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平澤米軍基地拡張反対闘争                かけはし2006.7.17号

全世界の反基地闘争と連帯し、米軍再編を阻止しよう


                  
2つのプレゼント

 いわゆる民主改革と新自由主義改革の絶妙な結合を通じて韓国社会の新自由主義的再編を完成しようとしていたノ・ムヒョン政権は2006年、この国の労働者・民衆に2つのプレゼントを提供した。戦略的柔軟性のために全地球的水準で軍事的再配置を図ろうとする米軍の駐屯地拡張のために、平澤の大秋里、棹頭里の民衆の生活の基盤である土地を、軍隊と警察の力によって強奪し、おまけに韓米FTA(自由貿易協定)を通じて労働者・民衆の苦しみをさらに加重しようとする。
 だが、このプレゼントは一言で言えば危険な賭けだ。帝国主義勢力と、それに追従する反民衆的政権は土地を強奪することによって、また農民たちを罵倒することによって闘いの熱気を眠らせことができると考える。大秋里や棹頭里から彼らを追い出せば闘争は終わるものと錯覚する。だが、それは誤った判断だ。米軍が韓(朝鮮)半島に駐屯することによって韓半島の平和を維持するのではなく、韓半島の戦争の危機を増幅する限り、闘いは決して終わりはしない。

5・4以後の平澤情勢

 5月3日と4日の強制執行は策謀だった。ノ・ムヒョン政府は5月4日、電撃的軍事作戦を通して大秋里をじゅうりんした。敵の攻勢に追い立てられた大秋里住民や、いわゆる外部勢力の抵抗を踏みにじり、闘争の拠点・大秋小学校を完全に破壊した。
 全国が怒った。だがノ・ムヒョン政権の破壊工作に抗議する5・14汎国民大会は、闘争の目標を達成することにおいて失敗した。ノ・ムヒョン政権の無慈悲な侵奪に衝撃を受けた大秋里・棹頭里地域の住民らを鼓舞させることはできなかった。確かに汎対委の一部の献身的活動家たちはノ・ムヒョン政権の暴挙についての暴露を通してこの闘争を全国化しようと奮闘したにもかかわらず、平澤は孤立した。
 一方、住民や汎対委を欺まんした国防部の側は「すでに大勢は決まった」との判断の下、移住補償金をエサにして、残っている住民らを揺さぶりつつ、様子うかがいに踏み出した。それにもかかわらず、彼らは6・18汎国民大会に際して大秋里への出入りを完全包囲・封鎖する一方、全国の戦闘警察1万6千余人を平澤に集結させた。

闘いは終わっていない

 だがさまざまな心配の中でも6・18闘争は最小限の成果を残した。内外の困難な情勢の中で、大秋里での汎国民大会を成功させ、自給田をかいくぐって棹頭里側の米軍基地の鉄条網まで進撃することによって、今なお闘争が終わっていないことを見せつけた。政権の暴圧的攻勢の前で萎縮していた住民らが闘争の意志を取り戻せる反転の契機となるに充分だった。
 だが当日、全国各地から結集した3千余の隊伍の献身的闘争は極めて大事なものだけれども、ところでまさにその数日前に光州で開かれた「6・15南北共同宣言発表6周年記念民族統一大祝典」に参加していた人々、その隊伍は、いったいどこに行ったのか。口では統一だの反米だのと叫びながらも、まさに帝国主義の基地拡張攻勢を前にして政権の軍靴によって踏みにじられている民衆が、生存のために自らの身を投げ打って闘っている闘争の現場に姿を見せない彼らとは、いったい何者なのか?
 平澤闘争は、このように無気力に幕を下ろすことはできない。最後の最後まで土地を守りぬこうとする農民らがいる限り、青瓦台(大統領府)の前での断食籠城によって頑強に抵抗している老神父がいる限り、闘いは終わりはしない。そして今なお阻止闘争の希望を捨てず、全国から駆けつけた反基地・反帝闘争の隊伍が存在する限り、闘いは断じて終わりはしない!

再び闘いの火の手が

 国防部は7月から空き家の撤去に取りかかると公言している。そして10月からは現に居住し、生活している住宅への強制執行が強行されるだろう。もちろん、軍隊まで動員したノ・ムヒョン政権は、残っている住民らを暴力と懐柔によって追い出すことはできるだろう。だが闘いの意志を曲げない住民たちがいる限り、そして彼らがそもそも生活の基盤から追いやられたとしても平澤闘争は終わりはしない。いや、終わることはできない。
 1945年以来、南韓に駐屯した米軍が存在する限り、平澤闘争は終わることができない。むしろ大秋里や棹頭里、その暮らしの拠り所から追われる瞬間から新たな闘争は始まるだろう。その闘争は平澤だけではなく、米軍基地が散在している全国各地で、新たな反基地闘争として再び火の手が上がるだろう。

全国的反基地闘争の結合を

 7月から空き家の撤去が始められる予定だが、少数の住民が残ったとしても、そして最後の1坪となろうとも、その瞬間まで闘いは続けなければならない。暴力侵奪と無慈悲な暴力を振りかざしているノ・ムヒョン政権は、大地を守る住民たちや平和の闘士たちを罵倒するイデオロギー攻勢を通じて平澤闘争を徹底して孤立させようとする。
 少数とはいえ残った住民たちと全国の反基地・反帝運動の力を結合し、空き家撤去阻止闘争を組織しなければならない。また昨年の平澤・ファンセウル大地の戦闘を記念する7・9汎国民大会を力強く成功させることによって6・18闘争によってよみがえった闘いの火種を平澤から全国へと拡張させなければならない。なぜならば米軍の戦略的再配置は平澤で終わるものではないからだ。また、全国に散在する米軍基地などが存在する限り、闘いは継続されざるをえないからだ。

米軍の代理人
ノ・ムヒョン政権

 05年から平澤闘争に結合し、闘争の求心として闘ってきた汎対委と反基地活動家らの献身的闘争は正当に評価されなければならない。だが汎対委内部の力学によって、決定的時期に強固な阻止戦を展開できず、方針が揺らいだことについては冷静に評価されなければならない。
 ノ・ムヒョン政権の暴圧的弾圧にもかかわらず、「国防部長官の退陣、ノ・ムヒョンの謝罪」というレベルにとどまっている汎対委の闘争基調は、汎対委が持っている位置にふさわしい指導力を貫徹できない限界を示した。民衆運動全般に浸透した敗北主義や妥協主義は決定的時点で非妥協的な闘争を阻む撹乱要因として作用するだろう。
 ノ・ムヒョン政権に対する歪められた認識、いや80年代の運動の革新性を御都合主義でツギハギした「批判的支持」のユーレイが今なお横行しているのだ。全国的闘争戦線を構築することによって反政権闘争、いや全面的な反帝国主義闘争へと号令を発しなければならない時点で、闘争の隊伍が動揺したのだ。労働者闘争がそうであるように、韓米FTA闘争がそうであるように、問題はノ・ムヒョン政権であり、またこの反民衆的政権に対する政治的態度なのだ。

自由な世界の建設のために


 米国のブッシュ政権が推進している「テロとの戦争」は失敗を繰り返している。米国の対北、対イラン圧迫攻勢は戦争の危機を増幅させているが、米国の帝国主義的支配はイラク占領の危機においてさらけ出されているように、帝国の黄昏に向ってひた走っている。双児の赤字に象徴される米国資本主義の危機は不動産のバブルとともに爆発的要素をはらんでいる。韓米FTAをはじめとする帝国主義的市場開放=貿易の自由化攻勢は、ある面においては米国帝国主義=帝国主義の危機の表現だ。
 1970年以来、米帝国の経済力は持続的に弱化している。反面1989〜91年の社会主義陣営の崩壊やソ連邦の解体によって作られた新たな国際秩序の下で、米帝国は唯一の帝国主義強大国として軍事的ヘゲモニーを通じて、辛うじて維持されているにすぎない。
 巨視的に見るならば、米国の軍事力はベトナムでの敗北以後ソマリア、イラク、アフガニスタンにおいて敗北を繰り返している。強大な軍事力を通じた世界支配は経済的ヘゲモニーと政治軍事的ヘゲモニー間の不均等によって米国資本主義自体を圧迫しているばかりではなく、9・11以後、ネオコンの無慈悲な戦争攻勢によってその危機を一層加速化させつつ、世界秩序を無秩序と混乱へと追い込んでいる。
 このような米国の帝国主義攻勢を阻止することは全世界の労働者・民衆運動、特に国際反戦運動の緊急な課題である。帝国主義の戦争攻勢は平澤で、イラクで、アフガニスタンで、また米国本土で反戦平和勢力の強力な連帯と団結を通して継続されなければならない。米軍基地から自由な世界、帝国主義から自由な世界を建設するための闘いは、地球上の至る所で帝国の秩序が解体されるその瞬間まで継続されなければならない。(「労働者の力」第105号、06年6月23日付、ウォン・ヨンス/編集委員長)

【訂正】本紙前号8面「W杯と労働者階級」の記事で、1段目最後の行の「労働者」と「連盟」の間に以下の脱落があったので挿入し、訂正します。「たちが作ったチームだった。けれども、サッカー」


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