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インドネシア ジャワ島中部で大地震          かけはし2006.6.12号

政府の場当たり的救援活動

「民衆連帯ネット」活動家の現地報告
6千人死亡、負傷者多数、15万人が家屋喪失

地震第1報

水、電気、電話が止まり鉄道は不通

 ご存じのように、私たちはジョクジャカルタで暮らしています。私たちはジョクジャカルタと中部ジャワを襲った地震に大きなショックを受けました。私たちがこのような地震に見舞われたのは初めてのことです。
 私たちは全員無事で、なんとか安全ですが、私たちの事務所と住居、そして私たちの街区の他の建物も小規模な被害を受けました。私たちは、インドネシア情勢についての報告を皆さんに送るために準備を進めていましたが、私たちの組織の機器は壊れてしまいました。
 私たちの学生の同志たちは、被害の最も大きかったバントゥール地区とジョクジャカルタの中心街に最初の救援キャンプを設立しました。私たちの住居と事務所の壁に亀裂が入り、地震が続く恐れがあるので、安全な地区に移転することを計画しています。私たちはさらなる地震と、数日前のムラピ火山(訳注:ジョクジャカルタ近郊の火山)の噴火への対策を取っています。
 ジョクジャカルタ地震の現況は以下の通りです。
 五月二十七日の午前五時五十四分(現地時間)にジョクジャカルタと中部ジャワの一部を襲ったマグニチュード六・二の地震のために、今までのところ少なくとも四千人が死亡し、約四千人が負傷しました。震源はジョクジャカルタの南三十七・二キロの、南緯八度二十六分・東経百十度三十一分のインド洋の海底十七キロの場所。揺れが最も強く感じられたのはクラテン(ジョクジャカルタの北西三十キロ)とジョクジャカルタ(ジャカルタの東四百四十キロ)です。セマランとスラバヤでも地震が感じられました。津波については報じられていません。
 最初の公式報告では少なくとも二千七百人が死亡し、ジョクジャカルタとその周辺のクラテン、バントゥール、クロン・プラゴでは建物に大規模な被害が生じているということでした。数千人が負傷して各病院に送られたということでした。多くの人びとが余震を恐れて屋外にいます。さにに多くの人びとが倒壊した建物の瓦礫の下に埋まったり、はさまれたままで、被害者の数はさらに増える模様です。
 家屋への被害は、バントゥールとスレマン地区で最大と報じられています。バントゥールでは公立病院もふくめて建物のの七〇〜八〇%が完全倒壊しました。プラムバナン(ジョクジャカルタの東十キロ)では鉄道の駅が倒壊し、レールが盛り上がって、ジャカルタ―スラバヤ間の南部線は不通になっています。ジョクジャカルタの旧王宮の一部も被害を受けました。ジョクジャカルタ国際空港は施設の被害拡大のために閉鎖され、ジョクジャカルタへの航空便はスラカルタ(ジョクジャカルタの北東六十キロ)かセマラン(ジョュクジャカルタの北百二十キロ)に行き先を変更しています。被害を受けた多くの地域では水、電気、電話が止まっておりガソリンスタンドも営業していません。
 また報告を送ります。(ジョクジャカルタより 5月29日)

地震第2報
救援物資が不足し困難をきわめる

 最新の報告です。
 土曜日(五月二十七日)の早朝にジョクジャカルタと中部ジャワ(バントゥール、スレマン、クロンプロゴ、クラテン)を襲った地震による死者の数は五千四百人以上、重傷者は六千五百人に達しています。死者のほとんどはジョクジャカルタ郊外のバントゥール地区で発見されています。現在、家を失った人はおそらく十五万人になっています。病院が満員で、余震によって建物倒壊のおそれがあるため、負傷者は街頭で治療を受けています。
 家を失った多くの人びとは、被害を受けた家屋の近くの一時しのぎのシェルターにとどまっています。それぞれ百人から二百人を収容する約十五の小さなキャンプが、公共の建物の近くに作られました。
 土曜日の夜には何万人もの人びとが、街路の使用できるスペース、キッサバの畑、さらには米の水田の間の小さなあぜ道で眠りにつきました。電気と電話はこれらの地域のほとんどで止まっており、さらに約四百五十回にも達した余震の恐怖があります。その最大のものはマグニチュード五・二でした。
 死者、負傷者を発見し、壊れた建物の瓦礫を取り除く作業は、停電、土木機械と発電機の不足によって困難をきわめています。
 スシロ・バンバン・ユドヨノ大統領は、五月二十九日に救援活動を視察するために被害の大きな地域を訪問し、支援物資配分の改善を約束しました。彼はジョクジャカルタに事務所を開設し、何十もの救援グループが出動すると言つていますが、日曜の午後の段階では、援助活動は場当たり的でまったく未調整であることがはっきりしました。
 全国や海外から援助の約束がなされていますが、こうした宣言は、州内に点在する小さな集落や村に何もないまま取り残された人びとには、ほとんど何の意味もありません。「地震被害募金」と書かれた小さなポーチや古い箱を持った老若男女、子どもたちが通行人からの施しを求めてバントゥールの主要道路を歩いています。それが辛うじてできることなのです。
 新設されたバントゥール地区特別災害対策部隊の存在は知られておらず、この地域で活動しているという形跡はありません。地震後の最初の数時間で、惨劇によって家を失った人びとへの希望を与えたのは、災害対策部隊でも支援局でもありませんでした。インドネシア政府と地方政府は、援助を送り救援活動を実行したと主張しています。しかしジョクジャカルタ市当局は、地域や村落への情報の遅れという不面目をしでかしました。どうしてか。地区の役所がダメージを受けていたのです。TVが国際機関や国内機関からの救援キャンペーンを報じている中で、政府は自らの失敗を告白しています。人びとは政府を信用していません。
 現在、緊急に必要なものは衛生用品のセット、学用品、食糧、医薬品、医療チーム、抗生物質、テント、毛布です。
 私たちは緊急に、バントゥールとスレマンの近くに救援運動センターを設立し、物資や薬品を配付しています。
 日本の同志たちからのあらゆる援助は、この廃墟から立ち直る上できわめて価値のあるものとなるでしょう。(ジョクジャカルタより 5月31日)             


ジャワ島中部地震被災者救援カンパの訴え
                      新時代社

 五月二十七日早朝、インドネシアのジャワ島中部を襲った大地震は、すでに六〇〇〇人近い住民の命を奪い、数万人の人びとが負傷する(5月31日現在)大惨事になっています。生き残った人びともライフラインの途絶と救援の遅れにより、食糧や医薬品にも事欠く困難な事態に直面しており、衛生状態の悪化により感染症が広まる危険があるとも報道されています。
 私たちの友人たちが作るNGO組織(民衆連帯ネットワーク)は、震源地に近いジョクジャカルタでおもに活動しており、早速被害の第一報を寄せてくれました。友人たちのグループのメンバーで亡くなった人はいませんが、居宅、事務所などに亀裂が入って危険な状態にあり、事務所の機器も破壊されています。こうした状況の中で、私たちの友人は小グループながら、最も被害の多いバントゥールとジョクジャカルタの下町にすでに救援テントを設置し、被災者を支える活動を開始しています。

 私たちは、二〇〇四年十二月のインド洋大津波に際して救援カンパ運動に取り組み、インドネシアとスリランカの同志、友人たちを通じて、被災者にカンパを届けてきました。この救援カンパは大きな励ましになったと、スリランカやインドネシアの仲間は語っています。
 私たちはいまこそ「民衆から民衆へ」の草の根レベルでの支援を強めていく必要があります。ぜひ読者の皆さんからの救援カンパを訴えます。これまでと同様、皆さんから寄せられたカンパは、私たちが責任を持ってインドネシアの友人に送ります。
郵便振替口座
00150―8―157442(新時代社)
に「ジャワ島中部地震救援カンパ」と明記の上、振り込んでください。  06年6月1日   


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