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解説                          かけはし2006.2.13号

アスベスト対策基本法の制定を

被害のピークは20〜30年後に
アスベスト問題は国と企業が作り出した戦後最大の「公害」

クボタの衝撃的な発表

 二〇〇五年六月二十九日に、石綿(アスベスト)企業のクボタ(兵庫県尼崎市)が「工場の中で五十一人がアスベスト関連で亡くなった。しかも近隣の住民の方も中皮腫になって二人が死亡した」と発表した。クボタの発表では五人だがクボタの被害周辺住民は五十人を超えている、今後も増える可能性があると被害住民たちは訴えている。
 この発表後、相次いでアスベストを生産していた企業で従業員の死亡が伝えらた。さらに、アスベストは建設、造船、旧国鉄、自動車、日常家電製品にまで使われ、それにより死亡する被害者が続出していることが明らかにされ、全国にアスベストショックが広がっている。
 クボタはなぜ発表せざるをえなかったのか。
 夫をアスベストで亡くした古川和子さんがアスベスト患者の相談にのっていた。職歴がなくてもアスベストの患者さんがいることを知ることになった。二〇〇四年の十月頃、彼女はクボタがどうも怪しいのではないかと当たりをつけて、歩いて回って患者さんがいないかと聞いた。
 古川さんがガソリンスタンドで「こんな患者さんいないか」と聞いた。「実はうちの社長はそうだ」と従業員が答えた。その人のことがあって「ほぼ間違いない、クボタの周辺で何かが起こっている」と気づいた。〇五年になって、地元の議員を通じてクボタの周辺にアスベスト患者さんがいると直接クボタにぶつけた。クボタは隠すことができないことを知り、六月二十九日の自主的な発表になった。
 クボタの工場は東海道本線の北側に位置している。列車の土手が子どもたちの格好の遊び場だった。工場から風下に向かってゆったりとした風とともにアスベストがまん延していた。ここで発症している人たちは子どもの時に、土手で元気に遊んだ人たちの可能性が高い。これと似た状況が各地にあるという。

アスベストと中皮腫


 アスベスト(石綿)は綿のようなものでセメントなどに混ぜて建材を作ったり、建物の中に施工していく。アスベストという物質は、火、酸やアルカリにも強く電気も通しにくく、物質としては非常に有用性を持ったものだ。しかしアスベスト繊維は、髪の毛の五千分の一という細さだ。そのため、体内に吸入された繊維を除去するのは今のところ不可能だ。体の中に入ってしまうと何十年もとどまってしまう。
 胸膜中皮腫は肺と肺を覆う胸膜の間に星のように点々とガンができてしまう。肺の外側から中側に肺の組織を潰していく。腹膜中皮腫は、おなかの内臓を包んでいる膜の内側にでき、ガンが内臓をどんどん機能させなくする。その他に大量にアスベストを吸った場合、アスベスト肺といって、アスベストによって空気を取り入れることが出来なくなる。それと同時にアスベストによる肺ガンがある。
 中皮腫はアスベストを吸い込んで発症するまでに、三十年から四十年と非常に長い潜伏期間がある。そのために、アスベストを吸ったということと、発症したことの因果関係がなかなか分かりにくい。発見された時には手遅れになることが多い。

一千万トンにの
ぼる総輸入量


 日本でのアスベストの輸入は、一九六〇年代末には年間二十万トンを超え、これまでの総輸入量は一千万トン近くにのぼる。この頃よく使われたのがアスベスト水道管だ。大きいものだと口径が何メートルもあった。一九六〇年代半ば頃からは建材として多く使われるようになった。大型の建物がどんどん作られたからだ。そうすると耐火性が求められ、軽くしなければいけない。性能の高い建材が求められ、その中でアスベストが大量に使われてきた。
 膨大な輸入量の九割くらいは建材に使われていた。建材に使われたアスベストは今はもう廃棄されているものはあるが、多くは建物の中に閉じ込められた形で、日本中にある。
 われわれの身近な所でどこにアスベストがあるのか。駐車場鉄骨の吹きつけ材(ロックウール)、建材では波形スレート板。駅のプラットホーム、工場の天井や壁、屋根などにも使われている。西洋屋根瓦材は二年前くらいまで使われていて、五軒に一軒はアスベストスレート板が使われている。これも十年くらいすると塗装がはげてくる。そうすると中のアスベストが出やすい状態になる。これを解体する時、上から瓦をぼんぼん落とし割って解体している。それでアスベストが放出されてしまう。
 ニューヨークの9・11テロによるワールドトレードセンタービルの崩壊現場で救助活動があった。この現場はアスベストがむき出しになっていた。救助隊員はアスベストに囲まれた中で救助活動をした。なぜ、マスクをしていないかというと混合の粉じんの中で防塵マスクをしたら、すぐ息が出来なくなり、救助活動ができなくなる。この人は何十年後かの自分の病気を覚悟して活動していたのだろう。大きな地震があると明日にでも日本でもこういう情景が起こらざるをえない。阪神大震災などでの救援や建物の解体時に、こうしたアスベスト対策がなされていなかった。数十年後にアスベスト被害者が出てくる可能性がきめわて高い。

深刻な被害の実像


 中皮腫で死亡した人は一九九五年五百人、二〇〇四年九百五十三人。この十年間でアスベストで死亡したと推定されるのは七千十三人だ。労災認定されたのはわずか四百十九人。クボタ報道以降、経済産業省の全国調査(05年8月22日)で判明した死亡者数は、造船、車両、電機、建材メーカーなど五十九社四百五十一人。その内訳はアスベスト企業三百七十四人、造船八十五人、鉄鋼が十四人。
 アスベスト製品の九割は建材だ。全国の建設労働者のほとんどがアスベストを吸引していた。建設現場や解体現場で働いている多くは日雇い労働者だ。
 造船では、ボイラーマンがやられた。港湾労働者は荷揚げされた石綿の麻袋を手鉤を使って投げると袋からアスベストが舞い散った。
 旧国鉄では、車両のブレーキ、配管の断熱材などあらゆるところでアスベストが使われていた。操車係や修理、点検担当など防じんマスクもなく、仕事をさせられていた。国鉄職場ではアスベストに関わりのあった人は十万人にものぼり、八人が労災認定され五人が死亡している。
 一九九六年以前に建てられた全国の病院三百二十四、社会福祉施設二百四十五などでアスベストの飛散によって曝露のおそれがあると厚生労働省は発表した。同様のことは学校、公民館、地方自治体の庁舎、自然公園の施設、農協の施設など、日常的に利用される多くの場所でも、アスベストの飛散の可能性があることが判明した。
 家庭用品の百八十社六百八製品がアスベストを使っていた。エアコン、冷蔵庫、トースター、電気スタンド、システムキッチン、自転車のブレーキなどだ。

年間四千人以上の死者

 日本中にあるアスベストによって、これからどのような被害が現われるのか。早稲田大学の村山武彦教授が「胸膜悪性中皮腫による死亡者の予測結果(男性)」という疫学上の計算式を作って示した。それによると、二〇三〇年から二〇三四年の五年間に二万人を少し超えるくらいの人が中皮腫で亡くなるだろう、と予測している(図参照)。一年間で四千人だ。アスベストのよる肺ガンは中皮腫の二倍はいると言われているから八千人くらいは亡くなる。
 怖いのは潜伏期間が非常に長いことを考えあわせると、二十五年から三十年後の数字を今から下げることはできないということだ。今この時に発症する人たちは症状が体の中で始まっている。アスベストが全廃になったとしても、その成果が現われるのは三十年から四十年後になってしまう。その時に被害者になるのは、われわれではなくて、われわれの子どもであったり孫だったりする。

国・企業は危険を察知


 日本のアスベストに関する規制は欧米諸国に比べて遅れた。旧環境庁は一九七二年以後、海外文献で近隣住民にも中皮腫が発生していることを把握していたが放置した。発がんの危険性から、青石綿の使用が一九八六年にILOの条約で禁止されたにもかかわらず、政府は一九九五年まで放置した。一九九二年に、旧社会党が提出したアスベスト規制法案を、政府与党は一度も審議することなく廃案にしてしまった。
 一九五五年にはイギリスでアスベストと肺がんの関係が立証されていた。一九六五年には、アスベスト工場周辺での被害が明らかになった。一九七三年にアメリカは吹き付けの原則禁止を決めた。ヨーロッパ各国もこれにならった。第二次世界大戦前から造船所などで大量にアスベストを使っていたアメリカでは、多くの労働者が中皮腫などで死亡した。〇二年までにおよそ七十三万人の労働者たちがアスベスト関連企業八千四百社を相手どり訴訟を起こした。補償金や裁判費用は約八兆円になる。
 一九八六年十月、米空母ミッドウェーから出た一・五トンのアスベストを米海軍の下請企業が横須賀市内の公園脇に不法廃棄していたことが明らかになった。ミッドウェーの大改修の際に出る大量のアスベスト処理が横須賀に寄港した目的だとも言われている。入港反対運動とともに大きな闘いに発展した。
 一九八八年に、浦賀造船所に勤めていた労働者が裁判を起こした。一九九八年には、米軍基地で働いて肺がんやじん肺になった二十人が損害賠償を要求したが、横浜防衛施設局は拒否し裁判になった。一九八七年には、学校で使われていたアスベスト問題が全国化し大問題となった。こうした数々の告発と闘いがあり、充分被害の深刻さを政府・業界は認識いたにもかかわらず、被害を先送りして患者をさらに増やすことになった。政府・業界の責任はきわめて重い。

新法の問題点は何か


 石綿(アスベスト)被害者救済法を政府は提出し、二月三日に参院で可決・成立させた。これまで放置されてきた被害者が救済を受けるということでは闘いの「成果」ではあるが、不充分性が明らかになっている。
 第一に国や企業の責任をあいまいにしている。第二に、救済される対象が中皮腫と肺がんの二つの限られている。労災で認定されている石綿肺、びまん性胸膜肥厚、良性石綿胸水の患者は対象外である。給付内容も、中皮腫で死亡した約一万人に三百万円の特別遺族弔慰金を支給し、今後四十年間で十万人が発症するといわれるアスベスト中皮腫、肺がん患者に、自己負担金の医療費と療養手当を支給するというものである。しかし、労災適用者は二千万円から三千万円に対して、環境被曝者には三百万円とはあまりにも低過ぎ、労災と同等にすべきである。
 このほか、石綿対策全国連絡会議などが@アスベスト製品の速やかな全面廃止A曝露した者に対する健康管理制度の確立B労災補償に時効を適用するなC労災制度が適用されないアスベスト被害について、労災補償に準じた療養・所得・遺族補償など制度の確立D中皮腫の数倍と言われるアスベスト肺がんなど中皮腫以外のアスベスト関連疾患も確実に補償を受けられるようにすること――と要求している。
 そして、この法律の大きな問題は、今回の救済法がアスベスト及びアスベスト含有製品の把握・管理・除去・廃棄などを含めた総合的対策を一元的に推進するためのアスベスト対策基本法になっていないことだ。
 一九九九年に環境庁が外部の調査会社に委託して、吹付けアスベストのアスベスト排出量推定、石綿スレートのアスベスト排出量推定のデータを持っていた。これらは廃棄物として処理されている。廃棄物はこれを受け入れる廃棄物処分場はすでに数年で満杯になることが確実だ。それについてもアスベスト対策基本法の中で、決めていかないと今でも行われている不法投棄に直接結びつきたいへんな問題になる。
 政府の救済法は、これから被害者が増えることにまったく考慮していない。石綿障害予防規則や大気汚染防止法などで解体工事などに規制をかけているが、中間処理施設などいまだに毎日毎日アスベストをまき散らしているところを規制する法律がまったくない。将来の子どもたちや次の世代のアスベスト被害者を減らすために予防するという観点からの立法になっていない。戦後最大の「公害」アスベスト被害対策基本法をぜひとも実現させよう。(滝山五郎)
注 この解説は、「市民の声・江東」(中村まさ子江東区議が代表)が〇五年十一月二十日に開催した「―アスベスト、身近な不安とどう向き合うか―アスベスト問題」での永倉冬史さん(中皮腫・じん肺・アスベストセンター事務局長)の講演と以下の文献を参考にしました。『アスベスト禍―国家的不作為のツケ』粟野仁雄著、集英社新書。『安全センター情報』―総特集弾けた時限爆弾:アスベスト(05年9・10月号)


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