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「ジェンダーフリー」へのデマ宣伝            かけはし2006.6.12号

右翼の圧力に屈服する自治体


三井マリ子さんの雇い止め解雇裁判

「男女共同参画社会」推進へのバックラッシュをはねかえせ

 【大阪】大阪・豊中市の「とよなか男女共同参画推進センター:すてっぷ」の初代館長(非常勤)だった三井マリ子さんは、二〇〇四年三月三十一日 雇い止め解雇され、同年十二月十七日豊中市長一色貞輝と財団法人とよなか男女共同参画推進財団理事長高橋叡子を相手に、千二百万円の損害賠償を請求して大阪地裁に提訴した。

フェミニズム講
座などを開催

 〇五年三月から口頭弁論が始まり、七回の口頭弁論の後、〇六年四月に初めての証人尋問が開かれるはずであった。この裁判は全国的に注目されていて、四月の証人尋問の公判には傍聴者が百人を超え、公判廷に入り切れず、裁判所事務局は傍聴券の用意をしていなかった。
 空いていた大法廷への変更要請が出されたがそれは認められず、一時間半の混乱の後、公判は流されるという事態になった。この件について、後日三人の裁判官が原告と弁護士に謝罪し、三井さんの本人尋問の時は大法廷を使用する旨の約束をした。そして五月二十二日改めて本郷豊中市人権文化部長の証人尋問が開かれたというわけである。
 大まかな事実の経過を整理しておきたい。二〇〇〇年一月に産経新聞が豊中市の「ジェンダーフリー教育」の批判を掲載し、バックラッシュの動きが始まっていたが、豊中市は同年春「とよなか男女共同参画推進センター」の館長を 全国公募し、それに応募した六十人の中から三井さんが初代館長に選ばれた。三井さんは二〇〇〇年九月に採用され、「すてっぷ」は十一月にオープンした。
 三井さんは、フェミニズム講座を開講したり、保育・介護の社会化を進める北欧の状況の紹介、ジェンダーフリー問題学習等の取り組みを進めていった。「すてっぷ」一周年では市の助役は「少なくとも四年はがんばってください」と、三井さんに期待を表明していた。

誹謗中傷と事
実無根の噂話

 ところが、〇二年の中頃には、〇三年三月提案予定の市の男女共同参画条例案に反対する市議会議員北川(民主党系)や「『男女共同参画社会』を考える豊中市民の会」の動きが表面化した。この会は、「ジェンダーフリーは女性の味方のように聞こえますが、実態は全く反対です。フリーセックスを奨励し、性秩序を破壊する……」という内容のビラを市役所前で配布し、三井さんを実名で誹謗中傷したりした。「すてっぷ」事務局は、この行動がバックラッシュ攻撃である旨のFAXを理事や評議委員に送った。
 「救う会・大阪」や日本会議大阪と一体となった反対運動に遭遇した豊中市は、市議会議員選挙などを理由に〇三年三月の男女共同参画条例案上程を見送り、半年遅れの九月の市議会本会議に上程。条例案は採決された。市議会議員北川は議会では条例案反対の意見を表明するが、裁決では賛成している。豊中市は、「すてっぷ」が余分なことをやりすぎるという理由で、この時期に三井さんの雇い止め方針を決定していたようである。
 三井さんの解雇は非常に陰湿なやり方で準備された。
 @〇三年六月、三井さんが館長出前講座で講演した際に、「専業主婦は知能指数が低いから専業主婦しかできない」と発言したとの事実無根の噂を流し攻撃した。
 A北川議員らはバックラッシュ攻撃に対して「ステップ」が理事らに送った内部文書としてのFAXを入手し、バックラッシュ側を市民が特定できるその内容が人権侵害だと市の監督責任を追及した。
 B次年度(04年度)から館長と事務局長を一本化し、常勤館長にするという組織改革を行った。
 C〇四年三月、衆議院で西山京子議員(日本会議傘下で「日本女性の会」副会長)が質問し、また福井県武生市議会(三井さんは、武生市でも男女平等オンブットを務めていた)でも民主党系議員が三井さんの仕事を批判的に取り上げた、というものである。

周到に準備さ
れた解雇攻撃

 豊中市は、「三井さんは常勤は無理だと言っている」と勝手に言いふらす一方、裏では大阪府寝屋川市に勤務していた桂さんに新館長(兼事務局長)就任を要請し、そのとき「三井さんも承諾している」と嘘をついている。 そして、〇三年十二月には新館長が内定し、〇四年一月には寝屋川市の広報誌で桂さんの後任の公募記事が掲載された。
 豊中市は〇四年二月、臨時の「すてっぷ」財団理事会を開き、組織強化の名目で「非常勤館長を廃止し、館長は事務局長兼務の常勤職とする」ことと、館長は公募せず採用選考委員会で選考することを決めた。三井さんは採用試験に臨んだが不合格だった。
 豊中市の嘱託員の就業規則では、よほどの失態がない限り何回でも更新が可能であり、館長には定年がなかった。ところが豊中市は〇三年の夏、館長をのぞく嘱託員の就業規則を「更新回数の上限を四回とする」改革案を出してきた。当時の嘱託員は現在は一人も勤務していない。このような経過を経て〇四年度末に三井さんは解雇された。

ファイトバッ
クの会で支援

 この裁判は、男女共同参画社会の実現に向け地域社会の利益を擁護すべき立場にありながら、一部の右翼的なバックラッシュ攻撃に簡単に屈服していく自治体幹部のあり方、女性の地位向上に努力しなければならないにもかかわらず、非常勤職員(「すてっぷ」の場合は全員女性)など非正規雇用労働者の雇用条件を改悪していく自治体のあり方を鋭く問うものである。
 バックラッシュの動きは私たちの周りでは少数の動きのように思われる。彼らの主張はでたらめで、デマと嘘に満ちている。支持者がそんなにいるわけではない。このような少数による右翼的攻撃になぜ自治体幹部はかくももろいのか。この点はしっかり分析する価値がある。
 五月二十二日の裁判終了後、大阪市いきいきエイジングセンターで報告会が開かれた。北海道・広島・富山・福島・東京など遠方からの参加者もあった。寺沢弁護士は組織体制の変更の件、大野弁護士はバックラッシュ・知能指数発言の件、島尾弁護士は選考過程の件について尋問した内容を報告した。
 会場からは、「部長は以前はバックラッシュがあったと言っていたのに、今はそんなものなかったと嘘をついている。嘘はつきませんと宣誓しているのに。もう少し追及する方法はないのか」という意見。大法廷は三井さんの本人尋問にではなく、市幹部の証人尋問に使ってほしいなどの意見が出た。
 次回公判は七月三日、元豊中市人権文化部男女共同参画推進課長(武井順子氏)と元「すてっぷ」事務局長(山本瑞枝氏・豊中市職員)の証人尋問が開かれる。なお、この裁判を支援する組織は「ファイトバックの会」という。支援していこう。(T・T)


資料

東京都知事 石原慎太郎 殿
東京都生活文化局長 殿

憂慮声明 

 本日、東京都は、第3期「東京都男女平等参画審議会」の開催と、委員全25名を発表しました。この審議会は、東京都が2000年4月1日から施行している「東京都男女平等参画基本条例」に基づき、東京都の男女平等参画行動計画その他男女平等参画に関する重要事項を調査審議するために設置される、知事の付属機関です。東京都では現在「男女平等参画のための東京都行動計画・チャンス&サポート東京プラン2002」を指針として男女平等参画施策が進められていますが、この行動計画は今年度末で実施終了期限を迎えます。本日発表された第3次審議会は、この5年間の行動計画実施状況を振り返り、評価し、新たな次期行動計画策定に向けた答申をまとめるという、いわば東京都の男女平等参画施策の方向付けを決める重要な役割を帯びています。
 私たちは、その名簿の中に、「高橋史朗」氏の名前があることを知り、大変驚きました。高橋氏の男女平等に対する認識や、それに関わる発言、彼の名によって発表された文書などは、ことごとく東京都男女平等参画条例に反するものといわざるを得ません。そのような人物が「東京都男女平等参画審議会」委員として加わることは、今後の東京都の男女平等参画施策の行く末に、大きな問題を引き起こすのではないかと憂慮します。
 東京都では、条例施行後も、男女平等推進基金の一般財源化を財政困難という理由のもとに実行し、また審議会等委員への女性登用率35%の数値目標を掲げながら実際には低下するなど、見過ごせない平等施策の逆行がいくつも見受けられます。東京都の男女平等参画施策のこれ以上の後退は許されないのです。
 そのような中での高橋氏の委員就任と、審議会での今後の審議や男女平等参画施策の運びは、全国からの注視のもとにあります。私たち東京都の男女平等参画政策の後退を憂慮する市民の会は、今後の審議会などを注意深く見守り、全国に発信し続けていくことを公表します。
 二〇〇六年五月一日
東京都の男女平等参画政策の後退を憂慮する市民の会

呼びかけ人(敬称略・五十音順・06・05・07現在):
赤石千衣子(ふぇみん)、浅井春夫(立教大学教授)、伊藤みどり(女性ユニオン東京)、井上輝子(和光大学教員)、上野千鶴子(東京大学大学院教授)、江尻美穂子(津田塾大学教授)、戒能民江(お茶の水女子大学教員)、加藤秀一(明治学院大学社会学部教授)、亀永能布子(「女のホットライン」)、北原みのり(ラブピースクラブ)、坂本洋子(mネット・民法改正情報ネットワーク)、佐藤文香(一橋大学大学院助教授)、東海林路得子(矯風会ステップハウス所長)、俵義文(子どもと教科書全国ネット21)、田中かず子(国際基督教大学教授)、鶴田敦子(子どもと教科書ネット21代表委員)、中野麻美(弁護士)、中山千夏(作家)、丹羽雅代(アジア女性資料センター)、橋本ヒロ子(十文字学園女子大学教授)、細谷実(日本倫理学会・関東学院大学教員)、丸本百合子(百合レディスクリニック)、皆川満寿美(埼玉ベアテの会・大学非常勤教員)、三宅晶子(千葉大学教授)、若桑みどり(千葉大学名誉教授)、吉見俊哉(東京大学教授)、米田佐代子(女性史研究者)

 今回のこの行動は、上野千鶴子東京大学大学院教授への支援行動(「東京都に抗議する!」)同様、数年前より広がっているある動きに対抗するためにも行われています。わたしたちは、たくさんの方々に、この動きのことを知っていただき、わたしたちとつながっていただきたいと願っております。どうか、このページを、関心おありの方へ広くお知らせくださいますよう、お願いいたします。


コラム
ヘーゲルの「近代」と現在


 このごろ「静かなヘーゲル・ブーム」が起きていると言われている。
 一七七〇年生まれのヘーゲルは、フランス革命の報に接した時、歓喜して自由の樹を植え、そのまわりを革命歌を歌いながら踊ったと伝えられている。だが、その歓喜は五年ほどで幻滅へと変った。ロベスピエールのジャコバン政治を嫌悪したヘーゲルは、そのままフランスで生起する現実からも遠ざかっていった。「理性的なものは現実的であり、現実的なものは理性的である」とする命題になぞらえれば、フランス革命は、ヘーゲルにとって理性的である限りにおいてのみ現実的だったのであろう。
 ヘーゲルは、「近代」を成り立たせている「精神」を解き明かしたとされている。だが、そうした精神や観念を論理的に深化させたとしても、政治的に後進的なプロイセンでは、それを実現させるために闘うことをあきらめたうえでのことだった。おまけに、当時のプロイセンは近代国家として再結集しつつあった。そのため、フランス革命の現実への嫌悪は、プロイセン国家の在りようさえも肯定することにつながらざるをえなかった。
 さて、マルクスとエンゲルスが「共産党宣言」を発表したのは、ヘーゲルの死後十七年たった一八四八年のことだった。この年は、ヨーロッパ各地で革命の嵐が吹きあれ、フランスで二度目の共和制が成立した年でもあった。さらに、一八七一年には、第三共和制のもとでパリ・コミューンが樹立された。それは、マルクスを媒介にして、やがて一九一七年のロシア十月革命の勝利へとつながっていく。ヘーゲルが嫌悪したジャコバン派によって、「近代」を突き抜けてさらにその向うまで行こうとする壮大な試みの一歩がしるされたのである。
 ヘーゲルにあって、「近代」は人類がついにたどりついた最後の歴史であり、あとは観念上の理想国家とした古代ギリシャに向かって完成していくことだけが課題になる。そのような「近代の完成」は、いま、ロシア十月革命の最終的な崩壊の上に進行する新自由主義のグローバリゼーションの中で実現されつつあるかのようにみえる。ヘーゲル・ブームの背景にはこうした現実の事情があるのかもしれない(実際には、理想国家=古代ギリシャは、ヘーゲルがアフリカとともに「歴史の外」としていたアメリカに置き換わっているが)。
 一七八九年のフランス革命以降の年表をパラパラと抜書きするような格好になったが、この中には、七月十四日のフランス革命記念日(日本でもパリ祭として知られている)を例外として、いまもなんらかの痕跡をとどめている革命はない。多くの人は、現在その成果を残していないものを、簡単に意味のない干乾びた過去の出来事のように扱う。だが、少なくとも近代の歴史は長い闘いの連続であり、その中にはうまくいかなかったこともあれば、成果が深い地層のように目に触れないところに潜ってしまったものもある。歴史はそのようにつくられていく。
 そう考えると、「近代という歴史の完成」を装ったヘーゲル・ブームの根底には、「近代の階級闘争の歴史の清算」があると言えそうだ。 (岩)


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