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投書  横浜事件の再審判決によせて          かけはし2006.2.27号

免訴は事件の全容解明にも当事者の名誉回復にもならない

Y・N

 戦時下最大の治安弾圧事件といわれる横浜事件の再審判決が、今月九日に横浜地裁で出された。判決内容はすでに報道されているように、治安維持法が廃止され、被告らが恩赦を受けているということから、旧刑事訴訟法の規定に従い、有罪、無罪の判断に踏み込まずに裁判を打ち切る免訴であった。
 弁護団は「再審公判において横浜事件の真相と獄死まで招いた暴虐な拷問捜査の実態を明らかにするため全力を尽くしたい」と声明しており、事件の真相解明と被告の名誉回復を求めていたはずである。幾度にもわたる再審請求はかなわず、すでに被告らは全員亡くなり、その意志を継いだ遺族らの請求によってやっと行われた再審での判決がこれでは、当事者の無念は計り知れないものであるだろう。
 横浜地裁の松尾昭一裁判長は判決理由の中で「免訴によっても元被告らの名誉回復は期待される」と述べた。しかし小田中聡樹(専修大・刑事訴訟法)は毎日新聞のインタビューで、「再審理念を考えた場合、無罪判断ができるのなら無罪を優先して被告を救うのは当然だった。通常の公判なら、刑の廃止や恩赦などの免訴理由は有罪、無罪の判断の前に問題となるが、この事件は無罪の方向で開かれた再審公判。通常公判に適用する論理を再審公判にも機械的に適用するというのは、学生の答案だって落第だ」とし、「既に確定した有罪判決があり、(地裁の判断と異なり)免訴でその効力は完全に失われないからだ。無罪判決が新たに確定して初めて有罪判決は完全に失効する」と答え、被告の名誉は回復されないとしている。
 当事者が求めていたのは名誉回復のための無罪判決であり、裁判打ち切りということで事件の全容解明もされていない。さらに小田中氏が述べるように再審制度の理念から考えても不当判決であると言うしかない。
 被告弁護側はただちに東京高裁に控訴したが、旧刑事訴訟法の規定では免訴判決が出た後の控訴は認められておらず、このまま再審が終わってしまう可能性がある。事件そのものを闇に葬ろうとする司法・検察の意図が判決に見え隠れしているようである。
 さらに神奈川新聞の報道によると、遺族らの中には控訴してさらに闘うという意見がある一方、免訴判決が出たことによって刑事補償を受けることへの道筋ができたという意見もあるとのことである。このような当事者間での意見の相違が、運動の分断につながらないかが不安である。免訴判決の中にはこのような意図もあるのではないだろうか。
 自由と人権を踏みにじる事件が続く中で出たこの判決は到底許されない。それらの弾圧を跳ね返すためにも、裁判所に控訴を認めさせ無罪を勝ち取る必要があるだろう。   

コラム
動きはじめた春

 三年ほど前、私の暮らす団地の中で三匹の猫を見かけるようになった。地域猫と言うらしい。
 大きさも、茶トラの毛並みも、顔つきもほとんど同じ。見分けがつくのは、尻尾が真っ直ぐ長い、途中で折れ曲がったようになっている、チョコンと突起があるだけ、といったところだけだった。とりあえず、尻尾の長さ順にABCと識別名をつけてみた。
 Aは人懐っこく足元にすり寄ってくる。撫でてやるとゴロゴロ喉をならす。Bは私の顔を見るとニャーと声を出すが、かならず一メートルの距離を保とうとする。それ以上近づこうとすると、気難しげにズリズリ後ずさりしていく。Cは顔を見るだけでサッと逃げる。Aと思ってBやCに近づかないようにするために、私はまず尻尾を確認しなければならなかった。
 ほどなくしてCの姿を見ることはなくなった。人間を恐がりすぎて餌を獲得するのが難しかったのだろう。Aはちゃっかり団地の中にある肉屋に居すわり、首輪までつけてもらった。どうやらこの肉屋は餌を確保するだけの場のようで、いつも団地の中をパトロールしている。見る見るうちに大きくなったので、オスだと思ってマタベェと名づけたが、その後メスであることが判明した。
 結局、いつもの場所で見かけるのはBだけになった。私はそれをフクと名づけた。以来、出勤時に「フクちゃんオハヨウ」「ニャー」とあいさつを交わすのが朝の日課になった。だが一メートルの距離は縮まらず、帰りにスーパーで買った竹輪などを与えようとしても、プイと横を向かれてしまう。そればかりか、たまたまそばに近づいてきたので、撫でてやろうと手を伸ばしたら思い切り引掻かれてしまった。
 そして去年の春。フクと三メートルくらいの距離をおいて、いつも黒っぽい猫がいるのを見るようになった。鼻のあたりから腹にかけては白いが、あとは真っ黒の猫。たがいの距離は少しずつ縮まって、二ヵ月もすると寄り添うようになった。フクに恋人ができたと思い、その猫をタロと呼ぶことにした。
 タロは私の姿を見ると駆け寄ってきて、スキップするように動きまわったあと、長い尻尾をピンと立てたまま顔を地面にこすりつける。撫でてやるとゴロンと横になる。時々大きな目でジーッと私の顔を見つめるが、媚びるようなことはない。夏の日などは、ダッーと木に駆けのぼって蝉をつかまえて、誇らしげに私のところに持ってくる。調子に乗って雀も捕ろうとしたが、これは無理だった。そのうちメスであることがわかったが、いまさら面倒だから名前はそのままにした。
 この冬の寒さはきびしい。東京でも氷点下の気温はめずらしくない。風の強さも冷たさも尋常ではない。タロを連れて帰りたくなるが、ぐっとこらえる。狭い部屋に閉じ込めたのでは、蝉を捕ったり雀を追いかけたりする生活に慣れた猫は拘禁症になるにちがいない。いつもいっしょにいるフクと引き離すこともできない。でも雪が降ったあとなどは、「よくぞ生きていてくれた」と、思わず抱きしめてしまう。タロのほうは迷惑そうに私の顔を見つめるだけだ。
 寒さのせいか、タロの毛は夏のころの二倍ほどの長さになって密生している。このごろでは、撫でているとその毛がゴソゴソ抜けてくる。もう春の毛に生え変わりはじめているのだ。きびしい冬のその下で、春はしっかり蠢いている。  (岩)


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