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スリランカ 津波一年後の被災地              かけはし2006.2.6号

被災者は今も仮住居生活

深刻な経済的打撃 再建に数10年も

 二〇〇五年十二月二十六日は、スリランカに恐怖と荒廃をもたらした津波災害の一周年にあたる。この被害は今後も多年にわたってスリランカの人びとの心に残り、つきまとうことになるだろう。
 公式発表では、六万人近い人命が失われ、家屋や財産の被害は莫大なものだった。この破局的事態の後、全スリランカは階級、宗派、肌の色の区別なく何カ月も嘆き悲しんだ。そして説明する必要があることは、津波は人命と家屋を飲み込んだだけではなく、再建には数十年を要するほど経済的に深刻な打撃となったことである。

再建が進まない海岸地帯

 廃墟化した地域にいた家族は現在、津波が引き起こした打撃よりもさらにいっそう悲嘆に満ちた状況に直面している。幾千、幾万人もの人びとが最愛の人びと、親族、母、父、兄弟、姉妹、子どもたちを失った。幾千、幾万の子どもたちが孤児になった。
 この島の多くの部分にあふれた致命的な海水は、生活の資を失い困窮にあえぐさらに多くの寡婦を生み出した。住みかを失った人びとの運命は絶望的になった。
 この破局の数日後、いくつかのNGOやさまざまな人びとが前面に出て、被災者の基本的な必需品を満たす支援を行った。こうした組織と人びとは、住みかを失った人びとのために幾千もの仮の住居を作った。
 しかし一年過ぎた今でも、住みかを失った多くの人びとは、こうした仮の住居で生活している。彼らは、この暗い生活を照らす地平線の彼方の明かりを熱心に捜し求めてきた。スリランカ政府の大きな問題点は、津波で被災した人びとのために一軒の新しい家すら作らなかったことである。南部州の海岸ベルト地帯ではある種の再建活動が始まったが、北部州と東部州の海岸ベルト地帯では人びとは見過ごされ、完全に無視されていると述べなければならないのは残念なことだ。
 これは、クマラトゥンガ前政権が、シンハラ排外主義者のJVP(ジャナタ・ビムクティ・ペラムナ)とJHU(ジャティカ・ヘラ・ウルマヤ)を除く議会の全政党の賛成で「津波被害対策活動運営機構」(PTOMS)を設立したにもかかわらず現実なのである。PTOMSに反対のキャンペーンを行い、PTOMSを無効化するための法的処置を追求した短慮の排他的共同体な分割によってこの機構は消えてしまった。
 再建プログラムと、政府と一部のNGOの活動は、遅々として進んでいない。この活動は弱まっている。活動を促進し強化する適切でよく計画されたメカニズムは存在しない。
 寄附者から受け取った基金の適切な運営が、根本的に必要である。これらのことがわれわれが現在直面している死活の問題である。弱点を根絶し、このメカニズムが活性化するという条件の下で問題を克服することは、決して困難ではない。

NSSPが果たした役割


 第四インターナショナル・スリランカ支部であるNSSP(ナバサマサマジャ党)は、十二月二十六日の事件によって、二〇〇五年には最大のジレンマに直面した。多くの党員、支持者、労働組合員が津波の被害を受けた。通例、党は十二月三十日に創設記念日を祝っている。クリスマスの翌日の惨劇は、これをきわめて困難にした。
 しかし党の最前線のメンバーはこの出来事の直後に結集し、重要な決定を行った。プロレタリア党としてのわれわれが、最も被害を受けた地域に住む、苦しんでいる人びとの援助にかけつけることができるのか。
 われわれは状況の全体を数時間のうちに学び、家から家、個人から個人を訪れて全党員を動員し、困窮した人びとのための衣服、幼児のミルク、食料、缶詰、乾燥食品など最も必要とされる物品をかき集めた。われわれは特別に、集めたものはすべて北部州と東部州の住みかを失った人びとに配分することを決めた。
 この訴えは大きな反響を呼び起こし、大規模な物資集めがそれに続いた。NSSPの政治局員である同志N・ジャナガンは、寄付した人びとに対してすべての物資は東部州のタミール人の間で配分するとはっきりと発表し、「党員が多くの必需物資を集めることができて非常に良かった。二〇〇五年一月二日、三日、四日にNSSPはバチカロアとカルクッダで寄贈された物資を配分する」と述べた。
 スリランカを襲った無慈悲で容赦のない津波でわが国が絶望と困窮に覆われるという決定的な時に、NSSPは第四インターナショナルに対して金銭的援助の手を差し伸べるよう訴えた。インターナショナルの活動家から速やかな回答が寄せられた。
 NSSPと新左翼戦線(NLF、NSSPが中心になって作り上げている選挙戦線)は、インターナショナルがイニニシアティブを取り、欧州諸国、アメリカ、日本の支部がキャンペーンを開始したことに心から感謝したい。こうした力強いキャンペーンの結果、これら諸国の同志たちは金銭的支援などの援助をしてくれた(編集部注:新時代社は本紙読者に救援を呼びかけ、街頭でインドネシア、スリランカの被災者へのカンパをつのり、スリランカの同志には千ドルのカンパを送った)。われわれの側は、廃墟化した地域をまわり、まさしく悲惨の中で暮らしている人びとを援助した。
 津波によって家が完全に破壊された人びとが多数おり、その一部はテントや仮小屋のような暫定的住居を与えられていた。他の人びとは避難民キャンプに住んでいた。政府は、、海から百メートル以内の場所に家を再建してはならないという規則を押しつけた。それは状況をさらに困難にさせた。なぜならさらに内陸側に土地を見つけるのは不可能だったからである。この事態は、津波に襲われた地域の再建の不必要な遅れを引き起こした。
 わが党は困難な状況を真剣に考慮し、人びとが通常の生活を再出発させるために半壊した家を再建して住居を提供することを決めた。この新しいプログラムの下で、われわれはラトマラナ、モラルワ、パナドゥラ、アンバランゴダ、ヒッカドゥワ、ガレ、ハムンバントタ、バチカロア、そしてツリンコマリーの一部などの地域で建設資材を供給することができた。
 またわれわれは、出費に見合った財政的援助も彼らに行った。自分の家が津波で破壊され、廃墟と化したパナドゥラ在住の同志M・R(製靴労働者)は、援助基金にアピールし、このケースを徹底的に調査した後でNSSP津波基金は二十万ルピーの支援を行うことを決めた。それは速やかに実行された。医療労働者の同志ジャヤシンゲには、彼女の家を再建するために千ドル(10万ルピー)が与えられた。

住民を追い出しホテル建設

 NSSP津波救援基金が、さまざまな手段を通じて困窮にあえぐ人びとの支援にかかわる一方で、同志たちは救援活動、再建活動を運営する上での全くの不注意や非効率性に由来する無視や短慮に対して、粘り強くそれを是正しようとする態度を取った。
 われわれはアジテーションや、キャンペーン、あるいは大衆集会を組織して全国から共感の拍手を勝ち取ることにより、国中で大きな叫び声を上げるという、救援活動の分野での誤りに反対する並行的プログラムのイニシアチブを取った。われわれはこの種の集会を十五回にわたって持ち、成功を収めた。
 またわれわれは、海岸に近い土地に住む漁民や虐げられた人びとの追放に反対するキャンペーンを行った。政府は「百メートル・ルール」という見せかけで、こうした土地から人びとを立ち退かせ、金持ちの旅行者用リゾートを建設するために国内と外国のホテル業者や旅行代理店に土地を引き渡すという意向を持って、このプログラムを実施してきたし、今も実施している。

感謝を込めて―闘いは続く


 われわれの求めに対するインターナショナルの迅速な行動を賞賛するとともに、全世界のインターナショナルのすべての支部、支持組織、そして同志たちの親切で寛大な支援にわれわれは感謝する。われわれが受け取ったこうした支援ぬきでは、NSSPは苦境に陥った人びとの救援をこれほど大規模に行うことはできなかった。これは巨大な成果である。
 この不測の事態に対するわれわれの闘いは、まだ終わってはいない。われわれは、津波による廃墟の上に新しい社会的展望を築き上げるまで、誤った行為や基金全般の不適切な使用と闘い、再建活動における社会的無秩序を根絶することを約束する。
 津波は非常な恐怖を伴って来襲し、数万人の生命と巨額の動産と不動産、財産を奪い去った。それはわれわれ一人一人に教訓を与え、われわれを団結させた。それは多くの記憶をわれわれに残した。
 グローバル資本主義は、自らの目標を達成するためにこの自然災害から利己的な利益を引き出すことをためらわなかった。スリランカの資本家階級は、人種差別ぬきで津波被害者に奉仕することができなかった。スリランカ政府は、北部州と東部州の海岸ベルト地帯――これらはタミール人とムスリムの多い地域である――に住む人びとへの救援活動ができず、故意に彼らを運命のままに委ねた。こうした悲劇的誤りのために、タミール人は自らの解放闘争を強化する以外の選択を持てなかったのである。
(筆者ニエル・ウィジェチラケはNSSP〔第四インターナショナル・スリランカ支部〕の指導部メンバー)

(「インターナショナルビューポイント」06年1月号)


コラム

高齢者を直撃する高負担

 今年も所得税の確定申告の時期が近づき税務署より申告書および確定申告の手引きなどが送られてきた。「所得税ここが変わりました!」を見ると六十五歳以上の公的年金などの雑所得が、これまで百四十万円まで無税であったのが百二十万円までに引き下げられ結果的に増税となっている。年金の収入が三百万円の人の所得金額は前年までは百五十万円であったが今年の計算によれば百八十万円となり三十万円増えてその一割の三万円の増税となる。更に老年者控除(65歳以上で所得金額一千万円未満の方が五十万円控除されていた)が廃止になり五万円の増税となるなど六十五歳以上を対象とした増税攻撃が今年の確定申告の特徴といえよう。
 六十五歳未満の人は公的年金などの雑所得の無税は七十万円までであるためか、定率減税の半減、廃止問題などと比べればマスコミなどでもあまり取り上げられてこなかったと思うし、私自身も今回の増税攻撃は「取りやすいところから取る」という政府税調の姿勢は以前から貫徹されていたことを思い知らされた。
 高齢者にかけられる攻撃はこれからも更に連綿と続く、七十五歳以上を対象とした高齢者医療保険制度の導入では、現在子供の扶養家族となっていて保険料を支払っていない人からも保険料を取るようになると聞く、現在七十歳以上の人は医療機関の窓口で支払うのは一割だがそれを二割にするなどである。
 既に制度化されている介護保険料も支払わなければならない。二〇〇四年の総務省の家計調査によれば無職高齢者の収入は月平均二十二万三千円という(年金だけの収入と思われる)。また厚生労働省の二〇〇二年国民基礎調査によれば年収三百四万六千円だという。所得税、住民税、国民健康保険税、介護保険料などを差し引き、持ち家であれば固定資産税、貸家であれば家賃が更に引かれる。政府は裕福な高齢者にも応分な負担をしてもらおうというが、これらの高齢者は決して裕福とはいえない収入であろう。年齢を重ねれば重ねただけ身体にガタが来る、病気に備えて貯えも必要だろう。わずかな貯えがあることで高齢者は裕福だなどとはいえないだろう。
 定率減税の半減は私のような年金生活者には来年の確定申告時に現れるが、源泉徴収を毎月事前に徴収される現役労働者は今月から税額が昨年と比較すると多く差し引かれているとの事だ。更に〇七年一月に所得税、六月に住民税の定率減税を廃止しようと政府、与党が企んでいるし、九月小泉の首相退陣以降、消費税の増税も行おうとしている。
 フランスの保険会社が日本、アメリカ、ドイツ、フランスなど欧米やアジアの十一の国・地域の計七千人に電話で老後のことなどを調査したところ日本人は「退職」を否定的に感じる人四三%と他の国と比較して圧倒的に多く、また退職後の生活水準が低下すると答えたのが七二%あったと発表された(日本では54歳以下と55歳以上が各三百人回答した)。年金や将来の生活に不安を抱いていることの証左であろうが、これから行われるであろう増税や福祉の切捨てに反撃する体制を構築しなければと思う。(高)            


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