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逮捕された村上世彰(「村上ファンド」代表)       かけはし2006.6.26号

新自由主義的規制緩和に踊った「寵児」たちの台頭と転落


堀江と村上ファンド

 二月のライブドアの堀江に続き、六月五日「もの言う株主」と騒がれた村上ファンドの村上世彰が逮捕された。容疑は昨年のニッポン放送株をめぐるインサイダー取引きによる証券取引法違反である。
 彼は逮捕される直前の記者会見でライブドアがニッポン放送株を大量に買うことを「聞いてしまった」と言い、あたかも偶発的事件を装うような発言を繰り返した。しかしその後明らかになってきているのは、一方でライブドアにニッポン放送株を大量に取得するように唆(そそのか)し、他方ではフジテレビの役員に対してニッポン放送株の公開買付け(TOB)を勧め、株価の吊り上げを計ったのである。
 村上は実はこの事件のシナリオライターであり、「IT企業」の仮面の下でマネーゲームに走るライブドアをそそのかし、ぬれ手に粟の儲けを手にしたのである。
 ニッポン放送、フジテレビ事件の主役を演じ、「カネで買えないモノはない」とうそ吹いた堀江も、「カネ儲けすることは悪いことですか」と叫んだ村上も逮捕された。
 堀江はIT革命ブームに乗り、学生ベンチャーとして起業し、インターネット事業を手始めにマネーゲームを展開し、拡大路線を突っ走った。ライブドアはIT企業と呼ばれたが、その実態は投資ファンドに近かった。村上は通産官僚として企業の合併・買収(M&A)の法整備を手掛けた実績をテコに、九〇年代にアメリカで広がった「企業価値を問い直して投資家に報いる株主資本論」をかざして投資ファンドを設立した。

福井日銀総裁の役割


 村上は逮捕される直前、「ぼくは時代の徒花(あだばな)」とつぶやいたと言われているが、彼らこそ「時代の寵児」であり、「規制緩和時代の徒花」であったといえる。この言葉の意味するところは決して小さくない。なぜなら、日銀の福井総裁が村上ファンドに企業の設立時から一千万円を投資し、少ない年で数十万、多い年は数百万円の利益を受けていたのである。福井は総裁に就任して以降、デフレ脱却のためとして超低金利政策を取り続け、家計から預金先の銀行や資金の借り手企業に三百四兆円の「所得移転」させた金融政策の頂点に君臨する中央銀行のトップなのである。
 さらに小泉内閣の規制改革・民間開放推進会議議長で経団連の評議会副議長、経済同友会副幹事であるオリックスの宮内義彦は村上ファンドの資本金九千万円のうち四千万円を出資し、二百億円を超す巨額の運用資金を提供していたのである。そして、二月にライブドアの捜索が始まると福井も宮内もこっそり村上ファンドから運用資金の撤収をはかったのである。
 この四人は小渕―小泉政権と続いた「規制緩和」の推進者であり、担い手であり、旗振り役であった。村上ファンドの中核会社であるM&Aコンサルティングのブログには「近年、株主持合の横行が崩れつつあり……(わが社の経営方針は)……この時流に沿ったもの」と書かれている。
 一九九八年、政府はアメリカの圧力により投資信託法の「改定」をし、投資ファンドや投資組合によるM&Aが合法化された。これが「事件」の土壌となる金融市場の「構造改革」の始まりであり、村上ファンド誕生の出発点である。
 さらに一九九九年には日銀がゼロ金利という超金利緩和政策に踏み切り、より有利な運用先を求める個人マネーが「貯蓄から投資へ」と動く流れが強められた。この九九年に村上ファンドが設立されたのである。

オリックスの別働隊

 九〇年代後半から始まった株の持ち合いの解消の流れは、二〇〇一年九月の小泉の所信表明で一挙に加速した。小泉は「金融システムの構造改革に向けて、銀行などの株式保有のリスクを限定するため新たに株式保有制限を課す」と宣言し、銀行保有株を市場に流出させ、「ハゲタカファンド」などの買い占め屋に供した。また矢継ぎ早に商法を改定し、企業の大再編を容易にし、「構造改革」は規制緩和だけが徹底される図式を完成させたのである。巨大な郵貯や簡保を市場に流出させる郵政民営化もまたこの流れの延長線上に位置している。
 銀行に公的資金を提供し、超低金利政策で救済する見返りに保有株を市場に流出させ、アメリカが要求する規制緩和に応える構造こそ小泉―福井―宮内が推進したものである。言いかえるならば、彼らこそ日本型新自由主義的グローバル化の推進者である。
 二〇〇〇年三月、国際的には無名に近い米リップルウッド・ホールディングスを中心とする投資組合が、旧日本長期信用銀行(現新生銀行)を買った「事件」こそ「黒船の浦賀」であり、「ファンド資本主義」の幕開けであった。前記した小泉所信表明はこの「定式」化であった。福井―宮内が村上ファンドをその出発から「物心両面」において支えた理由もそこにあり、村上ファンドがオリックスの別働隊と呼ばれる根拠もまたここに存在している。

「小泉改革」と株主資本主義


 「構造改革」とはバブルの崩壊によって始まった日本経済の長期不況をアメリカをモデルにした日本の経済再生戦略なのであり、「過度に平等・公平を重んじる社会」を「市場原理が最大限働く社会」にすることをねらったものである。一九九九年十一月に出された経済戦略会議の「日本経済再生への戦略」はそのことを次のように述べている。「日本も(米国に倣って)従来の過度に公平や平等を重視する社会風土を『効率と公正』を基礎とした透明で納得性の高い社会に変えていかなければならない」と。
 小泉が「格差は悪いことではない」という根拠はここにある。村上もまた「もの言う株主」として「株主の利益が第一である」と指摘し「株主資本主義」という言葉まで広めた。彼が株主の利益と言うのは、旧来企業の持っていた四つのアイデンティー「@製品・商品に対する信頼A労働者・従業員の厚生B企業の持つ社会性と社会に対する責任C株主」のうち、@ABを捨てCだけに責任を持てと言っているに過ぎない。それとて株主全体の利益ではなく、村上ファンドが保有する株に対してだけである。
 村上ファンドは当初企業の再編に介入し、その株価の差額をもうける「サヤ抜き」という方法で利益を上げてきた。後の損保ジャパンとなる日産火災海上と旧大成火災海上保険との合併、さらに東急電鉄が東急ホテルチェーンを子会社する時期での介入はその業界では有名な話である。しかし四千億円もの巨額な資金を運用し始めるとニッポン放送株や阪神株のように「株価をつり上げて売り抜く」という具合に「もの言う株主」どころか「株を持った総会屋」として活動し始めるのである。
 専門家によると企業の株を一〇%以上保有すると半年間売り抜くことができないため、その間株価を高く維持するために世間を騒がし、メディアを利用する。そうすれば一般の投資家も便乗し株価はさらに高くなる。「もの言う株主」の本質はここにあるといえる。

逮捕にかけた権力のねらい

 「会社乗っ取り」の著作がある経済評論家の佐藤朝泰氏は「全株主のためといいながら、やり口は乗っ取り屋と変わらない」「自分だけが株価を高くして売り抜くのである」。ひとことでいえば、株を持った総会屋である。村上はある時自嘲ぎみに「私は合法的総会屋である」と述べているが本質を言い当てている。
 村上ファンドが阪神株を手に入れた時、市場価格は四百六十円、そして阪急がTOBで買った額は一株九百三十円である。村上自身は逮捕されても村上ファンドは、この一年で四百五十億円を超える儲けを手にしているのである。
 規制緩和推進派が労働者をどうみているのかということが理解できる資料である。村上は昨年の投資セミナーで「雇用とか事業が損なわれると言うが、敵対的M&Aは、既得権益者を排除して経営上の非効率なところを是正するために行われる」「むちゃくちゃ、社員の給料が高いのはおかしい。それがいやなら他の局にいけばいいし、人材をどんどんいれかえればいい」。宮内は「日本の企業経営にいま求められているのは、『アメリカに向って走れ』、そのため必要な法律をつくればいい」と発言し、労働法制の見直しと「ホワイトカラー・イグゼンプション」の導入を提案しているのである。村上も宮内も自らが儲けるためには、労働者の人権や生活はどうであってもいいのであり、オリックスという企業で過労死や自殺者が多く出ているのもここに起因している。
 堀江や村上は「規制緩和」の「寵児」であったと同時に、「格差社会」に対する労働者人民の批判の広がりの中で「権力」によって「処理」「抹消」されたのである。労働者人民の怒りが社会と体制との衝突に向わないように。
 「拝金主義を根絶せよ」という空気が検察の中にあるという。それは正義を振りかざして堀江・村上の逮捕に向う一方で、立川のチラシ入れで逮捕する強権的な検察のあり方と表裏一体である。われわれはこれを認めてはならないし、これに沈黙し「規制緩和」を「改革」として賛美するマスメディアにも抗議しなければならない。
 村上ファンド問題は金融の自由化と経済のグローバル化がつくり出した産物であり、日本資本主義の新自由主義的グローバル化の一部に他ならない。したがってわれわれに問われているのは、小泉のもとで押し進められ、つくり上げられた「格差社会」といかに対決していくかである。 (松原雄二)


コラム
犯罪報道に思う


 浅野健一が著書「犯罪報道の犯罪」でマスコミの報道姿勢を批判して二十余年。このかんの事件報道を見ていると、警察もメディアもその人権感覚は、ほとんど進歩していないようだ。
 たとえば秋田県能代市で五月十九日、行方がわからなくなっていた小学一年の男児が遺体で発見された事件。死体遺棄の容疑で六月四日、男児の自宅近くに住む女性が逮捕された。この女性の女児も四月に行方不明になり、同市を流れる川の浅瀬から遺体で発見された。警察は事故死(溺死)と断定したが、遺体や着衣には激流を流された傷がなかった。死因に疑問を持った彼女は自らビラを作って配り、目撃情報を集めていた。
 マスコミは逮捕前から女性の自宅や実家周辺に大挙して押しかけ挑発していた。家族らが抗議し、BPO(放送倫理・番組向上機構)にも訴えたが、取材の自主規制はまるで名ばかり。ワイドショーはプライバシーを丸裸にし「ふてぶてしさ」や「育児放棄」を演出し続けた。ここでも「犯人に相応しい過去」が根こそぎ暴きだされた。
 狭い地域だったからこそ、不祥事続きの警察が奮起したのか。昨年十二月に栃木県日光市で起きた女児殺害事件は未解決。さらに遡れば、装備の近代化や人員増とは裏腹に凶悪な事件ほど解決が遅れている。八七年の「朝日新聞阪神支局襲撃事件」、〇〇年の「世田谷一家殺害事件」などはその典型だろう。加えて警察自ら闇へ葬った事件もある。九五年「国松警察庁長官狙撃事件」では身内のオウム信者が犯行を自供したが、刑事部と公安部の確執もあり、真相は謎のままだ。
 許しがたいのは、捜査怠慢で悲惨な犠牲者を出したケースである。九九年九月の「栃木リンチ殺人事件」翌月の「桶川ストーカー殺人事件」などだ。両件とも被害者の家族が早い段階から繰り返し警察へ救いを求めていたが、当局はまったく取り合わず、最悪の結果を招いた。あろうことか警察は被害者を犯罪者扱いにすらした。前者の主犯格の親は県警の警察官だった。後者では「三流」と見下される週刊誌カメラマンの地道な取材が犯人逮捕に結びついた。この体たらく、警察はやはり人民監視、弾圧の武装集団でしかない。
 当局の情報隠しとネタ欲しさに迎合するマスコミ。逮捕は本来捜査の終着点であり始まりではない。根深い自白偏重は物証不足の裏返しである。冤罪の温床たる代用監獄の強化・拡大が進み、治安維持の名の下に民間人が動員される昨今。犯罪被害者の悲しみや無念に思いを巡らせるとき、どんな事件でも捜査の行方と報道のされ方に無関心ではいられない。警察発表をまず疑って事件を検証しようとすること。それが私の視点だ。 (隆)


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