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フランス                        かけはし2006.4.10号

CPE反対の全土で大規模なデモとスト

解説
反CPE闘争をめぐる政治分化

  フランス政府は、CPE(新規採用契約)の撤回を求めるこの二十年間で最大規模の学生、高校生、労働者のデモとストライキにもかかわらず、CPEを含む機会均等法の撤回を拒否した。三月三十一日のシラク大統領の演説は、制度の一部改正提案にとどまり、新法の基本的性格を変えるものではなかった。世論調査によれば、六二%の人々がシラク演説に「説得力がない」と感じ、五四%の人々が「CPE撤回」まで運動を続けるべきだとしている。
 こうして、この時点になって態度を決定していなかった社会党指導部も、ようやく党員に運動への参加を呼びかけざるを得なかった。人々の強大な圧力が社会党のこの時点でのあからさまな裏切りを許さなかったのである。事態は今や全面対決に向かっている。
 しかし、社会党指導部、労働組合ナショナルセンターの指導部は、ここに紹介するメッツィ論文にあるように、この大衆運動の力に依拠して、CPE撤回まで闘い抜き、現在の右翼政権を打倒するという方向には向かっていない。これら指導部は、現在の運動の高揚を「利用」して、来年度の大統領選挙で社会党候補の勝利を実現したいと考えているのである。これは闘いに参加している人々の要求、すなわち、CPEの撤回、大統領選挙を待たずに闘争を通じて現時点で政府を打倒したいとする要求とは大きくかけ離れている。
 この政治的分化は、労働組合運動だけでなく、学生運動でも同じである。社会党系のUNEF(フランス全学連)とCFDT系の学生連盟(これらの学生組織は、昨年春の欧州憲法条約をめぐる国民投票では欧州憲法賛成の立場に立った)は、基本的に社会党指導部や労組ナショナルセンター指導部と同じ路線を取っている。学生運動の高揚は、基本的にこれら「既成学生組織」を乗り越えて、各キャンパスにおける学生総会とその全国的な共闘としての全国共闘会議という形を取っている(「全国的な学生の闘いはどのように組織されているか」の記事を参照)。 

ナショナルセンターの戦略が試練を受ける
ドミニク・メッツィ


 デモとストライキの日程をめぐる論争の背後には、二〇〇三年の年金改革に直面した時点と同様に、労働組合としての戦略の有効性が問われている。

 労働組合のナショナルセンターは、CPE(新規採用契約)めぐる攻防に勝利するために今後、実際に大衆動員を行っていくだろう。それは、いずれにしても、ひとつの結果を必要としているからである。これらナショナルセンターが望んでいるのは、ドビルパンを打倒し、大きな危機を作る出すようなKO劇ではない。このようなことは、いかなるナショナルセンターも望んではいないのであり、この一大危機を回避するためにあらゆることがなされるだろう。それぞれは、これまでは、統一戦線がCPE撤回を中心に維持されることを、それぞれ異なるが十分に真剣な理由から、支持してきた。
 三月十八日に、労働組合の宣言の中で「CPEの明確な撤回」という要求によって再確認されたのはこの点であった。他方、政府はそれを思いとどまらせる作戦を試みている。だから、今や労働組合にとって試練の時を迎えている。

 労働組合運動は、二〇〇三年の年金改革をめぐる闘いの敗北、EDF=GDF(電力公社=ガス公社)の民営化を通じた分割以来、敗北を積み重ねてきた。こうした敗北の累積を新たに付け加える代わりに、ナショナルセンターは点数を稼ぐ必要があり、この必要性は労働運動の中に深く刻み込まれている。こうした敗北にかかわらず、世論調査が示しているように、労働組合に対する期待は依然として大きい。
 したがって、労働組合運動が「力なき正当性」――IRES(経済社会調査研究所)の研究者、ジャン・マリ・ペルノーの表現によれば――の時期から抜け出して、「戦略的」闘いに勝利できるかどうかが重要なのである。その回答は数日のうちに出される。

 CFDT(民主労働総同盟)指導部さえもが怒っている。なぜなら、まず第一に、CE(学生連盟)を結成したために、青年の運動の圧力があるからである。学生連盟は、CFDTが学生の中に自分たちの勢力の代弁者がいないために、UNEF(フランス全学連)に反対するすべての勢力を集めて新たに(ほとんど見えない形で)結成した組織である。運動に背を向けて政府との交渉に入る学生「組合」に気をつけなければならない!
 なぜなら、その虚勢とは反対に、CFDTの指導者、フランソワ・シェレクは二〇〇三年の危機(CFDTはこの時、年金改革をめぐる闘争で秘密裏に政府との交渉を行い裏切りを行った)によって生じた窮地を脱出したいのである。この裏切りによって、CFDTは一〇%の組合員を失い、多くの支持者を失ったからである。そのためには、挽(ひ)くべき穀物が必要である。
 ところが、ドビルパンは、労働組合が分断され、屈服することを期待して、二〇〇五年六月以来、CNE(新雇用契約)やCPE(新規採用契約)に導入に見られるように、CFDTを無視し続けるというとんでもない計略を追求してきた。シェレクは、ジャン・ルイ・バロー雇用相が脱出口を見出すためにシェレクと会談しようと試みたが、シェレクがそれを拒否したことを明らかにした。CFDTは、二〇〇三年にしたような秘密裏の交渉を行うことをためらっているのである。

 CGT(労働総同盟)内でもまた、第四三回全国大会直前に勝利が必要だろう。「結集した労働組合運動」というその戦略は、(CFDTが裏切った)二〇〇三年とその後の多くの争議で破産した。二〇〇五年一〇月四日後、CGTは、その結果、CFDTなしで、自らが宣言した内容を実現できなくなった。この結果は、SNCM(国営コルシカ・地中海フェリー会社)やRTM(マルセイユ市交通公団)で敗北し、国鉄労働者は孤立した。CGT内部で欧州憲法条約反対の声を代弁していた人々は、ベルナール・チボーCGT書記長が他のナショナルセンターに向かって舵を切ること許す道を選択し、チボーが要求したとおりに、欧州憲法条約国民投票問題でCGTの立場を袋小路に追いやるようなチボーの総括を支持さえした。
 だが、CGTの全国大会の論争では、重大な病弊が示され、支持を受けることなく闘争を失敗するにまかせるような戦略を目指す呼びかけが明らかにされた。さらに、FO(労働者の力、フランス第三位のナショナルセンター)がCGTよりも先鋭な立場として登場した。この状況のもとでは、たとえCGTの機構がその安定性を回復したという印象を打ち出すことができたしても、青年が敗北すれば、悲惨な事態となるだろう。だから、遅ればせながら、民間部門の中でもいくつかの県組織の中で、職種横断的なストライキへの呼びかけをめぐる論争が起こっているのである。
 全体として、今日まで、FOはこの機会を捉えて自らの戦略を若返らせ、青年と結びつき、ストライキの問題を二〇〇三年よりもより多くの成果を獲得できるものとして提起しようと試みている。FOは、時代に全面的に適合しなくなっている戦略を刷新する必要に迫られている。確かに、FOは、その政治的側面を恐れて(これは古い決まり文句だ)、三月十八日の行動日を実際には支持しなかった。今後の事態は、この新たな立場の決定がつかの間の輝きにすぎないことを明らかにするだろう。(「ルージュ」、06年3月23日付号)


第5回全国学生共闘会議を開催
全国的な学生の闘いはどのように組織されているか

 第五回全国学生共闘会議が三月十九日にディジョンで開かれた。最新段階でその圧倒的多数が封鎖を含むストライキに突入している七十一大学を代表する四百人以上の代議員が、その宣言の中で、「高校生の大衆的な規模での動員への参加と労働者の大衆動員の開始は、学生がもはや単独ではなくて、勝利が近づいていることを示す徴候である」と評価した。
 政府の策謀や一部大学の管理部門による閉鎖に直面して、共闘会議は、CPE(新規採用契約)が主要な支柱のひとつである機会均等法の撤回、CNE(新雇用契約)の撤回という自らの要求を改めて確認した。毎日、大衆動員によって少しずつ感じられているのだが、運動を維持し他の大学と他の高校に拡大する必要性もまた確認された。
 一般の人々の七〇%、青年の八〇%がCPEに反対しているので、今後の闘いの帰趨(きすう)は、労働者との結びつきを作り出すことにある。共闘会議は、労働組合組織に働きかけ、「機会均等法とCNEの撤回までゼネスを」と訴え、学生や高校生とともにゼネストを築き上げるよう呼びかけた。共闘会議は、国民議会に向けた三月二十三日のパリでの中央デモを呼びかけ、労働組合組織がこのデモに参加し、パリの地から地方のデモの高揚を助けるよう求めた。
 自主的な組織化と運動の構造化が今後の前進の課題として残っているとすれば、ディジョンの共闘会議は、この方向への重要な一歩前進であり、採択された決定を、メディアや労働組合組織や公権力に知らせる任務をもつ十六人のスポークスパーソンの選出はとりわけ、この前進を示すものであった。エックサン・プロヴァンスで開催予定の次回の共闘会議総会の自主的組織化の過程こそ、運動を高校生に拡大するものとなるはずである。高校生は、リセや都市の総会の代議員を選出するよう招待されている。(「ルージュ」、06年3月26日付号)


コラム

労働組合の破壊が安全をおびやかす

 この間、スカイマークは「ボーイング767で必要な点検を怠り、期限後も九カ月にわたり運航を続けていた。落雷でリベット一本が焼損したのに飛行を続けた。製造元から指示された機内ヒーターの点検期限を四カ月過ぎても運航していた」ことが明らかになった。四十人の整備士のうち十二人がやめてしまっていたという。安全を無視した運航に大きな批判が出、国土交通省から事業改善命令を受けた。
 全日空は「訓練不足のまま航空機関士を十五回飛行させた」ことを明らかにした。〇五年三月十七日には、日本航空があいつぐインシデント(事故になりそうだったが、危うく有害な結果が生じるのを免れた思いがけない出来事)を起こし、国土交通省から事業改善命令を受けた。
 なぜ、このように航空業界において、安全がないがしろにされているのだろうか。
 『沈まぬ太陽』(山崎豊子著)が、日航当局による組合つぶしをつぶさに書いたものであることを知り、読んでみた。
 一九六一年、御用組合であった日航労組に当たり前の要求をする執行部が生まれ、二年間の闘いによって、大幅な賃上げや職場内問題の改善などが勝ちとられた。しかし、一九六三年に池田首相の外遊からの帰国時に、ストを構えた日航労組に対して、運輸省・財界は日航に役員を送り込み、日航労組執行部に「アカ」のレッテルを張り、組合分裂・第二組合を組織した。さらに、前委員長の長期海外配転や窓際族職場への配転など、第一組合の隔離政策を徹底的にすすめた。こうして職場は荒廃し、安全より利益を優先した結果、やがて一九八五年の五百二十人の命を奪った日航123便の御巣鷹山墜落事故つながった。
 この小説を読んで、資本家やブルジョア政府は日航の労務政策の「成功」を教訓化し、電通労組の強制配転や国鉄分割・民営化で国労つぶしのためにひどい差別を行っていたことを改めて思い知らされた。
 安全の問題について、山崎豊子さんは「(一九六九年)の連続事故以降、千三百六十六人の整備士に安全対策アンケートを行った。整備時間が短縮された結果、故障を持ち越したまま、飛ばしていると答えたものが六八%とある」と書いている。
 これは三十五年前のことだが、航空安全会議が出している「2005民間航空の安全確保に関する要請書」を見ると、現在も航空各社は「安全第一」の政策をとっていないことは明らかだ。
 「この十年間、国際競争力強化の名目で行われた航空会社の合理化により、整備やグランドハンドリング(滑走路上での作業)の職場などでは事故やインシデントなどが多発している。さらには、業績評価を気にしてミス隠しまで行われている」。
 「コスト削減競争は、これまで何とか安全を保ってきた熟練技術労働者が切り捨てられ、短期雇用労働者に置き換えられ、技術の伝承といった安全を支える重要な要因を切り捨てることになる。まさに、安全の切り下げである」。
 〇五年二月に、日航は会社主導で新たに第二組合を設立させた。こうした安全の切り捨てをさらに推し進めているのが組合敵視であり、組合分裂を策す労務政策である。このままでは大事故が起こるだろう。安全対策を怠る航空各社と政府の責任を追及していかなければならない。なおこの問題について、「続発する日本航空の事故」(矢野薫、「かけはし05・4・11号」)を参照。(滝)


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