護士会)がパワーポイントを使って読み上げた。足立さんの熱意がなければこの法廷は実現しなかった。共同謀議者たる被告人九人、実行行為者たる被告人十一人(双方に重なっている被告人がいる)。計十五人の被告人について、次の二つの罪名と罰条を掲げている。第一に、通常の戦争犯罪(極東国際軍事裁判所条例第5条ロ)、第二に、人道に対する罪(極東国際軍事裁判所条例第5条ハ)。
 次に、アミカス・キュリエ(法廷助言人)意見として、大久保賢一さん(埼玉弁護士会)が米国政府の立場=原爆投下の正当化の論理を中心に非常に鋭く述べた。そして、争点整理、立証計画説明を経ていよいよ立証に入った。
 証人の宣誓後、最初に、「被爆の影響」について、鎌田七男さん(広島大学名誉教授)がパワーポイントを使い証言した。尋問は、秋元理匡さん(千葉弁護士会)。鎌田さんは、一九六二年に広島大学医学部付属病院被爆内科助手を皮切りに広島大学原爆放射能医学研究所(原医研)に長年勤務され(1985年同教授、1997年同所長)、二〇〇〇年の退職まで三十八年間幸い転勤がなく、それゆえ被爆者臨床データを途切れることなく誠実に追究され、学問的には第一人者であり、共著に「原爆放射線の人体影響1992」がある。現在、広島原爆養護ホーム倉掛のぞみ園園長でもある。原爆放射線の人体への影響を簡潔詳細に証言した。直接被爆、外部被爆にのみ絞った証言である。それゆえ現在闘われている原爆症認定集団訴訟の攻防点からすればオーソドックスな証言である。

三人の被爆者
の克明な証言

 いよいよ三人の被爆者証言に移った。
 最初に、広島平和記念資料館(原爆資料館)の元館長、高橋昭博さんである。
 「一九四五年八月六日午前八時十五分、世界最初の原子爆弾が広島の上空で炸裂しました。私は中学二年生十四歳でした。爆心地から一・四キロメートルの校庭で被爆しました。人間の想像をはるかに超えた強烈な熱線、爆風、放射線の複合作用によって、広島の街は焼き尽くされ、市民は殺し尽くされました。こうした無差別爆撃は倫理やルールのかけらも存在し得なかった残虐非道な行為と言うほかはありません。戦争に勝つためには、都市を破壊し尽くし、武器を持たない一般市民を完膚なきまでに殺傷することが正当化されました」と冒頭述べ、被爆後の様子を(故・四国五郎さんが描いた絵44枚で構成された)パワーポイントを交えて詳細に証言を陳述した。
 「軍国少年」がいかに被爆し生き残りえたのか、六十一年前の光景がまざまざとよみがえった。証言の最後に、米国政府に対して「原爆投下が実験であったことを認め大統領がすべての被爆者に対して謝罪することを求める」と高橋さんは結んだ。
 次に、長崎の下平作江さんが証言に立ち、下中奈美検事(広島弁護士会)が尋問した。
 「私は、城山国民学校五年の十歳のとき、爆心地から八百メートルの防空壕の中で被爆した。防空壕から出た子どもは皆死んだ」と語り、戦争と原爆が肉親を奪ったこと、妹が戦後自殺したこと、自らも四度の手術を受けたこと(子宮・卵巣・盲腸・胆のう)、絶望しながらも自殺せず、三十年前から語り部を始めたことを証言した。米国政府に対しては、「戦争をしない、核兵器廃絶をすること」が謝罪の意味であると力強く要求した。
 次に韓国の郭貴勲さんが証言に立ち、崔鳳泰検事(韓国・大邱地方弁護士会)が尋問した。
 郭さんは、韓国人であることを否定され、徹底して皇国臣民教育を受けたこと、すなわち日本による植民地化・強制連行による被害、米国の原爆投下による被害、戦後の日本政府と韓国本国政府による放置の被害、いわば三重の被害について告発した。日本軍に徴兵され、二十一歳のとき、白島で被爆した。
 日本の精鋭部隊が竹やりで最後の決戦に臨もうというときに、軍事的には原爆投下の意味は全くなかったことを自身の体験から述べるとともに、米国政府に対しては、「原爆投下の真相を明らかにし、公式な謝罪をし、国家賠償をし、教育を通じて後世に継承させ、原子爆弾製造・使用に関わった人を処罰すること」の五点を明確に求めた。

原爆投下に至る
事実関係の究明

 七月十六日の二日目は、立証の続きとして、「原爆投下に至る事実関係」を荒井信一さん(駿河台大学名誉教授、日本の戦争責任資料センター共同代表)が証言し、足立検事団長が尋問した。名著『原爆投下への道』がある。証拠資料は、米国政府自身が保存・公開した記録に基づく。荒井証言の骨子は以下である。
 対日投下使用決定は、一九四四年九月十九日のローズヴェルト米大統領とチャーチル英首相とのあいだでハイド・パーク協定による。一九四五年四月に大統領職を引き継いだトルーマンの下、目標検討委員会では、はじめから軍事目標にたいする精密爆撃ではなく人口の密集した都市地域が目標とされ、軍事目標主義を逸脱する無差別爆撃が人道にも国際法にも反することを知っていた上で取り繕う議論をしている。
 暫定委員会の大統領代理、バーンズ国務長官の報告を聞き、トルーマンは六月一日に投下を決断した。七月十七日からのポツダム会談では、ソ連スターリンに対して原爆実験の成功(7月16日)を踏まえて望んだ。日本からの終戦工作を受けていたスターリンは八月十五日の対日参戦をトルーマンに約束した。
 七月二十四日トルーマンは、八月十日までの原爆投下を繰り返すよう指示。日本に無条件降伏を呼びかけるポツダム宣言は七月二十六日に出されるが、ポツダム宣言十二条の書き換えにより明確な天皇制の保証は姿を消し日本政府の受諾を遅らせた。日本が天皇制護持の条件付でポツダム宣言受諾を決定するのは原爆投下、ソ連参戦後の八月十日である。原爆投下が実験であり、対ソ連外交の道具であることを証言した。
 次に、「国際法から見た違法性」として、前田朗さん(東京造形大学教授)が証言した。尋問は、井上正信さん(広島弁護士会)。前田さんは刑事法、国際人道法が専門であるが、この間の様々な民衆法廷運動の発展の中で重要な貢献をされており、この日の証言も簡潔明瞭であり提出された意見書「原爆投下の違法性」も力作である。
 そして最終弁論、アミカス・キュリエ最終意見を終えて、判事団が合議に入った。この間に特別企画として、特別証言「日本の戦争責任」を李実根(在日本朝鮮人被爆者協議会会長)さんが行い、ヒロシマ平和映画祭実行委員会協賛の「Original Child Bomb」が上映された。

判決内容と米
政府への勧告

 いよいよ判決要旨の発表である。判事団が登壇する。
 レノックス・ハインズ判事団長が事実認定を行い、起訴状の内容をおおむね認めた。カルロス・ヴァルガス判事が法的結論を述べた。まず、共同謀議者として起訴された次の九人の被告人、すなわち、フランクリン・D・ローズヴェルト大統領、ハリー・S・トルーマン大統領、ジェームズ・F・バーンズ国務長官、ヘンリー・L・スティムソン陸軍長官、ジョージ・C・マーシャル陸軍参謀総長、トーマス・T・ハンディ陸軍参謀総長代行、ヘンリー・H・アーノルド陸軍航空隊総司令官、レスリー・R・グローヴズ少将(マンハッタン計画・総司令官)、ジュリアス・R・オッペンハイマー(ロスアラモス科学研究所所長)の全員に対して、極東軍事裁判所条例5条ロ(通常の戦争犯罪)、5条ハ(人道に対する罪)につきすべて有罪。
 次に実行行為者として起訴された被告人十一人について、すなわち、ハリー・S・トルーマン大統領、ヘンリー・L・スティムソン陸軍長官、ジョージ・C・マーシャル陸軍参謀総長、トーマス・T・ハンディ陸軍参謀総長代行、ヘンリー・H・アーノルド陸軍航空隊総司令官、カール・A・スパーツ陸軍戦略航空隊総指揮官、カーティス・E・ルメイ第20航空軍司令官、ポール・W・ティベッツ中佐(エノラゲイ機長)、ウィリアム・S・パーソンズ大佐(エノラゲイ爆撃指揮官)、チャールズ・W・スウィーニー大尉(ボックスカー機長)、フレデリック・L・アシュワーズ中佐(ボックスカー爆撃指揮官)の全員に対して、極東軍事裁判所条例5条ロ(通常の戦争犯罪)、5条ハ(人道に対する罪)につきすべて有罪。大きな拍手が傍聴人から沸き起こった。次に、家正治判事が勧告を述べた。「勧告。当法廷は議与の判決理由および結論にもとづき、アメリカ合衆国に対し以下の勧告を行うものである。
 一 アメリカ合衆国は、一九四五年八月六日および同月九日の原爆投下が、国際法に違反することを認め、核兵器の投下は国際法上違法であるいう宣言を文書として、国立博物館へ永久に保存し公開しなければならない。
 二 アメリカ合衆国は、広島、長崎で被爆したすべての被爆者およびその親族に対し、公式に謝罪し補償を支払わなければならない。
 三 アメリカ合衆国政府は、核兵器を使った唯一の国家として、二度と核兵器を使用しないことを約束しなければならない。
 四 アメリカ合衆国は、核兵器を全面的に廃絶し、また地上から核兵器を廃絶するためのあらゆる努力をしなければならない。
 五 またアメリカ合衆国は、関係の場所に原爆被爆者慰霊碑を建立し、また原爆投下は国際法に違反することを教育制度の中で国民に教えなければならない。以上」
 大きな拍手でこの勧告は迎えられた。
 最後に判事団長のレノックス・ハインズさんが「この六十年間、このような法廷という形で世界はこの声を聞かなかった。歴史的な法廷である。この判決は台風になるであろう」と締めくくった。
 不十分な点は様々、当然あっただろう。数学者ジョン・フォン・ノイマンの責任は? 水爆の父・テラーの責任追及の道は? 何よりもブルジョアジーの責任は? 軍需産業の責任は?
 一九四五年八月六日広島、八月九日長崎へのアメリカ帝国主義による原爆投下に対して同年八月二十二日、アメリカ社会主義労働者党(第四インターナショナル)のジェームズ・キャノンその人は、公然とこの犯罪を糾弾した。トロツキー暗殺五年後のことである。帝国主義者、民主主義者、ソ連邦・スターリンはもちろん、アメリカ共産党、中国共産党も諸手をあげて歓喜の声を上げていたさなかである。
 今回の国際民衆法廷についてもっとダイナミックに大衆運動として盛り上げることも当然必要であったであろう。しかし、確かな一歩であった。判決報告集会をアメリカ合州国に乗り込んで行おうという気概である。    (久野成章)


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