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ベネズエラ 左翼から見た革命―チャベス主義の原罪    かけはし2006.8.28号

長い間、不平等な構造的基盤を強制された社会での闘争

ローランド・デニス

 
 ベネズエラのチャベス政権を左翼の側はどのように捉えているのか。その急進的な反米左派としての性格と、独特の「ボリバール主義革命運動」の民衆性について、旧来の「階級主義」的分析・規定を超えた認識が求められている。ここに掲載する論文は、ベネズエラの政治・社会の具体的な評価にふまえてチャベスとは独立した立場から社会自由主義的「反チャベス」派やドグマ的な左翼セクト主義を批判している。(本紙編集部)

通常でない多様性と異質性

 「チャベス主義」も「ボリバール主義革命」も伝統的左翼から出発した政治現象ではない。そしてそれは彼らの原罪である。それらは街頭の反乱と兵営の蜂起から出現したものであって、勝利への革命的プロセスを指示する前衛や左翼ブロックの合理的決定からではない。
 したがってわれわれは、社会と民衆運動の最もリバータリアン(絶対自由主義)的でラディカルな要素から吹き込まれ、いまや反資本主義と社会主義の旗を掲げている未知のきわめて複雑な現象を取り扱っているのである。
 しかしわれわれは、貧困と、「抽出経済」を基礎とした蓄積モデルによって危険な段階にまで至っている腐敗のために傷つけられた社会についても取り扱っているのである。それは基本的に石油代金によって存続する国家の従属的国民経済の問題であり、支配階級と政権の座についている政治的エリートとの間の再分配に関する合意(さらにそれは、まったく合法的なものでも公開的なものでもなく、したがってわれわれが生きているのは永続的に「罰せられることなき国家」である)を通じた利潤率への補助のおかげで再生産されている資本主義構造の問題なのである。
 すでにほぼ一世紀にわたって続いてきたわれわれの社会的構成体のこの構造的基盤は、きわめて不平等な社会(石油利得を得ている人びととそこから排除された人びと)を作りだし、同時に最も緊急で基礎的な民衆的要求(水、電気、住居、土地、仕事、教育、保健など)のために闘う民衆的抵抗運動への動機を引き起こした。そしてこの社会は、創出された富の生産と分配をめぐる中心的論議から圧倒的に排除された人びとの周辺的運動によって脅かされてきた。
 したがって「階級主義的基盤」があるのであれば、労働者運動やマルクス主義運動の一定の戦闘的中核と結びついた闘いが形成されていたことは間違いない。しかし何よりも、きわめて多様で異質的な闘いの歴史的潮流(文化的抵抗、解放の神学、シマロニスモ〔注1〕、居住区で要求される街頭民主主義、あらゆるタイプの社会運動、自然発生的民衆決起、民族解放運動、革命的ボリバール主義、武装闘争、ラテンアメリカ的な批判的マルクス主義、先住民族の運動など)の論議と影響が存在していた。ここに「ボリバール主義運動」の第二の原罪が存在する。この通常ではない多様性と異質性は、現在、ウーゴ・チャベスという人格によって代表されている。

ある種の左翼的批判の誤り

 「革命的セクター」、すなわち理論と実践との結合の必要性を求めて政治的・社会的闘争に参加している人びとは、われわれの歴史的責任、ならびにわれわれが生きている複雑な現実との整合性を持った行動路線の認識と規定という巨大な挑戦に直面している。
 それが容易ではなかったことは明らかであったし、その疑問と空隙を全体として明確にしてきた革命的左翼が、その結集軸を確認していくことは依然としてきわめて困難である。しかしわれわれの展望において、明確な誤りが再生産され続けている。おそらくそれは、あれこれの組織、グループ、潮流が、現実の混沌とわが国の支配秩序の「なにものももたらさない」危機から自らの身を守るために、確実性の領域内に逃げ込もうとする必要性によるものだろう。
 一方で、この政府の「階級的性格」(ブルジョア、プチブル)や、そこに貫かれている「ポピュリスト」的、「改良主義」的、「民族主義」的要素への評価から出発して、自らの言説をラディカル化している左翼が存在する。かくしてこの政府は、その宣言とは異なって、民族的・帝国主義的資本の利益を守るものとして非難される(われわれは、いくつかの労働者セクターできわめて活動的なトロツキスト潮流の多数派に言及しているのだ)。
 もしわれわれが公式的な社会学的把握の基準に止まるならば、この批判は完全に正しいかもしれない。それによれば、労働者と被搾取階級全体の代表によって形成され、そのようなものとして組織され、認められる政府という政治的想像力に照らして、この政府(プチブル、農民、周辺的民衆の政府)を批判することになる。
 しかしわれわれはそこで、おそらくは「愚かな」質問を提起する。パリコミューンと一九一七年から一九一九年のソビエト政権以後、この指針にのっとった政府、あるいは二年間以上「権力」の座にあった政府が、歴史上一つでも存在したのだろうか。もしあったのなら示してほしい。われわれはこうした状況の下で、この了解と行動のパラメーターが巨大なギャップと政治的無力さをこうむってきたことを歴史が示してきたと認めたい。

資本の没収と反帝国主義

 アナーキスト、自治主義者、評議会主義者、ドゥルティ(一九三〇年代スペイン革命の指導的アナーキスト)の同志たち、サパティスタは、労働の解放の手段として前衛党や国家を利用することの実行不可能性という点で、おそらく正しかったのではないか。この国家(イデオロギー的帰属は大した問題ではない)は、自らの中にすべての規則、文化、協定文、諸関係を集中し、資本主義の支配を歴史的に生存可能なものにしたのではないか。
 レーニン主義的伝統から受け継がれた正統派的な階級的性格づけは、支配秩序が依拠する社会的状況(多様性、発展の諸関係、社会的主体の相互関係)と、その外部では前衛の頭脳と神秘化の中でしか革命が不可能となるような新しい政治的価値、新しい抵抗様式、被搾取諸階級の相互作用の新たなスペース、新しい綱領的展望のいずれもに対して、過剰な侮蔑をもたらしがちである。
 われわれは、伝統的な労働者階級の役割、生産手段の獲得と統制という創始者的行為、その行為が中心的な位置を占める権力のきわめて具体的な形態での組織化への前進を無視すべきだと言いたいのではない。現に挑戦すべきことは、われわれの頭脳から「階級」という社会的強迫観念を除去することであり、これらすべての労働者の力学の中に階級闘争の全体性、反乱の経験のもう一つの表現を見ること、被搾取者の軌を一にした決起の中から登場する新しい社会秩序の構成を見ることである。建物の占拠はそれ自身、農村の借地や工場の占拠より重要なわけではない。最も重要な事実は、資本の没収というこうした現象の増加であり、その規模の大きさであり、資本主義国家の攻撃に対するその政治的創造性と防衛能力である。
 もう一つ広がっている左翼からの批判は、われわれが急進的民族主義と特徴づけるものである。こうした批判の焦点はもはや政府の階級的帰属にあるのではなく、主権の問題、より具体的には、政府がその「反帝国主義」的立場をあいまいにしているという問題である。
 彼らは、政府は米帝国主義の支配に反対する宣言を行っているにもかかわらず、「混合企業」を通じて石油多国籍企業(いまや天然ガスの採取にまで拡大している)との私的提携が行われているという事実を批判している。彼らはまた、エネルギー・オルタナティブとしてのオリマルジョン(燃料として使用される炭化水素化合物の乳濁液)を放棄したことに反対している。

新自由主義の「かいらい」か


 われわれはここに、「生産モデル」全体に対する疑問と関連した多くの疑問を見いだしている。鉱山産業プラン、石炭関連プラン、南部の天然ガスパイプライン(注2)、ベネズエラのIIRSA(注3)への参加、対外債務支払いへの批判がなされている。それらは、開発主義的資本主義、従属と略奪の単なる再生産以上のものではない、という批判である。この「急進的民族主義」の最も極端な形態は、チャベスは社会主義者を偽装した新自由主義の「かいらい」以上のものではない、とするものだ。
 われわれは、政府とその経済政策(新しい生産関係の探究と多国籍資本との提携)にまたがって存在する戦略的「二重性」という批判に完全に同意する。混合企業の設立は、石油資本への大規模で受け入れがたい譲歩であることには疑問の余地がない。
 それ以外にも、ズリア地域での開発と石炭採掘プラン、採鉱活動(基本的にダイヤモンドと金)地域への多国籍企業の浸透方針、提案されている開発モデル、大陸統合のビジョンそのもの、金融資本の特権的役割への譲歩などのプロジェクトは、少なくとも「社会主義への移行」が依然として疑問に満ちたものであり、矛盾に満ちたものであることを明白に立証するものだ。
 しかしそれは、ウーゴ・チャベスとその政府が、帝国主義の人質以上のものではないことを意味するのだろうか。ウルトラ民族主義のいくつかの傾向に示される、事実に囚われ、事実を空虚化する公式的な推論は、彼らが完全に抽象的で政治的に無能であることを示している。われわれにとっての問題は、彼らの一部が「文明の衝突」(注4)や国家資本主義に対する闘いを語っているにもかかわらず、彼らが単純な非難やイデオロギー的宣伝以上のものを行っていないということである。
 彼らの立場からすれば、政治権力の神秘化や、人類の救済者として復活させられる歴史を超越したある種の本来的で純粋な共同体以外にオルタナティブは存在しない。そこには決して「民衆、運動、変革のための実在の今日的な集団的行動」は存在しなかった。この言説は、現実にはすべてが閉鎖的な陰謀や指導部間で解決されるか、「リヴァイアサン」としての国家に新たに押しつけられる綱領のおかげで解決されるということを意味する。国家がすべてを引き受け、敵は帝国主義である。神秘化以上のなにものかが生まれうるだろうか。
 最もラディカルな綱領は、一九三〇年代から四〇年代の大部分のラテンアメリカ左翼の古き良き綱領と客観的に類似している。それはペルーのAPRA(アメリカ革命人民同盟)、ベネズエラの民主的行動党のような政党を生み出したが、われわれは今日、それがいかなる結末を迎えたかを知っている。もし問題がチャベスと彼の政権にあるのならば、そのことはオリンポスから下ってきた神のごとき真の革命政府が、神聖な力と大量の命令や指令を携えて、新しい文明的現実の枠組みの中で絶対的主権を持った民族国家を樹立するということを意味する。それは基本的に、古い急進的左翼(少なくとも、それは最も一貫したエリートたちである)がソビエト・マルクス主義と民族解放の綱領、ならびにわがアメリカの地に特有な主意主義の子として囚われ続けている愚行の一つを念入りに繰り返すというところにまで至ってしまうのである。

チャベスは「ポピュリスト」か

 もちろん、自らの批判的観点をあらわにしている別の「左翼」の傾向も存在する。彼らはすべて「反チャベス派」であり、ペトコフ(注5)が述べたような「反ブルボン派」としての新自由主義左派であり、右翼の反対派に呑み込まれてしまっている。彼らの見解が問題にしているのは、「暴虐な独裁者」で「ポピュリスト」で「反民主主義」のウーゴ・チャベスというものであり、チャベスのイデオロギーはカストロ主義ないし「古代的」とされる。
 この論理は、ある種のアナーキストグループの中核にも見いだされるものであり、彼らにとって問題は多かれ少なかれ同一である。チャベスは軍事主義者だ、チャベスは権威主義者だ、などなどである。しかし実際のところ、こうした政治傾向と討論することはわれわれの利益にはならない。彼らはわれわれの政治的敵であり、もっと単純に言えば、彼らは討論に何も寄与しないからである。
 われわれにとって利益となるのは、きわめて左翼的であるとともに、より率直な別の批判である。われわれはそれを「民衆道徳」的批判と呼ぶことができる。批判や政治的姿勢としては、それはきわめてシンプルである。
 チャベスは正直な男で、真の革命家で、民衆が彼の理想に委ねることができる男だが、彼は裏切り者、偽善者、彼の権威を利用して不正をする者に取り巻かれており、そういう連中は政府与党、とりわけMVR、PODEMOS、PPT(注6)の中に組織されている。
 政党は彼らを、国家と組織された民衆セクターにおける政府の職務ならびにポスト全般の私物化のための道具として利用する。この批判は、ボリバール主義革命の主要な困難を腐敗と官僚制として捉え、大統領に対する全面的支持を繰り返しているが、革命的プロセスの政治的代表権を独占している新エリートからはますます距離を取るようになっている。
 この批判の最も重大な側面は、その分析の公正さや、その理論的深さ(そこには明白な弱さが存在する。チャベスの理想化、政府を個人に還元していることなど)にあるのではなく、それが大衆的性格を持った唯一の批判だというところにある。それは言葉のあらゆる意味において少しずつ「ポピュラー」になり、質的飛躍を強制されてきた。それは政治的事実の論評から腐敗と官僚主義という恥多き敵を破壊する政治的行動の戦略へと発展することを義務づけられている。
 それはわれわれが「プロジェクト・ヌエストラ・アメリカ」(注7)の中で呼んだ「すべての人びとにとっての理性」である。これは自己認識・ヘーゲル主義的自己反省としての啓蒙的「理性」ではない。それは単に革命的プロセスが最も生産的・変革的基盤の中で表現される、集団的理性の具体的領域である。事実それはすでに、動員、社会的不遜さ、絶対自由主義的・平等主義的精神の急進化、自己組織化の壮大なプロセスをもたらしており、事実上それはボリバール主義革命がイデオロギー的分野で構築した中心的ポイントなのである。それはまたわれわれのすべての希望が集中するスペースであり、もはや尊大な前衛としてではなく、物質的条件も情緒もこの民衆に同一化している革命的戦士としてのスペースなのである。

左翼は何を語るべきか

 前衛のサークルや民衆セクター内部での解釈を超えて、社会運動が、幾度も官僚的政府機構(土地委員会、地域協議会、保健委員会、エネルギー・水委員会)から組織化を促されてきたにもかかわらず、こうした指導部の組織から距離を取り、自らの政策と戦略を打ち立てはじめ、国家全体への批判的態度を発展させてきたことを理解することが、われわれの見解では重要なのである。
 それらは日々、急進化している。最も重要な自治的社会運動(農民、労働者に取り戻された企業、学生、先住民族)を擁するこの民衆運動の組織化された基盤は、革命の深化のために避けることのできない階級的基盤である。
 もしわれわれが、政治的行動と社会のプロジェクトを建設する共通の場を築くことがなければ、ボリバール主義革命はここ数年のうちに、チャベスとは独立して正義、自由、主権の構築を実践する真の現象としては消え失せるほどに衰退するだろう。
 今日、われわれは「最大級の混乱」の時期にいる。一方で帝国主義はベネズエラに攻勢をかけている。それはベネズエラを攻撃する軍事的プランとしての「プラン・バルボア」、「プラン・コロンビア」の展開であり、また選挙キャンペーン(一千万人の投票〔注8〕)やチャベスという人格をめぐる民衆的基盤の結束、そして政府の立場への圧力である。他方、われわれがその下で生活している制度の解体が、自治体や連邦政府のレベルで明らかになっており、それはしばしば絶望と境を接する集団的疲弊を生み出している。
 実際、制度的機関について、組織化と自己統治の社会的過程、協同組合や「取り戻された」企業での生産的経験・労働者の経験を統制しようとする傾向がますます目立っている。
 「最大級の混乱」状況を前にして、下部の指導部は、少なくとも四年間にわたって適用されたのと同一の図式を繰り返す傾向にある。「静かにしていろ。待機しろ。組織化を行え。敵を過少評価するな」と。しかし、これらすべてはいささか不適切なものと見られ始めている。集団的前進を行うことが必要である。
 今までのところ、この企図は興味深いものであったが不十分であった(動員は先住民運動、鉱山労働者、農民、とりわけ農業労働者によって開始された)。このような現象の出現に直面した国家機構は、鉱山労働者を抑圧できない時、彼らを資源に関する行政機構の中心に据えることによって中立化させようとしている。それは彼らの発展に応じるものである。この任命は、彼らの行動の「脱政治化」の傾向を強化し、階級的言辞ではなく協調の基盤としての統一を拡大することで彼らの戦闘性を除去するものである(こうした状況は、オルタナティブ・コミュニケーションスペースの多くで見られる)。

平等と尊厳のための闘い

 この状況は、政府と「非行政的」民衆運動との関係をラディカルに変革する新しい事態への質的飛躍を要求する。現在、批判的で戦闘的な中核がベネズエラ全土で登場してきた。彼らはボリバール主義革命を防衛するために闘っているが、同時に国家を変革過程の中心的テコと見なす制度的図式の疲弊に対する忠実な証言者となっている。
 われわれは、次の大統領選挙(二〇〇六年十二月)の中で、対話、動員、大衆集会を通じてこれらすべてのプログラムを合成することを軸に据えたオルタナティブな力学をその内部で作りだし、反官僚主義、腐敗と資本主義と帝国主義の攻撃に対決する闘争という課題を提起することによって、一歩前に踏み出すことを提案している。われわれはスローガンとして以下のように提案している。「革命を深める一千万人の意思を」。
 われわれはこのキャンペーンを「われわれすべての闘いのために」と名づけた。ベネズエラにおける「別の」キャンペーン(注9)は、闘争の中ですべてのコミュニティーが共有する「自治的な過渡的綱領」の基盤を立ち上げるために必要な動員を通じて、真の闘争が息づくようにするためであり、正しい言葉を見つけるためであり、下部民衆の中核を組織化できるようにするためである。
 このアイデアは、選挙へのキャンペーンに限定されるものではない。この理想は、二月二十七日(注10)を超えて進むためのものである。われわれは、革命的プロセスを効果的に深めることを可能にする共通の綱領とプランの基盤を持っている。
 政府与党への対抗を形成するためのこのイニシアティブにつながるすべての運動に共通する選挙チケットについての議論さえ行われている(注11)。これは重要な決定であるが、動員、集会、民衆闘争の自治と統一したラディカル化を特徴とする来年以後の革命的プロセスの新段階を主導する「貧者」のための綱領の作成という優先的目標との関係で、まだ後景に退けられている。
 このキャンペーンは、「われわれすべての闘争の司令部」を形成する統一会議の後で、一、二カ月後に開始するべきである。われわれの創造性と政治的意思は、前進にとっての決定的要素となろうとしており、われわれは自らをまったく異なった位置に見いだしたいと思っている。そこでは、集団の政治的利用ではなく平等と他者の尊厳のための闘いが優先性を持つのである。
(筆者のローランド・デニスは、ベネズエラのラディカル左翼潮流の一つである「プロジェクト・ヌエストラ・アメリカ」〔わがアメリカ・プロジェクト〕―4月13日運動の活動家)
(注)
(1)「シマロニスモ」は、アメリカ先住民、アフリカ、欧州の文化の混合に起源を持つ多くの新しい芸術形式から登場した「新世界」の文化的融合の最もオリジナルな構成要素の一つ。
(2)ベネズエラからアルゼンチンにいたる単一で統一した天然ガスネットワーク。
(3)南米の地域的インフラを統合するイニシアティブ。新しい道路、橋、水路、とりわけ熱帯地域とアンデス地域のエネルギーと通信の連携を建設する大規模な計画。それはALBA(アメリカのためのボリビアのオルタナティブ)の一環。
(4)ダグラス・ブラボーからの引用。ダグラス・ブラボーは長きにわたる反帝国主義活動家で、ベネズエラ革命党(PRV)とその武装組織である民族解放武装勢力(FALN 一九六二〜一九六九)の指導者だった。彼は現在、「テルサー・カミーノ」運動の主要な指導者。同運動はPRV―FALNを継承したもので、ウーゴ・チャベスは一九八六年まで同運動のメンバーだった。
(5)PRVとベネズエラ共産党の前メンバーであるテオドロ・ペトコフは、一九七一年に社会主義への運動(MAS)を創設した。MASは社会民主主義に転化する以前は、、スターリニズムに対する民主主義的批判の路線を取っていた。彼はその後、まぎれもなき新自由主義の立場を取るようになった。ラファエル・カルデラ政権(チャベス以前の最後のキリスト教民主党政権)の下で、彼は計画相となり、インフレと行政機構を縮小する新自由主義計画を適用した。彼は一九九七年にMAS多数派がチャベスを支持する決定を行った時に、MASを離党した。彼は現在、社会自由主義的反チャベス派左翼の主要な代表であり、二〇〇六年十二月の大統領選挙の候補者である。
(6)与党連合は以下の政党などから構成されている。MVR(第五共和国運動)は一九九七年にチャベスを大統領候補とするために創設された。PODEMOSはチャベスを支持してMASから分裂。その指導部は、チャベスの措置の急進化に抗議して二〇〇〇年にチャベス連合から離脱。PPTは一九七〇年代前半にPCV(ベネズエラ共産党)から分裂した「ラディカルな大義」の後継組織として一九九七年以後存在している。PPTはチャベス政権の主要なカードルを提供してきた。与党連合の中には、PCV(ベネズエラ共産党)もいる。
(7)「わがアメリカ・プロジェクト」
(8)次の選挙の正当性のためのスローガン。敗北することを知っている右派はボイコットを考えており、選挙に出馬しない。チャベスは一千万人の投票について語っている。
(9)筆者はここでサパティスタの「別のキャンペーン」に明確に言及している。
(10)一九八九年二月二十七日の民衆決起。
(11)ベネズエラでは投票は政党を通じて行われる。人びとはPCV、MVRや、チャベスを自らの候補としている他のグループへの投票を通してチャベスに投票することができる。
(「インターナショナルビューポイント」電子版06年7―8月号)


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