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静岡空港土地収用委第3回公開審理            かけはし2006.8.14号

地権者の意見陳述を圧殺

全国の連帯で強行路線をはね返そう


反対意見の陳
述を打ちきり

 八月一日、第三回静岡県収用委公開審理(東静岡・グランシップ)が開催されたが、またしても収用委は、反対派地権者の意見陳述を圧殺するという暴挙を強行した。
 土地収用裁決申請却下を実現する会は、七月十八日、収用委員会事務局に八十四人分の意見陳述人(一人十五分)の名簿を提出し、@任意交渉についてA調書作成過程についてB公益性の有無C得られる利益D失われる利益E住民参加手続きF事業認定過程での瑕疵G総論、について全面的な批判・反対主張を準備してきた。しかし収用委員会は、第三回公開審理を公益性に関する意見陳述を午前十時から午後三時間までと一方的に進行方針を設定してきた。
 約四時間の陳述時間では、到底八十四人の意見陳述を終了することはできない。収用委は、そのことを知っていながら、わざわざ四時間という短時間に押し込めようとしてきたのだ。会は、このような収用委の強引な審議方針に対して抗議し、陳述時間の拡大、八十四人全員の陳述を要求していった。だが収用委は、不誠実な対応を繰り返し、四時間枠で陳述せよと不当な指揮権を強行したのである。
 収用委のこのような強圧的な事前対応のうえで、会は、陳述打ちきり強行の危険性に備えつつ、藤澤弁護士をトップバッターに発言を行った。次々と陳述が続いたが、午後三時段階で、まだ十七人しか陳述していなかった。収用委は、シブシブと約一時間ほどの延長を認め、いわゆる「中立の立場で公正に審理」していこうとするポーズを示した。
 ところがだ。午後四時半、休憩し、五十五分に再開したところで収用委員長は、反対派の意見陳述を認めず、起業者説明の発言を求める発言をしたのだ。会は、この不当な指揮に対して抗議を行う。会場は、騒然となる。そんなことは無視して、この委員長の指揮を受けて、起業者がマイクを持って説明を開始しようとした。絶対に許さないと、反対派の仲間たちは発言席に駆けつけ、糾弾の嵐だ。さらに「ダイブ」してマイクをもぎ取り、不当な起業者説明を体を張って阻止しぬいたのである。
 会による断固たる抗議によって収用委は、休憩に入り、午後五時半再開。委員長は、「公益性議論は打ちきり。地権者は、意見書を提出してください。次回から損失補償関係をテーマにして審議します」と告知するだけで、さっさと逃げるようにして退場していった。最終的には、このように収用委の「審議加速終了作戦」どおり、地権者に意見書を提出させることによって書面審議にすりかえていったのである。

09年3月開港
というシナリオ

 静岡県は、税金の無駄使い・環境破壊の静岡空港の開港(二〇〇九年三月)をなにがなんでも実現するために「中立の立場で公正に審理」、「原則として公開」(静岡県収用委員会HP)していくという表看板さえも投げ捨て、今年秋の採決をめざしている。〇七年一月〜三月に補償交渉入り↓春、反対派土地の所有権を強奪、暴力的に強制収用を開始↓工事着工(約二十カ月)↓〇八年十一月一日、空港工事完成期日↓〇九年一月、国交省による空港供用調査↓三月、開港というシナリオだ。
 県収用委員会による公開審理という敵の土俵で闘っているがゆえに委員長の不当な指揮・審理運営など次々と直面せざるをえないが、「審議加速終了作戦」を許してはならない。本来地権者の松本吉彦さんは、総括集会で「今日の収用委を見て、十八年間、不誠実な態度は全く変わっていないことがあらためてわかった。これは県の体質そのものだ。人間そのものを尊重してやっているのか。これは基本的なことだ。このことを次回審理でしっかりと、正々堂々と述べていきたい」と怒りに満ちて発言していた。本来地権者、共有地権者、立木所有者のねばり強い闘いに連帯していこう。

ずさんな任意交
渉の実態を暴露

 前半戦の反対派の意見陳述を紹介する。地権者、立木所有者は次々と厳しく起業者を糾弾し、土地泥棒やずさんな任意交渉の実態を批判、暴露していった。中には、任意交渉の書類さえも届いていないケース、会って話し合おうと要求すると「そのような対応マニュアルがないからできない」などというお粗末なケースなど明らかになった。
 地権者の島野房巳さんは、@石川知事の「確約書」問題(任意交渉の継続)についてA過大な旅客需要予測に対して批判し、「空港建設は静岡県民にとってまったく必要がないものであり、土地収用だなどとは全国の嘲いものになるばかりだ。国民の権利の剥奪まで可能とする収用委員諸氏は重い道義的責任まで負っていることを強調しておく」と発言した。
 会の事務局長の増田勝さんは、調書作成過程の問題点についてビデオなどの映像証拠を示し、「土地調書、物件調書作成手続きの瑕疵は明白であり、土地収用裁決申請却下にすべきだ」と強調した。
 東京から参加した共有地権者の高橋千代司さん(三里塚・暫定滑走路に反対する連絡会)は、三里塚闘争の歴史と教訓から静岡空港不必要論を展開した。
 平田豊さん(全労協東京北部)は、「全労協の組合員たちも無駄な静岡空港建設について注視している。起業者は、任意交渉をちゃんとやっているようなことを説明しているが、書類郵送と電話での簡単なやりとりだけだ。いいかげんな任意交渉を続けているだけでも、土地収法却下事由だ」と主張した。
 さらに地権者たちは、土地泥棒のための調書作成過程の問題点を取り上げて批判した。
 第四回公開審理は、九月六日、(水)。第三回での地権者の意見陳述圧殺を強行した収用委の責任追及は避けてとおることはできない。収用委は、シナリオ通りに損失補償関係をテーマとした事務的作業に入ることを強行してくるだろう。冒頭から地権者と収用委の綱引きは、緊迫したものとなるだろう。静岡空港反対闘争に連帯を! 全国の力で収用委の暴挙を阻止していこうではないか。(遠山裕樹)




労働時間規制の撤廃反対!
人間らしく働くために共同アピール運動発足


 八月一日、東京の弁護士会館で「労働時間規制の撤廃に反対し、人間らしく働くための労働規制を求める 共同アピール運動 8・1発足集会」が開催され、百六十五人が参加した。
 集会は下町ユニオンの岡本さんの司会で始められた。冒頭、よびかけ人を代表して中野麻美弁護士が「一日八時間労働制はメーデーを始め長い時間と闘いの上に勝ち取った人間が人間らしく生きるための権利である」「小泉の勝利は人間の働く自由を奪うもので当初から疑問であった。今は社会の節目であり、闘う時に闘うことが重要であり、かならずや次の一歩となる」と述べた。
 次によびかけ人でもある棗一郎弁護士が「厚労省『素案』批判」と題して報告を行った。「戦後六十年をかけてもできなかった労働契約法が労働時間制といっしょにコンパクトにまとめて研究会報告として提案してきた。二〜三年の討論が必要だろうと思っていたが、今秋には法案としてまとめ、来年の通常国会では国会を通過させて成立させようとしている。この背景にあるのはアメリカ財界からの圧力であり、来年の参議院選で『格差社会』が争点になる前に決着つけようという魂胆である。厚労省案に反発している財界とも水面下での調整が続いている。闘いを急がなければならない」。
 次に審議会の労働側委員である連合の田島恵一さんが審議状況と公益・使用側、労働側それぞれの意見を紹介した。
 次に文教堂書店を相手に「残業手当支配請求訴訟」を闘っている二宮宏充さんが報告に立った。「もし日本型エグゼンプションが成立したら、私のような差別的労働条件が多くの労働者に強制されるし、たとえ不当だと思っても裁判に訴えることもできなくなる。なんとしても阻止しよう。私も裁判に全力で取り組む」と決意表明した。
 また五月に日本マクドナルドユニオンが結成され話題を呼んでいる中で、それに先んじて裁判闘争を始めた日本マクドナルドの高野廣志さん、すかいらーく過労死被災者家族の中島晴香さんが「夫・高雄が毎月百三十時間から百八十時間もの残業を強制されながら、約七百万時間にも及ぶ残業代を支払われないどころか一切謝罪しないすかいらーく」を訴えている裁判の状況を怒りを抑えながら詳しく報告した。
 最後に十一月二十八日に「日本型エグゼンプション=労働時間規制の撤廃に反対する全国統一行動を呼びかける」ことを確認して、共同アピール運動の発足を宣言した。(D)


コラム

ペット緑茶と「暮らしの手帖」


 各種の集会はもちろん、外出の際に今やペットボトルは欠かせない感がある。容器が軽く持ち運びが楽で、飲み終えたら所定の場所に捨てればいい。「水分補給キャンペーン」も消費に拍車をかけている。
 缶入り緑茶が初めて登場したとき、「誰が買うか」などと冷笑したのは私だけではないだろう。ところが昨今の健康志向も後押しして、「糖分ゼロ」の緑茶飲料は、巨大な市場に成長している。有名タレントを使ってさわやかなイメージを振りまき、あげくには「ダイエット効果」なども謳う。飲料メーカー大手の広告費の合計は、年間二百億円にも上ると、代理店は試算する。
 そんな緑茶について雑誌「暮らしの手帖・初夏号」が特集を組んだ。茶葉から始まるこの記事によればペット緑茶の原料代は市販茶の数分の一、一キロ三百円程度。輸入品にも負けない安さの国産品を使う。その茶葉で一度抽出した茶の成分を粉末化し、工場のボトル詰めラインで水に溶く。どのメーカーでも似たような加工業者に委託しているが、粉末化の技術は企業秘密。百花繚乱のペット茶は、ほとんど同じ工程で大量生産されているという。
 いかにペット茶の収益性が大きいか。ぎりぎりまで薄めた粗悪品を派手な広告で糊塗するメーカーの戦略と、これでもかと広告を垂れ流すメディア。それにまんまと乗せられる消費者たち。
 「暮らしの手帖」は、企業広告をいっさい掲載しない雑誌である。一九四八年、花森安治が創刊した。高校時代から雑誌の編集に携わっていた花森は、一九三三年東京帝大文学部に入学。ここで美術を学ぶが、やがて満州に出兵する。病気で帰国した後、大政翼賛会宣伝部に所属して国民の戦意を煽る。敗戦後はみずからを「戦犯」と規定し転向。強い悔恨と反省の念から同誌を出版。「一人一人の暮らしを大切にする」という理念で取材、執筆、カット作成、レイアウト編集をこなし、隅々まで丹精込めた独特の誌面を作りあげた。
 新製品が次々世に出る現在、各種専門誌で花盛りの「商品テスト」は、同誌が元祖である。花森は社員に弁当持参でメーカーを取材させた。接待や買収を拒んで、真実のレポートを書くためだ。
 「ぼくの暮らしと 企業の利益とがぶつかったら 企業を倒す」「ぼくの暮らしと 政府の考え方がぶつかったら 政府を倒す」。
 花森は六六歳で倒れる前日までペンを握っていた。彼が切り拓いた消費者ジャーナリズム。その精神は、たとえば「買ってはいけない」にも引き継がれている。批判を恐れた企業は技術を向上させ、製品の品質は均一化していった。部数漸減で紙面の試行錯誤が続く同誌。商品記事も最近はどこか、ソフトになった気がする。 (隆)


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