もどる

「不祥事たたき」とメディア支配              かけはし2006.2.6号

NHK番組改ざん問題と朝日新聞の屈服

右派政治家の政治圧力を究明し「闘うジャーナリズム」の再生を

深まるメディアの危機

「女性国際戦犯法廷」(主催・同国際実行委)をNHKが改ざんして放送した問題は二〇〇五年、政治家による「圧力」の事実をスクープした朝日新聞と、介入をみずから否定したNHK、そして朝日を叩き続ける自民党幹部と右派言説が入り乱れた論戦が展開された。そのあいだにも朝日とNHKの双方に「不祥事」が発覚し、あらゆる意味で巨大メディアの組織問題が浮き彫りになった一年だった。
 後半は「耐震強度偽装問題」の洪水のような報道が紙面を埋めつくしたが、法廷の主催者であり、放送直後にNHKを告発した原告団体「VAWW―NETジャパン」の裁判は、今なお続いている。
 この問題の底流には、政権党の意のままに動く公共放送NHKの宿命と、小泉政権のメディア支配・言論封殺と正面から闘うことができない商業マスコミの危機の深刻さが横たわっている。

政治家の介入は明らか


 問題の経過を再度確認してみよう。それは〇五年一月十二日付の朝日新聞の報道から始まった。
 「当時の松尾武NHK放送総局長と野島直樹担当局長らNHK幹部が、中川昭一現経産相、安倍晋三現自民党幹事長代理の両氏に呼ばれ、議員会館などでそれぞれ面会した」「番組の内容の一部を事前に知った両議員は『一方的な放送はするな』〜『それができないならやめてしまえ』などと放送中止を求める発言もしたという」。この時、NHK幹部の証言として「教養番組で事前に呼びだされたのは初めて。圧力と感じた」と報じた。
 報道の翌十三日には、番組の担当デスクだったNHKの長井暁CP(チーフプロデューサー)が、涙で記者会見を行った。長井氏は発言のなかで、番組の企画意図を大きく損なった改ざんについて、NHK上層部を厳しく批判した。この内部告発で政治家の介入が誰の目にも決定的となった。
 ところがこの直後、介入の当事者である安倍・中川の「反撃」が始まるのである。以下、朝日新聞〇五年一月十八日付に一面を割いて掲載された「NHK番組改変 本社の取材・報道」と題する特集から引用する。この記事の信頼性を高めているのが、安倍および中川の詳細な取材対応である。
 安倍は一月十日、朝日へのコメントとして「(NHKには)中立的な立場で報道されなければならないと申し上げた……国会議員として言うべき意見を言ったと思っている。政治的圧力をかけたこととは違う」と語る。十二日には「公正中立の立場で報道すべきではないかと指摘した」と発言。十二日の追加コメントは「先方から進んで説明に来た」。さらに十三日「こちらからNHKを呼びつけた事実はない」。狡猾な安倍は、日を追うごとに介入の度合いをトーンダウンさせていく。
 一方、中川と記者とのやりとりはリアルである。彼は朝日の電話取材に対し、放送直前の一月二十九日のNHK野島・松尾両氏との会見を「会った、会った。議員会館でね」とあっさりと認めてしまう。記者の「放送中止を求めたのか」との問いに「そりゃそうだ」と断言し、「全然そう(政治介入とは)思わない。当然のことをやった」と公言する。
 やがて中川もさすがに発言の重大さを自覚するに至り、十二日には「公正中立の立場で放送すべき〜圧力をかけて中止を強制したものではない」と釈明。十三日には訪問先のパリで会見し「面会は(先方が予算に関して説明に来た際)放送後の二月二日」などと苦しまぎれに前言を翻していった。この中川発言につじつまを合わせるかのようにNHKは翌十四日、中川との面会を「二月二日が最初」などと説明した。
 取材をここまで詳細に再現していることから、朝日の記者が双方のやりとりを録音していたことは、ほぼ間違いないと言える。発言のニュアンスを伝える細かい描写には録音は不可欠であり、取材手段として自然だと考えるのが世間の常識である。
ところがこの問題はやがて本質からはずれ、「NHK 対 朝日新聞」という対立の構図へと流れていく。十九日には松尾武放送総局長(当時)が「圧力全面否定」会見をした。NHKはこの日、松尾のこの会見を各時間帯のトップニュースで繰り返し流した。それは極めて異様な光景だった。
 NHKのあるプロデューサーは当時の状況を語る。「このところ連日、朝日を非難する一方的な情報ばかり流してますよね。あれが始まると、みんな『あっ、またやってるぞ』と言って顔をしかめるんです。いままでひどいNHK報道をいろいろ見てきたけど、あれほどひどいのは初めて」(「月刊現代」・05年3月号)。
 別の報道局の記者も心情を明かす。「政治家のカネにまつわる話を書こうとしても、上からブレーキがかかる。そんなことがここ四、五年、しょっちゅうあるから、記者たちも初めから『こんなニュースは書けないよな』と自主規制してしまうことが多い。だからぼくらは(内部告発した)長井さんの勇気に内心では拍手を送っている。でもそれを職場で口にしたら、どんな仕打ちをうけるかわからないから、黙っているんです」(同前)。
 これが「みなさまの公共放送」を標榜するNHKの現場の光景である。

ズラされる問題の本質

 NHKと自民党、極右文芸誌の「朝日バッシング」が執拗に続くなか、朝日の一連の取材内容が『月刊現代』05年9月号の記事に流用されたという疑惑が持ちあがった。
 「政治介入の決定的証拠」と題するこの記事は、フリージャーナリストの魚住昭氏の執筆。安倍や中川が番組に対して露骨に圧力をかけた事実に詳細に言及している。これに対し自民党役員連絡会は八月一日、朝日に対する取材拒否を決め「取材自粛」の通知書を送りつけた。いわく「『被取材者をだまし、隠れて無断(録音)で記録し続けている』可能性があり『(党議員が)万が一にも不当、卑劣な方法による取材で被害に遭うことがないよう相当の措置を講じざるを得なくなった』」(八月四日・東京新聞)。当たり前の取材行為をあたかもだまし打ちであるかのように決めつけ「正当防衛」を強調している。権力者のこうした中傷に対し、朝日は事実関係を明らかにして反論しなければならないはずだ。
 〇五年九月七日、日本新聞協会会長でもある朝日新聞の箱島信一相談役は記者会見し、「虚偽メモ事件」(注)で引責辞任する意向を表明した。その後を追うように会見した秋山耿太郎社長は「解体的出直し」を標榜して謝罪した。それから一か月も経たない九月三十日、今度は「改ざん報道問題」で記者会見を行ない、「不確実な情報が含まれたことを深く反省する」とまたしても謝罪した。編集局長を解任し、役員報酬の一部を返上、組織改革を強調したが、肝心の「圧力」報道の事実関係については、「訂正しない」ことで最終対応とした。この報告に対し自民党の「問題報道調査チーム」は「迷宮入りを図る隠蔽体質」(十月一日・東京新聞)だと反発した。
 朝日の上層部はこうした事件のたびに、末端の記者らを容赦なく処分しては、形式的な謝罪を繰り返してきた。前述した魚住昭氏はレポート「自壊するメディア」(「週刊金曜日」・05年10月4日)で、朝日には解体的出直しが必要だと主張して展開する。
 いわく「『朝日』は記事の正当性を主張できる根拠を持ちながら公表しない。他者は『朝日』が『取材に不十分な点があった』と認めたことだけを取り上げ、鬼の首でもとったかのように騒いでいる。そしてこれがもっとも重要なことだが、誰も肝心の嘘つき政治家の責任を追求しようとしない」。
 そもそも問題の原点は、安倍や中川ら自民党幹部が政治的な圧力をかけて番組を改ざんさせたかどうか、にある。番組放送直前の〇一年一月二十七日午前には「維新政党・新風」が、午後には「大日本愛国党」が放送中止を求めてNHKに押しかけ、戦闘服を着た三十人が内部に乱入した。この襲撃を前後して、法廷の内容は自民党と「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」に知られるに至り、同会の当時の会長中川と元事務局長安倍がNHKへの恫喝を続けていた。
 こうした執拗な攻撃に屈服したNHKは、放送直前まで改ざんを続けたのである。この「圧力と改ざん」という二つの犯罪的行為こそ、一連の問題の原点であり、核心なのである。まさにこの事実関係をめぐって、法廷主催者である「VAWW―NETジャパン」は、もっとも早い段階で彼らを告発し裁判で闘ってきた。しかし真の被害者である法廷主催者の主張を、メディアはまったく無視し、ほとんど報道していない。

「不祥事」と「自主規制」


 〇五年十月一日付東京新聞によれば、朝日は〇五年一月の報道から八月までの七ヵ月間で、発行部数を二三万部も減少させている。朝日は社内に「信頼される報道のために委員会」を立ち上げて「出直し」をめざすが、そこでは一般民間企業なみの「人事査定強化策」が打ち出されている。これでは現場記者は、今まで以上に出世のために上司の顔色をうかがい、その指示に無批判に従い、事なかれ主義に身をまかすしかない。
 すでに社内ではフリーランスへの「虐待」が始まっているという。系列雑誌の契約ライターが書いた記事に対して、編集部が責任を負わなくなっている、というのである。こうした「自己責任制」の下では、誰も危険を冒してスクープを追うことはしない。もっとも立場の弱いフリーの売り物は、正規社員にはない身の軽さと危険を省みない自由な行動力だった。こうしたフリーの切り捨てと、強化されるスポンサー批判記事への検閲は何をもたらすか。「なんという自主規制ぶりであろう。その当時、フリーの記者仲間と『こんなことをやっていたら、この会社はいずれ危うくなるぞ』と囁き合ったものだ。〜その果てに、今の『朝日』の惨状はある」(「週刊金曜日」・05年12月23日)。
 もう一方の当事者NHKの「不祥事」も後を絶たない。〇四年七月の元CPによる「番組制作費着服問題」、さらに集金職員による受信料着服や、経理担当職員による「裏金作り」の告白まで飛び出した。こうした不祥事の連続により〇五年一月、ついに海老沢会長が辞任に追い込まれ、後任に橋本元一専務理事が昇格した。元会長海老沢は未練たらしく顧問就任を画策したが、視聴者の批判に遭って辞退した。
 相つぐ不祥事に、増え続ける受信料支払い保留と拒否。NHKは橋本新体制で「組織改革」を強調し、「信頼回復」に努める姿勢を打ち出す一方で、「受信料未払い世帯」への強権的な法的措置もちらつかせていた。
 ところが昨年十一月には、滋賀県大津支局の記者による「連続放火未遂事件」が発覚する。現役記者による信じられないようなこの事件。容疑者は県警担当の新人で、「スクープ獲得」への過度のストレスから「むしゃくしゃしていた」(十一月九日・東京新聞)と供述したという。かくして「受信料支払い拒否」は増え続け、昨年十一月末には一二八万件にも上っている。
 朝日の「不祥事」には、支局間の連絡の不備、初歩的なミステイク、上司と部下の信頼関係の喪失がある。さまざまな要因が絡み合った結果である。創立一二六年の「老舗」としての朝日記者のおごりやエリート意識。それに対する他社のねたみやそねみ。加えて朝日の「リベラル」ぶりを執拗に攻撃する右派言論と、それを後押しする政府自民党の思惑が見え隠れする。
 NHKの記者による放火未遂のケースも、被疑者は担当した警察から同情されるほど、厳しいスクープ競争と上司の叱責にさらされていた。新人記者への過度のプレッシャーも、事件を誘発させた一因ではないのか。
 朝日とNHKの両者に共通するのは、現場記者への「ジャーナリスト」としての基本的な教育の必要性である。求められているのは組織をあげて権力の不正を監視し、弱者の視点に立ちきってそれを国民の前に明らかにし、支配者の横暴を牽制・阻止すること。そういう報道に徹する態度である。そのためには社内で百家争鳴する、相互に批判・検証しあえる空気と取材体制が不可欠である。部局内における強い信頼関係に裏付けられた緊密な連携なしには、巨悪に立ち向かうことなど不可能である。

朝日新聞の自縄自縛


 記者が取材の際に録音したり、ビデオを回すのは当たり前の行為である。それは、事実を事実として確実に記録するために、避けられない手段である。当然にも取材される側は、それを十二分に承知したうえで取材に応じているはずだ。取材相手が疑惑の渦中にいる人物なら、なおさら正確な記録は重要になる。都合の悪い発言を翻すことなど日常茶飯事だからである。「言った、言わない」という消耗戦を避けるためにも、権力者からの理不尽な告発と闘うためにも、録音や録画や撮影は取材の「命綱」であり、証拠保全のための最大最高の武器である。
 「MD流出問題」で昨年八月に懲戒解雇になった辰濃哲郎元朝日新聞記者は、取材の経過でのみずからの非を全面的に認めたうえで、当初「無断録音は処分の理由に入っていない」と上司から告げられたと振り返る。ところがその後朝日は報道で、「録音は本人の了解を得るのが原則であり、取材相手との信頼関係を損なうことがあってはならない」と転換してしまった(〇四年八月七日付)。朝日はみずから土俵際へ後退していった。事実をきちんと検証しない安易な「謝罪」と「反省」は、自縄自縛以外の何物でもない。これを境にマスコミ他社が「朝日非難」に傾いていった。
 繰り返すが、朝日は政治介入の事実について、録音テープの有無を含めて、正々堂々と毅然と対応すべきだった。もっとも早い段階で、テープの存在を明らかにし、その内容を公開していれば、これほどの劣勢に追い込まれることはなかった。朝日はなによりもまず「政治介入」の決定的証拠を最大限利用して、先制攻撃をかけるべきだったのである。そうすれば「無断録音問題」などという権力者による陳腐で姑息な論理のすりかえは簡単に封じ込めたられたはずだ。

「解体的出直し」が必要


 「今でもそう(安倍氏らがNHKを呼び出して放送中止を求めたと)思っている」。みずからの良心にしたがって、不利益を省みずに内部告発したNHKの長井暁CPは昨年十二月、前述した裁判の控訴審できっぱりと証言した。こうした勇気ある行動をジャーナリズムは共同でバックアップし、権力に立ち向かっていかなければならないのである。ひたすら「反省」して「謝罪」を繰り返し、関係者を処分する朝日に対して、「報道・表現の危機を考える弁護士の会」は十月十一日、強く抗議し以下のような申し入れを行なった。
 「反省という言葉で幕引きすることは、報道の権力監視機能を弱体化させ、国民の知る権利に重大な障害を作り出すことになる」「報道機関は捜査機関のような権限がなく、細部まで正確を期すのは困難だ」「今後、朝日は権力者の批判記事を掲載する際、細部にわたって真実との裏付けがない限り掲載できなくなるおそれがある。事実を調査して市民に伝える役割を担う報道機関にとり、あまりに大きな弊害をもたらす」(十月十四日・東京新聞)。
 まさにこの忠告に尽きる。権力の闇に潜り込み、暗部に光を当てて万人の前にその策謀を明らかにする作業には、常に危険がつきまとう。その光は、ぼやけていたり、弱かったりするかも知れない。しかしたとえ不完全なスクープであったとしても、それを突破口にさらに闇を明るく照らすこと、時間をかけた正確な報道を追加することは充分可能である。
 「大新聞朝日」の萎縮は、他社にも波及し、いずれ組織ジャーナリズム全体の弱体化をもたらすだろう。メディアは、先の戦争で国民を無謀な消耗戦・総力戦へ駆り立てていった世紀の「大虚報」こそ、深く真剣に反省すべきなのである。
 権力者はしたたかである。スキあればつけいり、メディア相互の不信感と競争を煽り、順次体制側にからめとって弱体化し、御用化しようとしている。
 メディア間の反目と不祥事暴露合戦│足の引っ張り合いは、支配者にはもっとも都合のよい内ゲバである。独善的な倫理観に基づいた報道の自主規制は、墓穴を掘る行為である。言論・表現の自由、人々の知る権利、知らせる権利をまもりぬくためには、権力者からのさまざまな圧力を、上層部も含めて組織一丸となってはねのけていくしかない。
 昨年の総選挙で自民党に空前の「圧勝」をもたらしたのも、「小泉劇場」の演出に一役も二役も買った無節操・無責任なメディアではなかったか。「反小泉」を鮮明に掲げたメディアは、果たして存在したか。
 大手マスメディアは連携し、かつ競って「反権力」というジャーナリズムにとってもっとも大切な姿勢を貫き、それに立脚した視点で報道を続けるべきなのであり、そのための「解体的出直し」に、今こそ取りかかるべきなのである。
      (佐藤隆)

注 〇五年八月、衆院選をめぐる長野総局の記者による「虚偽メモ事件」が 不祥事続きの朝日に追い打ちをかける。朝日は総局から送られてきた彼の「虚偽メール」をもとに二十一日付の朝刊で、新党結成について田中康夫長野県知事と亀井静香が会談したと報道した。


もどる

Back