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フランスLCR全国会議--左翼勢力の政治評価と大統領選に対する3路線                            かけはし2006.7.3号

反CPE闘争の勝利と左翼の新たな政治的再編

左翼勢力の政治評価と大統領選に対する3路線


大企業と大国が主導する「アジア統合」に異議あり!

 【解説】六月二十四、二十五日、LCR(革命的共産主義者同盟)は、全国会議を開催して、作成中のマニフェスト案を討論するとともに、二〇〇七年春(大統領選挙と総選挙)の選挙日程に向けた組織の路線を決定する。
 この全国会議の開催は、今年一月に開催されたLCR第十六回全国大会の決定にもとづいて実施されるものである。全国会議は、全国大会と同様に、LCR活動家の民主的討論と協議の場である。その代議員は基礎組織の総会で現在のそれぞれの立場に比例する比率に応じた人数で選出される。しかし、大会と異なって、この全国会議は、一つまたは二つの限定された議題にもとづいて招集される。それは、規約が定めているように、指導部を選出し直すことはないし、その採決は諮問的価値しか持たない。だが、当然にも、LCRの民主的伝統は、全国指導部が全国会議の採決結果を尊重するよう働くであろう。
 『ルージュ』紙(二一六二号、二〇〇六年六月八日)は、LCRが選択することになる三つの路線を代表する三つの議論を紹介している。
 今回の反CPE闘争(初期雇用契約制度)の勝利を受けて、来年の大統領選挙と総選挙に向けて、フランス左翼の政治勢力の再編成をどのように進めていくべきか、がLCRの今日直面する基本的問題である。
 周知のように、フランスでは、今回の反CPE闘争(初期雇用契約制度)の勝利に先立って、欧州憲法条約をめぐる国民投票で「ノン」(反対)勢力が勝利をおさめた。欧州憲法をめぐるこの国民投票は、欧州憲法条約自身が、文字通り新自由主義のグローバリゼーションを余りにも露骨に体現するものであったがゆえに、まさに、新自由主義路線をめぐってフランスを二分する「決選投票」の様相を呈した。
 当時の議会の勢力分野からすれば、与党右翼勢力に加えて野党の最大勢力である社会党が欧州憲法条約に賛成であるので、七割以上の議員が賛成ということになり、この国民投票では賛成派が勝利することが、当初、確実と見られていたのが、「予想に反して」反対派が勝利したのである。言い換えれば、これは、その少し前まで政権について新自由主義路線を推進してきた社会党指導部とは異なる、「新自由主義に反対する左翼勢力」の大きな勝利であった。
 実際、この国民投票キャンペーンには、社会党左派、緑の左派、共産党、LCRなどの社会党よりも左に位置する左翼勢力が結集して「左翼のノン」の勢力を形成して、闘ったのであった。この新しい左翼勢力の結集は、国民投票(05年5月29日)の後も「五月二十九日のコレクティフ」という共闘組織の形で全国と地区で継続され、さまざまな大衆運動の中で、政治勢力からする運動の統一した動員を促進する役割を果たしてきた。
 今日、反CPE闘争の勝利の後を受けて、この新しい左翼政治勢力の結集体にとって中心的課題となったのは、来年二〇〇七年の大統領選挙と総選挙に向けていかに取組むべきかということであった。この点で、LCRの立場は明確であり、次のような一貫した立場がLCRによって他の左翼勢力に対して提案されてきた。
 すなわち、社会党の「社会自由主義」に代わる新しい左翼勢力は、現実の闘い、現実の大衆運動を基盤にしてしか生まれてこないのであり、新自由主義路線に反対して新たに結集しているこの左翼勢力を基盤にして左翼統一候補を擁立すべきである――この点では、新たな左翼勢力の統一にも、現実の大衆運動にも背を向けている「労働者の闘争派」は間違っている。ただし、この左翼統一候補は、社会党ジョスパン政権をはじめとする過去の左翼政権の苦い経験をもはや繰り返すことができないのであって、新自由主義路線を推進する社会党指導部との関係を政治的に明確にしなければならない。この意味において、議会レベルで社会党との連合、社会党主導の連立政権への参加はありえないという点が明確にされなければならない、と。
 もちろん、これは、具体的な要求を掲げた大衆運動において、社会党とのいかなる共闘もありえないなどというセクト主義的立場を主張するものではない。それは、むしろ、政治権力問題のレベルにおいて、新しい左翼勢力は、社会自由主義と明確に手を切る必要があるという点を明確するものであった。
 一見、このような立場はしごく当然の立場ではないかと思われるのだが、実際には「五月二十九日のコレクティフ」に結集するLCR以外の左翼勢力は、この政治的に最も核心のところが明確でない。
 共産党ビュフェ指導部は、「五月二十九日のコレクティフ」の左翼勢力と社会党指導部との間で二股をかけていて、この点を曖昧なままにしている。ジョゼ・ボベもまた、社会党との交渉の余地を残す必要があるとの発言に見られるように、この点が一貫してきわめてあいまいなのである。
 こうした脈絡の中で、「五月二十九日のコレクティフ」において共産党のイニシアチブで、来るべき選挙に向けた左翼統一候補を目指すアピールが作成され、「五月二十九日のコレクティフ」の延長上にこのアピールの呼びかけ人を中心として、全国と地方での「コレクティフ」の形成が呼びかけられたのである。当然にも、このアピール文は、社会党との関係は曖昧なものでしかなかった。LCR指導部は、このアピールに賛同署名せず、この「呼びかけ人のコレクティフ」の中ではオブザーバーとしての地位にとどまるとの態度を表明した。
 全国会議は、このLCR主流(立場A)の立場をめぐって討論が展開されることになる。「五月二十九日のコレクティフ」の左翼勢力に対してはいかなる意味でもセクト主義的、最後通牒主義的態度を取ってはならないこと、しかしながら同時に、LCRとこの「五月二十九日のコレクティフ」との間に政治的ギャップが存在しており、実際、左翼統一候補を呼びかけるアピール文は社会党との関係で政治的にあいまいであること、以上の点ではLCR全体が基本的に一致しており、この基本的枠組みのもとで討論が行われることになる。
 LCRとこの「五月二十九日のコレクティフ」との間の政治的ギャップは、同時に、現実の大衆運動における左翼の間の力関係と議会、選挙という政治レベルでの左翼の力関係との間のギャップでもある。現実の社会運動における、社会党、共産党よりも左に位置するLCRをはじめとする急進的勢力の位置の大きさは、実際、政治のレベルにはそのようなものとしていまだ反映されていない。
 それはまた、すでに述べたように、LCRと他の急進的左翼勢力との間の政治的ギャップでもある。現実の大衆運動のレベルでわれわれと要求や路線が一致してともに活動しているからといって、そうした左翼勢力が、社会党との関係に代表される政府権力という綱領的レベルの問題でLCRと一致するとはかぎらないのである。
 LCRの直面するこのようなジレンマの中で、立場Aは、現にある「五月二十九日のコレクティフ」の左翼の水準に対してより厳しい評価を行い、その左翼が明確な反資本主義的綱領にもとづく左翼統一候補の擁立という点で少なくとも二〇〇七年の選挙に向けてはまだ間に合わないとみなしているのに対して、立場Bは、「五月二十九日のコレクティフ」の左翼の出現を決定的なチャンスとみなし、統一候補の可能性を最後まで追求すべきである、と主張しているように思われる。(本紙編集部)

立場A

全国大会でのプラットフォーム1とプラットフォーム2の立場
オリヴィエ・ブザンスノーを立て、統一した闘いの道を続行しよう


 一九九五年以降の抵抗闘争の深まりは、正当にも、自由主義路線と資本主義に反対する勢力の統一を促している。(欧州憲法条約をめぐる国民投票での)左翼の「ノン」(反対)の勝利、都市郊外の(若者の)反乱、CPE(初期雇用契約制度)に反対する巨大な大衆動員、などに見られるように、社会と政治の危機はたえず再発し続けている。この危機は、労働者と青年を合わせた全体の運動の準備を議事日程にのぼらせている。この点での根本問題は、これらの抵抗の展望の問題である。この抵抗は反資本主義的発展力学へと結晶化することになるのだろうか? それとも、それは横にそらされて、政治面でも社会面でも社会自由主義と両立し得るものになるのだろうか?
 LCRは、第一の方法に向かい第二の道を阻止するための統一を望む人々の側に全面的にくみするものである。この勢力全体が前進するための条件は周知のものである。すなわち、右翼陣営とその政策に対して闘うことであり、(ジョスパン社会党のかつての)多元主義的左翼の戦略を再生しないことであり、社会党指導部と手を切ることであり、闘争の全般的拡大のための統一を建設することである。
 今日、われわれの努力にもかかわらず、必要とされるこのような政治的明確化はまだなされていない。さらに、社会党よりも左に位置している左翼勢力が採用した立場も、同じように困難を作り出している。「労働者の闘争派」は、反自由主義左翼の統一というアプローチには興味を持っておらず、すでに自党のアルレット・ラギエ候補を発表している。社会党内の「ノン」派は、フランソワ・オランド社会党第一書記の指導下での左翼勢力の「統合」という立場に結集している。ジョゼ・ボベは周到にも、「統一」政綱全体が同時に第二回投票での社会党との交渉に有利な条件を作り出せるようにすべきであると明確に述べている。
 われわれは過去からまったく何も学ばなかったのだろうか? 共産党のマリ・ジョルジュ・ビュフェ全国書記が用いている定式「自由主義路線反対にもとづくすべての左翼の結集」がほのめかしていうように、左翼の「ノン」は「ウィ」の社会自由主義の指導者と妥協できるのだろうか? それとは反対に、左翼の「ノン」の深い意味をそのまま延長して、統一候補は、社会党指導部との連立政府への参加ならびにこの枠組みのもとでの議会でのいっさいの同盟を拒否することを約束すべきなのか?
 原則として、LCR全体ではこの点について合意が成立している。社会党指導部と手を切ることが前提条件であり、その点での交渉はあり得ないのであって、自由主義路線に反対する左翼の統一候補は、その結果として出て来るのだ。もし以上の点を考慮に入れることについて同意が成立するならば、統一の条件が今のところ整っていないという点を認めざるを得ないのである。「われわれが多数派の中に合流するか否か、政府に参加するか否かは後になって分かるだろう」という最近のマリ・ジョルジュ・ビュフェの宣言は、事態がよい方向に向かっていないことを示すものであって、その点を認めざるを得ないのである。
 反資本主義的左翼の展望を全力を挙げて提示しなければならない。オリヴィエ・ブザンスノー候補者は、近年の主要な運動(欧州憲法条約に反対するキャンペーン、反CPE闘争)における戦闘性の存在を体現している。
 マリ・ジョルジュ・ビュフェ共産党全国書記と(フランス農民連盟の)ジョゼ・ボベが自分自身の独自の意向を表明し、アルレット・ラギエが自ら立候補することを表明しているこの時になってさえ、ブザンスノーの立候補表明を否定するのは、われわれが真の反資本主義的統一のために力を投入することを妨げることになるだろう。二〇〇六年終りまで決定を延期することは、フランス共産党の日程に従うことになるだろう。共産党の全国協議会が十月末にこの党の立場を決定することになっている。また、マリ・ジョルジュ・ビュフェがすでに選挙キャンペーンに入っているこの時にさえ立候補を否認することは、われわれ独自の選挙キャンペーンの重大な妨げとなろう。
 物質的な面でも、それによって、大統領選立候補予定者への推薦人として五百人の議員の賛同集めに重大な困難が生じるであろうし、選挙財政代理人の指名やその時々に支出される選挙費用の返却が不可能になるだろう。政治面でも、もし統一候補が失敗した場合、LCRにとって大統領選挙キャンペーンは、投票日に先立つ数カ月間だけに限定されてしまうことになる。オリヴィエ・ブザンスノーの立候補決定を延期することは、実際には、この立候補を否定することになる。
 二〇〇六年末になってしまうと、LCRにできることは、どのような別の候補であれ、それがどのような別の党のスポークスパーソンであれ、どのような別の路線の持主であれ、ただそれを支持することだけであろう!
 一方で統一候補のための闘いを継続しながら、現時点でオリヴィエ・ブザンスノーの立候補を決定するよう、われわれは提案する。基本に関する合意が成立すれば、誰を候補者にするかの問題の解決は容易に可能なものになるだろう。
 もしわれわれが困難を克服できない場合には、オリヴィエ・ブザンスノーが真に反資本主義的で、社会自由主義から独立したオールターナティブの追求を表明することができるだろうとわれわれは確信している。この立候補は、統一的で反資本主義的なこの路線の立場に立つすべての人々に開かれている。それは、この政治闘争を展開し、労働界と人民諸階層のための真のオールターナティブを建設したいと願っているすべての人々への結集への道を切り開くだろう。
 (注) プラットホームは政策、政治綱領のこと。

立場B
全国大会でのプラットフォーム3とプラットフォーム4の立場

左翼の力関係を変える希望が生まれている、統一綱領を


 プラットフォーム1の立場を支持する人々が全国大会で定めた会議、すなわち、全国会議の時がやって来た。この全国会議は、二〇〇七年のわれわれの選挙の路線を決定するためのものである。プラットフォーム1とプラットフォーム2の立場にとっては、それは、大統領選挙へのオリヴィエ・ブザンスノーの立候補を発表することである。
 もし立場Aが多数派になって、そのような決定が下されるならば、それは大きな影響を及ぼすことになることは確かである。各党はすでに大統領選挙の選挙キャンペーンに入っているのだろうか、それとも、どの大統領候補を推すのかというこの同じ問題をめぐって争っているのだろうか?
 しかし、この決定はとりわけ大きな害悪をもたらすことになろう。なぜなら、緊急に求められているのは、大統領選挙の舞台の中に位置を見出すことではなくて、新機軸、つまり、政治的力関係の変革、に挑戦することなのである。そして、そのことがなされるのは、政治的提案が、強硬でウルトラ自由主義的な右翼と自ら進んで「治安」問題を再び持ち出すことをもためらわない社会自由主義の左翼との間の全面対決に政治的提案が切り縮められてしまうことを拒否することによってなのである。こうした全面対決になると、それに伴って、虎視眈々と機をうかがっていた極右勢力が必ずや、社会における幻滅の噴出を利用してたちまちごっそりと票をかっさらうことになろう。
 LCRは、欧州憲法条約に対する左翼の「ノン」の延長上に統一候補を擁立するという道に立ちふさがる諸困難を取り除くことを望む全国大会のメッセージを確認しなければならない。これは、プラットフォーム2の立場を支持した同志たちの意向に反対して決定された路線であった。
 プラットフォーム2の同志たちはこう主張した。すなわち、五月二十九日の成果(国民投票での欧州憲法条約の否決)に賭けるというのは幻想である、国民投票を契機になされている左翼の結集は改良主義的なものにほかならず未来がない、「労働者の闘争派」と組むかどうかに関わりなく、いぜんとして「革命派」の選挙キャンペーンを展開するしかない、と。
 全国大会多数派とプラットフォーム1は、大会時点では、百パーセントLCRの候補者擁立を発表する前に「待つ」という正しい判断を行い、すでに述べたような正しい路線を提案したのだが、統一候補擁立のためのアピールに対する敵対的な回答に見られるように、この路線は実行に移されなかった。
 しかしながら、反CPE運動は、自由主義路線への拒否が強固であることを確認した。だからこそ、社会党が唯一の展望として提案している社会自由主義に対するオールターナティブを建設する必要があるのだ。社会のこの深い願望は、なぜ統一「コレクティフ」が持続してきたのか、そしてなぜ今、自由主義路線に反対する憲章を作成したのか、を説明している。このような憲章の作成は、自由主義と手を切る綱領がLCRの範囲を超えたさまざまな勢力によって共有されていることを立証するものである。
 フランス共産党自身は、今や自由主義路線に反対する左翼の統一を支持すると発言をしなければならないようになっているのであり、共産党候補者の発表を延期する必要があることを理解している。この党は、社会自由主義が支配する政府への参加を拒否することを認めるアピールを支持するようになっている。
 この党には、今後予想される社会党との同盟の問題やマリ・ジョルジュ・ビュフェ共産党全国書記を統一候補として受け入れさせたいとするその意向をめぐって、重大なあいまいさが残っているのであって、この曖昧な点を一掃するだけでは十分ではない。しかし、いかなるものも未来を保障しないとしても、自由主義路線と手を切る綱領を掲げ、それを守るための統一候補を擁立する反自由主義の戦線を建設しようという真の意欲が確認される。
 LCRはこのような機会を軽視することができない。ところが、統一アピールへの署名を拒否することによって、全国指導部がしたのはまさにこのような軽視ではないだろうか?
 社会党との議会多数派連合への参加を拒否することについてのはっきりとした定式が含まれていないという口実のもとに、修正を提案する労を取ることさえせずに、署名の拒否がなされたのだ。現在なされているアピール呼びかけ人のコレクティフに完全な権利で参加せず、オブザーバーとしてのささやかな地位に満足するという決定がなされたが、オブザーバーとしての地位は、自らの提案を前進させるための最良の地位ではない。
 全国指導部は、情勢の評価を見直し、この数ヶ月間においてLCRが本来実施すべきであった攻勢的な政治的方法に再び取組むべきである。全国指導部は次のことをなすべきである。
b自由主義と社会自由主義と手を切った綱領、すなわち、社会自由主義の政府を支持する社会党との間で議会における多数派を形成したり、ましてや、社会党との連立政権に参加したりすることを排除する綱領、にもとづいて、大統領選と総選挙での統一候補のための闘争を続行することを決定すること。
bこの基礎の上に、残された政治的問題を明確化するために心を砕き、大衆動員と選挙にむけて左翼の力関係を変えることのできる発展力学を促進することを望みつつ、全国と地区の統一コレクティフへの参加を決定すること。
bオリヴィエ・ブザンスノーを可能な統一候補のスポークスパーソンの一人として、そしてまたこの統一の試みが失敗した場合にはLCRの候補として確認する。このことは、いずれにせよ、大統領選挙でのわれわれの参加を保障することができる五〇〇人の議員の賛同人を急速に集めることを意味する。
 レオンス・アギール、ヴァニナ・グディチェリ、セリーヌ・マレゼ、クリスチャン・ピケ

立場C
全国大会でのプラットフォーム5の立場
反新自由主義、反社会自由主義の二重の要求に応えよう

 
 われわれの提起は、来るべき選挙問題を決定するものではなくて、労働者と青年のオールターナティブの浮上を助けるための本質的要素となろう。この道において、全国会議の選択は二重の要求に応えなければならない。
(a)政治の舞台において、経営者の利益を非難するのを恐れない、反民主主義的な制度に屈服しない、闘争に依拠してその発展を促進する、反自由主義の首尾一貫した左翼を主張すること。
(b)そのためには、自由主義路線に反対する運動の中で、資本主義の人間化という幻想に満ちた綱領を擁護したり、結局のところあれこれのやり方で社会自由主義への屈服に終わったりしてしまっている潮流(たとえばイタリアの共産主義再建党)とヘゲモニーを争うこと。
 共同候補のための最新のアピールは、議会主義的であって、綱領面で首尾一貫性を欠いており、社会党との関係について曖昧である。(……)アピール呼びかけ人の政治路線と下から表明されている願望とは別のものだ。前者の側面を重視すると、セクト主義的棄権主義につながり、後者の下からの願望を重視するという観点からアピール呼びかけ人の立場の曖昧さを絶対視しないと、今度は日和見主義につながる、という点だけを注意すべきである。
 フランス共産党は、まだ低迷状態から抜け出ていないビュフェ候補に統一の外見を与えようとするその意図を隠していない。社会党左派は、ファビウス支持を放棄せずに、ロワイアルの活動が体現している社会党の「ブレア化」に対して語気を荒げている。緑の左派は、自党内で締付けにあった後、自らの生き残りのために闘っているが、これは現実の一部にすぎない。なぜなら、これらの指導部は、欧州憲法条約の国民投票から一年後の反CPE闘争の勝利によって証明された、自由主義路線に反対する強力な運動に直面しなかったなら、このような立場を取らなかっただろうからである。
 (LCR指導部がこの間、述べてきた)、(社会党第一書記)オランドとブザンスノーとの間に第三の道はないとする二つの左翼の仮説は、自由主義に反対する首尾一貫しないこの左翼の自立的行動を否認するものであった。事実による証明は無慈悲だ! 面食らったLCRは、今や反対の行動に出なければならない。だが、戦場を放棄して自らのアイデンティティーを必死に防衛して(反自由主義に反資本主義を「対置」する前代未聞の要求に見られるように)自分の勢力範囲のもとに避難してくるというのは解決策ではない。それはまた、全面的な参加でもないのである。
 LCRは、その署名によって間違ったアピール文に賛同するのではなくて、アピール呼びかけ人の全国コレクティフにも、また当然ながら地区のコレクティフにも参加すべきである。オブザーバーとしての地位に満足するのではなくて、その成果を上げるために行動すべきである。闘争と選挙に向けた行動綱領の討論を提案すべきである。これは、当然にも、黄金の三〇年間の時代(高度経済成長時代)のもはや時代遅れの処方箋を復活させ、経済を再び活性化させて不平等を軽減し大きな階級対立を失くす、国家の福祉的介入のプロジェクトに対置される、反資本主義の綱領である。
 このような綱領にもとづく、さらにまた社会自由主義との全面的な同盟の拒否にもとづく、協定は、単なる一時的な選挙連合にとどまらない、社会と政治の戦線の確立を可能にするだろうし、そうすれば、そこから共同候補が出て来るだろう。オリヴィエ・ブザンスノーが繰返し語ってきたように、決定的なことは、その筋書きであって、誰を候補にするかの人物の決定ではない。
 マリ・ジョルジュ・ビュフェからジョゼ・ボベに至るまで、大統領選挙で自由主義路線反対の結集を代表したいとする志望者には事欠かない。LCRは立派な候補者をもっている。この候補者が正当性の点でひけをとらないことは確かであろう。全国会議は、オリヴィエ・ブザンスノーを候補予定者であると発表すべきである。
 候補予定者である、というのは、われわれは共同の闘いを続行し、すでに示した基礎にもとづく共同候補の実現のためにわれわれの勢力が寄与することを望んでいるからである。われわれのスポークスパーソンの前段キャンペーンはこの闘いを強化することになるだろうし、同時にこのキャンペーンはわれわれ独自の政治的、綱領的回答を展開することだろう。
 試みられたわれわれの努力の総括を今年の終りに導き出し、われわれの最終的立場を決定するのは、全国指導部である。もし統一のためのわれわれの闘いが成功をおさめたならば、運動全体とその内部にいるLCRは、巨大な一歩を踏み出したことになろう。もし最終的に、われわれが単独で立候補しなければならなくなるとすれば、それは、この統一のための闘いと政治的明確化という成果がもたらされるだろう。
 シルヴィアンヌ・シャルル、ジャン・フィリプ・ディーブ、ジャン・ルイ・マルシェッティ、ヴィルジニア・ドゥ・ラ・シエガ

コラム

税収17年分が国の借金

 六月二十三日、財務省は二〇〇五年度末で国の借金は八百二十七兆四千八百六億円に達したと発表した。税収不足を補う国債の大量発行が続いたことなどから、〇四年度末に比べ、五・九%増(45兆9288億円増)となり、過去最高額を更新し、国民一人当たりの借金は一年前より三十六万円増えて約六百四十八万円に膨らんだ計算となるとのことだ。〇五年度の税収は四十九兆円台になる見通しのようだが、借金はその税収の十七年分に匹敵する。
 「改革」を唱えてきた小泉政府の実態は、借金の過去最高額を毎年更新してきたし、派遭労働の拡大などを通じて正社員、非正規社員の格差を拡大してきたといえよう。そして小泉政府は、在沖米軍のグアム移転に伴う移転費用を、経費の総額も明らかにしないまま「沖縄の負担軽減になるから」として七千億円を支出しようとしている。これでは〇六年度末の借金額は過去最高額を更新することは確実だろうと思われる。
 新聞報道によれば同じ二十三日政府・与党が「財政・経済・一体改革会議」の実務者協議会を開催し、@社会保障―過去五年間の削減(国・地方合計で一・六兆円程度)を踏まえて改革努力を継続。A地方財政―地方単独事業全体で三兆円程度を削減。地方交付税は現行総額を維持し、削減は行わない。地方交付税の現行法定率は堅持する。B公務員人件費―地方公務員の六・二%の定員削減などで、二・七兆円を削減。C公共事業―これまでの改革努力(前年度比三%削減)を基本的に継続などが決められたという。
 また「経済社会情勢に配慮しつつ、毎年度検証・見直しを行う」ことも盛り込まれたことと、「これにより景気の動向によっては削減努力を怠る口実になるのでは」と不信感を持った報道もあった。さらに全国知事会など地方六団体の会長が地方交付税の現行総額を維持するとしたことについて、「実質的に法定率の引き下げと同じこととなり、到底受け入れられない」と強く批判したことも報じられている。
 いずれにしてもこの程度の対策では八百二十七兆円の借金の返済などには及びようもないことはだれの目にも明らかだろう。公務員宿舎や不使用地を売ったにしてもその金額はこの借金から比べればたかが知れている。
 現在の税制は金持ち優遇である、さまざまな計算をして課税される所得金額が千八百万円を超える人に対する税額は三七%を超えない額である。例えば二千万円の課税所得金額の人の所得税額は四百九十一万円であり、二億円の課税所得金額の人は七千百五十一万円の税額である。
 この時点での税引き所得は前者が千五百九万円、後者は一億二千八百四十九万円になる。金もうけすればするほど可処分所得が多くなる仕組みとなっている。以前は三七%で終わりでなく、金もうけすればするほど税率が高くなり、必然的に税金額も高くなっていた。金持ちを国内にとどめるために現在の税制になったと聞く。低所得者は減税措置の廃止などにより、増税率は高くなってきているのが昨今である。金持ち増税を呼びかける時期ではなかろうか。       (高)


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