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                            かけはし2006.7.31号

トヨタの不当労働行為糾弾

フィリピントヨタ労組支援東京集会
今こそ労働者の国際的共同闘争を!


次々に明るみに出
るトヨタの犯罪

 七月十四日、飯田橋のSKプラザホールで「世界はトヨタの不当労働行為を糾弾する!フィリピントヨタ労組支援東京集会」が開かれ百十人が参加した。
 最初に、五年間にわたり、二百三十三人の解雇撤回と組合を交渉相手として認めさせるフィリピントヨタの闘いを記録したDVDを映写した。その映像の中で、「解雇されて闘っているが、後悔はしていない」、「ローンが払えなくなって家を取り上げられた。最後は自分の血液を売って生活費を稼ぐしかなくなった。しかし、生活の困難はあるが、権利を奪われる方が大きな問題であり、この闘いによって、労働者とは何かが分かった」などと解雇されて非常な生活の困難に陥りながらも、家族の理解もあって、がんばっている様子が理解できる映像であった。
 「解雇者二百三十三人のうち、百人近くが退職金をもらってやめて、百三十六人が残って闘っている。解雇された労働者は全国に散らばっていて、解雇者を集めて行動することが大変だ。十人くらいが半専従になって闘いを継続している。この間、テロで六百人が殺されているうち三百人がフィリピントヨタのある南タガログ州で起きている。ネッスル労組委員長も暗殺され、フィリピントヨタ労組委員長も狙われている。こうした困難ななかで闘っている」と司会者が報告した。
 フィリピントヨタ労組を支援する会の山際正道共同代表がフィリピントヨタの闘いの経過と意義を次のように報告した。
 「トヨタは何の問題もないと世間一般は思うだろう。トヨタ方式は他の業種・会社をも指導するものとして広がっている。しかし、ハンドル部分の不具合をそのままにして五人重軽傷者を出す交通事故を起こした。問題があることが分かっていたのにリコールを八年間も怠っていた。さらに、北米トヨタ社長がセクハラ問題で訴えられた。トヨタの自動車工場に行けば分かるが税金で整備された道路にトヨタ車を並べ、倉庫のように使っている。トヨタのカンバン方式は在庫品を持たないとしているが実はそのためにどんなに下請け工場が苦労しているか。トヨタは労働者を大事にしない会社だ。フィリピンでは第二組合を使って、会社の言うことを聞くように労働者支配を行っている」。
 「フィリピントヨタの問題はトヨタという会社の本質にかかわる問題だ。『現地の問題は現地で』と言っているが、影でこそこそ動き最終的には力づくでやってくる。こうしたトヨタに抗議し、是正させなければならない」。
 「フィリピントヨタ労組は首を切られて本望だ、労働組合として筋を通す、ときちんと受け止めて闘っている。しかし、生活を含めてとても厳しい状況にある。しっかり支援をしていこう」。

エド委員長とユニ
副委員長が報告

 次に、フィリピントヨタのエド委員長が決意表明をした。
 「組合を認める最高裁の判決とILOの勧告があり、トヨタがIMFと話し合うことになった。昨年一月に御用組合がつくられた。フィリピンでは社員の半数が支持する組合しか認められないという法律がある。そこで今年の二月に承認投票があったが御用組合もわれわれの組合も過半数を取ることができなかったが、四月になって労働雇用省は御用組合を唯一の交渉権を持つ組合になったと宣言した。こうした不当な政府の決定が出てもわれわれは屈服しない。会社は解雇者に対して退職金と外国で仕事を探すという条件を出してきたが、われわれはそれを拒否した。われわれの要求はおカネで解決ではなく、トヨタへの復帰だ」。
 「われわれの闘いは他の会社の労働者の権利の問題でもある。フィリピンではわれわれは労働雇用省の前でピケを張って闘っている。自分たちの闘争が強いことをトヨタにみせ、全世界の労働者の闘いの国際的連帯を強めたい」。
 次に、工場内に残って闘い続けているユニ副委員長が報告した。
 「監督者組合(150人)が指導して一般社員の御用組合をつくった。御用組合らはスポーツ大会や誕生会をやって影響力を増やそうとしている。われわれ(会社に残っている組合員は200人程)は各セクションの代表が中心になってメンバーを増やしている。帽子にスローガンを書いたワッペンを貼ったりして闘っている。団結して交渉を持つような動きもある。近い将来勝利を得たい。トヨタ労働者の勝利は全世界の労働者の勝利でもある」。

国際的な運動でト
ヨタを交渉の場に

 続いて、全労協の官公労を代表して東水労の仲間、民間を代表して全統一の鳥井さんが連帯のあいさつをした。
 鳥井さんは「中野区の建設会社で五十人いる中国人研修生が一日五千三百円の賃金を前の人たちと同じように、千円値上げてほしいと要求したら、会社は一切相手にしなかった。そこで翌日抗議してストを通告したら、全員に解雇通告をし、即刻帰国するように強要してきた。さっそく全統一が乗り出して交渉をして、解雇撤回と待遇改善の交渉を行い、解雇を撤回させた。さらに、中国人研修生の女性が毎晩社長からセクハラを受けていると入管に訴えた。入管から新宿にあるヘルプに連絡があり、われわれもそのことを知った。実に恥ずかしい限りだ。また、韓国シチズンの下請けであった板橋に本社がある韓国ヤマモトが占拠闘争に突入し支援要請が入った。外国で日本企業がひどいことをしていると同時に国内でも外国人労働者にひどいことをしている。われわれはインターナショナルな観点で闘っていかなければならない」と訴えた。
 最後に「多国籍企業トヨタに対する闘いは、国際金属労連(IMF)の全面支援による世界的な反トヨタキャンペーンという段階に突入しました。世界の労働者市民による第一波の包囲が行われています。……@グローバルな多国籍企業トヨタ自動車を日本で団体交渉の場に引きずり出すため、神奈川県労働委員会に対する審問開始を求める全国的な団体署名活動の更なる拡大を!(最終締切り8月20日)A7月17日愛知トヨタ本社への抗議行動を成功させよう! 7月14日東京から始まる神奈川、愛知、大阪、北関東連続集会を成功させよう!B諸団体・諸個人による何百・何千の抗議メールの嵐でトヨタ自動車に対する闘いをさらに強化しよう!(抗議メール http://www.green.dti.ne.jp/protest_toyota/ HPから送れる)C秋には、トヨタに対する闘いを全国で行い、その力を集中してトヨタ本社への行動につなげよう!」という集会アピールを採択し、連続行動に立ち上がることを確認した。
 なお、日本のIMF・JCの議長はトヨタ出身者で、フイリピントヨタ労組を支援しないばかりか、御用組合を支持するという公言している。連合は陰ながら応援するとしている。フイリピントヨタ労組を支援していこう。   (M)

フイリピントヨタ労組(TMPCWA)のたたかいいの経過


2000年3月 TMPCWA、公式の承認投票で唯一の団体交渉権獲得。10月 フィリピントヨタ、団体交渉拒否、異議申し立て。
2001年2月 労働雇用省公聴会前でTMPCWA、会社に事前に申し出て組合員の集会。3月 労働雇用省、TMPCWの団体交渉権を認める決定。同日フィリピントヨタ、組合員227人を解雇し、64人を停職処分。TMPCW、ストライキに突入し操業ストップ。4月 フィリピントヨタなど日系企業がフイリピン政府に圧力をかけ、フィリピン政府スト中止指令。TMPCWエド・クベロ委員長来日、東京愛知本社行動など本格的な支援活動始まる。
2003年9月 フィリピン最高裁、TMPCWAの団体交渉権を認める判決、しかしフィリピントヨタ団体交渉拒否。10月 国際労働機構(ILO)、団体交渉開始、223人の原職復帰などの勧告をフイリピン政府に行う。以後毎年三次にわたる勧告が出される。
2004年9月 TMPCWA、全造船機械労働組合関東地協に加盟。
2005年2月全造船関東地協、神奈川県労働委員会に救済申し立て。8月国際金属労連(IMF)主導のTMPCWAとフィリピントヨタの交渉開始。
2006年2月 フィリピン政府、新たな団体交渉組合を選ぶ承認投票強行、御用組合もTMPCWAも有効投票の過半数に達せず。3月 IMF主導の解決交渉決裂。IMF、対トヨタ世界キャンペーンを宣言。4月 フィリピン政府、承認投票について最終有効投票未公表のまま御用組合勝利の決定。5月 IMF、TMPCWA136人の職場復帰を求める対トヨタ世界キャンペーン開始。

フィリピントヨタ労組を支援する会
■年会費 個人: 一口 5000円 団体: 原則として二口 10000円
 会費は、フィリピンに送金され、現地の裁判闘争費用、保釈金、組合事務所の経費、組合の行動費等に使われます。
■振込み先 郵便振替口座: 00290―7―60036
 加入者名: 「フィリピントヨタ労組を支援する会」
■会員になると 会員はニュースレター(年4回発行)を受け取る。メーリングリストや郵送でフィリピントヨタ労組(TMPCWA)の最新情報を受け取り、支援活動に協力する。
■会員のお申し込み・お問い合わせはこちらまで
 フィリピントヨタ労組を支援する会 〒237-0063 神奈川県横須賀市追浜東町3-63-901 TEL/FAX:046-869-1415 ホームページ: http://www.green.dti.ne.jp/protest_toyota/


コラム
「富田メモ」と天皇制

 昭和天皇が靖国神社の「A級戦犯合祀」に強い不快感を示したメモの存在が、波紋を広げている。七月二十日、日本経済新聞が朝刊一面トップでスクープした。元宮内庁長官富田朝彦(故人)が残した手帳は二十数冊。そこに貼られたメモは八八年四月二十八日付。「だから、私はあれ以来参拝をしていない。それが私の心だ」という裕仁の言葉が、富田によって残されていたというのだ。
 総裁選候補最右派の官房長官安倍は苦し紛れに、「陛下を政治利用してはならない」などと発言。対立候補と目された福田康夫は靖国をめぐる党内分裂を避け、早々に立候補を辞退した。就任以来八月一五日には一度も参拝しなかった首相小泉は自分の参拝にはなんら影響せず、またしても「心の問題」などと突っぱねて見せた。
 「富田メモ」はたしかに、参拝勢力にとっては逆風であろう。だがしかし、彼の日記に類する天皇や皇族の発言の公表は「反天皇制」を闘う勢力にとって、「平和主義者」として「国民の幸福を願う天皇」といった欺瞞的なイメージを振りまく両刃の剣でもある。そこでは必ずメディアを通じた何らかの美談が演出されるからだ。
 憲法では「国政機能を有しない」はずの天皇や皇族が「皇室外交」を繰り返す。雅子の心労を案じる皇太子が、彼女のキャリアを生かした「活躍」を期待する。宮中皇室祭祀を「公務」と言いくるめて宣伝する宮内庁。そのどこにも明確な法的根拠はないと横田耕一九大名誉教授は指摘する。
 天皇の行為が「政治的でない」とは、それこそ偽善の象徴である。敗戦直後裕仁はみずからの免罪と保身のために日米間を立ち回ったし、「日の丸・君が代」について現天皇は「強制でないほうがいい」などと吐露した。結局天皇は国体護持・国民統合のために、その時々の政権によって、法律を超えて、都合よく政治利用され続けるのだ。
 一九四五年三月十日未明。東京の下町に二千トンもの焼夷弾が投下された。焼失家屋二十六万七千戸。死者・負傷者十二万人。罹災者は百万人を超えた。この「東京大空襲」で家族を失い戦災孤児になった画家の狩野光男さんは、「戦いに正義はない」と自衛隊のイラク派遣を問う。
 阿鼻叫喚の空襲体験を描いた絵画集には、天皇が登場する作品もある。「昭和天皇、深川巡察」もその一つだ。天皇が焼け跡の視察に来ると知った軍部は、累々と横たわる死体の処理を命じた。山と積まれた遺体は、富岡八幡宮周辺の穴に次々と放り込まれた。裕仁は何も知らずに掃き清められた道を歩いたのだ。疑問の余地はない。天皇個人の「気持ち」はどうあれ、これが天皇制の、偽りない、真実の光景なのだ。      (隆)


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