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寄稿                          かけはし2006.2.13号

方向性をめぐり5つの分岐

浅見和彦(大学教員)

イギリス労働党から除名された労働組合(RMT)

労働者の政治代表の危機―イギリス左派の討論
「集会は新党をめざすものではない」という発言の真意

 一月二十一日、鉄道・海運・運輸労組(RMT、七万人)が主催する「労働者の政治代表の危機に関する公開討論集会」が開かれました。同労組の昨年と一昨年の大会で、こうした討論集会を開催すべきだとする決議が組合支部から提案され、可決されていたのです。
 RMTは、一昨年に労働党を除名された左派労組で、労働党執行部が除名した理由は、RMTがその政治基金を労働党以外の政党への支出にも開放するという方針をとったことです(*1)。実際、同労組のスコットランド地方委員会がスコットランド社会主義党(SSP)に団体加盟しました(*2)。
 昨年末に発表された同労組の声明で、演壇からの発言を予告されていたのは、労働党左派の元下院議員で現在は戦争ストップ連合(STWC)会長のトニー・ベン(一九七〇年代の労働党政権の閣僚)、労働党左派の下院議員であるジョン・マクドネル、スコットランド社会主義党(SSP)の党首コーリン・フォックス、社会主義党(SP)のデイブ・ネリスト(コベントリー市議会議員)、前進ウェールズ(ウェールズ社会主義党)のジョン・マレック、緑の党のジーン・ランバート(欧州議会議員)でした。
 その一方で、RESPECTの代表は招かれませんでした。RESPECTの事務局長で社会主義労働者党(SWP)の中央委員であるジョン・リースは、同集会に招待してもらえるようにRMTに二度にわたって要請したといわれます。また、国際社会主義グループ(ISG、第四インター・イギリス支部)を中心に「ソシアリスト・レジスタンス」紙を共同で発行している活動家たちも、「RESPECTの代表も招かれるべきだろう」との声明を発表していました。
 この日の集会にはおよそ三百数十人が参加し、会場からあふれた人たちも百人ほどいたということです。
 主催者を代表してRMTのドナヒー委員長が、「この集会は新党の創設をめざすものではないし、なんらかの決議を採択するものでもない」と述べました。またボブ・クロウ書記長が「労働党はもはや労働者の利益を代表していない」と激しく批判しました。そして、ナショナルセンターのTUC(労働組合会議)指導部のイニシアティブの欠如も批判し、「当面重要なことは職場委員を中心とした労組の全国的な運動を展開することである」と強調したのです。

労働党「再生」
の方向を強調

 演壇からとフロアからのたくさんの人びとの発言内容をおおまかに分ければ、次の五つになるでしょう。
 一つは、労働党「再生」の方向での努力を強調するものです。これは労働党左派の意見で、この再生派の組織が労働代表委員会(LRC)です。RMTや消防士労組(FBU、五万二千人、労働党脱退)、郵便・電通労組(CWU、二十六万人、労働党加盟)など四つの全国労組や労働党左派議員で組織しています。労働党の内部だけでなく、党内外での活動の意義を認めています。当日の発言者では、ジョン・マクドネル下院議員がこのグループに属します。

新しい政党の
創設を提唱

 二つめは、これとは対照的に、労働者階級の新しい政党の創設を提唱するものです。これは旧ミリタント多数派の後身である社会主義党(SP)の主張で、同党のデイブ・ネリストらが強調しました。
 旧ミリタントは、イギリスの主要なトロツキスト諸潮流のなかでは最後まで加入戦術をとっていました(*3)。そのため、一九八〇年代の前半に、労働党のキノック党首の下で主要メンバーが除名されましたが、一九八七年頃には組織勢力のピークを迎え、約八千人のメンバー(読者・支持者)を数えます。また、一九九〇年の「人頭税」反対闘争の高揚で、とりわけスコットランドにおけるミリタントが活躍します。こうした経過がミリタントのなかに自信を生みます。その直後の一九九二年に、加入戦術からの転換を推進するピーター・ターフらの多数派とこれに反対するテッド・グラントらの少数派に分裂したのです。この分派闘争の結果、過半数のメンバーを失うという代償を支払うことになったものの、多数派が「労働党から独立した新しい労働者政党の創設」という方向を徹底することになったといえます。
 労働者の力(WP)というグループもこの方向を支持しています(*4)。集会では、スコットランド社会主義党(SSP)の党首コーリン・フォックスも、「イングランドにおいて、こうした方向が発展することを期待する」と発言しました。
RESPECTを
集会に招請せず

 三つめは、RESPECT、とくにその最大の支持勢力となっている社会主義労働者党(SWP)の党員たちの主張で、「すでに船は港から出航している」という発言です。
 RESPECTは、二〇〇四年一月に結成され、昨年五月の総選挙ではロンドン東部の選挙区で労働党右派の現職議員を破って、労働党を除名されたジョージ・ギャロウェイの当選を果たし、また次回総選挙で議席を争える選挙区もいくつか作り出しました。約四千人のメンバーを擁しています。
 その結成の準備段階では、社会主義党(SP)やイギリス共産党(CPB)への接触がなされましたが、その後は両党を含めた幅広い左派結集の方向が実際にはとられていません。先の発言は、「他党派は船に乗り遅れたにすぎない」という意味になります。
 昨年十一月の全国大会では、国際社会主義グループ(ISG)のメンバーも、RESPECTの問題点を厳しく指摘しています(本紙第一九〇七号参照)。討論集会では、ISGのグレッグ・タッカーが「今後はRESPECTよりも大きく、またより良いものが必要だ」と述べました。
 また最近では、ギャロウェイ議員が民放テレビの「セレブリティ・ビッグ・ブラザー」という番組に出演し、しかも三週間も費やしたため、左派の間だけでなく、メディアでも論議をよび、その否定的な影響が懸念されています(*5)。

左派勢力の共同
闘争の発展を重視

 四つめは、左派諸勢力の共同の発展、そのプロセスの重要性を強調するものです。左派の雑誌「レッド・ペッパー」の編集長で、国際マルクス主義グループ(IMG、かつての第四インター・イギリス支部)のメンバーであったヒラリー・ウエインライトの見解がこれです(*6)。スコットランド社会主義党(SSP)の経験を指摘し、この党が結成されるまでに左派諸勢力の間での共同と信頼の構築というプロセスがあったことを振り返り、熟慮することが必要だと強調しました(*7)。
労働党内の左派
との共闘を強化

 五つめが、労働党に一切期待はしないが、労働党内での左派の努力を非難しないと同時に新しい労働者政党の結成を急がず、とくに労働組合運動の職場からの強化を訴える立場で、ボブ・クロウの先の発言がこれにあたります。
 この集会には、RESPECTの代表が正式には招待されなかったものの、そのメンバーが約七十人参加し、社会主義党(SP)の党員もこれと同数かそれ以上が参加したといわれます。また、昨年解散した社会主義連盟(SA)を構成していた他党派のメンバーが四十人ほど参加していたということです。予告では名前のあがっていなかった社会主義労働党(SLP)のリズ・スクリーンも演壇から発言し(*8)、イギリス共産党(CPGB、一九九一年解党)の元書記長のゴードン・マクレナンもフロアから発言しています(*9)。
五月四日の地方選挙にど
のように対応するのか

 このように、労働党左派を含めて、イギリスの左派諸勢力が一堂に会する集会となったのです。RESPECTと社会主義党(SP)という左派の二大勢力の対立という状況を考えれば、ボブ・クロウないしRMTでなければできない絶妙さがあります。
 それだけにイギリス左派の現状がよくあらわれた機会といえ、それをふまえて左派諸勢力がどのようにその結集を図るのか、あらためて問われることになります。当面、五月四日に予定されている一斉地方選挙で、どのように対応するのか注目されるところです。


 (*1)イギリスの労働組合が政治基金を設立するには、@政治基金を設立するかどうかを組合員の投票で決めA設立することになれば、これに同意しない組合員は基金からは離脱をする権利を持ちBその上で、基金をどのような政治活動に支出するか、あるいはどの政党に「団体加盟」するかなどを決めることになります。
 (*2)スコットランド社会主義党(SSP)は、約三千人の党員を擁し、スコットランド議会(百二十議席)に六議席をもつ左派政党。選挙・議会活動と特定の問題でのキャンペーンを重視していて、労働組合での力量は強くありません。
 (*3)ゲリー・ヒーリー派の社会主義労働同盟(SLL、のちの労働者革命党WRP)が一九六〇年代には加入戦術をやめ、またトニー・クリフ派のインターナショナル・ソシアリスツ(IS、現在の社会主義労働者党SWPの前身)も七〇年代にはやめていました。
 (*4)労働者の力(WP)は、一九七三年にインターナショナル・ソシアリスツ(IS)内の「左派フラクション」を名乗ったグループが除名され、一九七五年に結成。ISから脱退して結成された労働者の闘争(WF、現在の労働者解放同盟AWL)と合同した後、短期間で分裂し、七六年に再結成。「第五インター」の結成を提唱しているグループ。
 (*5)「ソシアリスト・レジスタンス」に結集する活動家たちは、このテレビ番組を「新自由主義丸出し」であり、「最大の問題は、ギャロウェイが出演にあたってRESPECT指導部と相談しなかったことだ」と批判しています。BBC放送や保守党系の「タイムズ」紙は、ギャロウェイの行動によって、RESPECTのメンバーや支持者が辞めていることを報じています。
 (*6)ヒラリー・ウエインライトの著書に『ルーカス・プラン』(邦訳、緑風出版、一九八七年)など。彼女はスコットランド社会主義党(SSP)を「円熟したトロツキスト」の試みとして評価しています。
 (*7)スコットランド社会主義党(SSP)は一九九八年に結成。それ以前の九六年にスコットランド社会主義連盟(SSA)が結成され、ミリタントのスコットランドにおける組織を中心としながらも、スコットランド共産党(CPS)の党員なども結集して共同が発展。二〇〇一年には社会主義労働者党(SWP)のスコットランドの党員もSSPに合流しています。
 (*8)社会主義労働党(SLP)は一九九六年に炭労の指導者のアーサー・スカーギルが創設。元共産党執行委員であったボブ・クロウ(現在は無所属)はこの党に短期間在籍。
 (*9)ゴードン・マクレナンは一九七五年から一九八九年までの共産党書記長。


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