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07年立法院選挙にむけて                かけはし2006.12.11号

民進党も国民党も汚職疑惑

草の根社会運動を形成しよう 労働者の利益を代表する党を

各政党は結局
「同じ穴の狢」

 陳水扁の国務機密費流用疑惑から馬英九の市長特別費流用疑惑に至るまで、今年の台湾政局は大変な騒ぎとなった。国務機密費およびほかの民進党高官の汚職疑惑は、民進党が標榜してきた清廉イメージのでたらめさを徹底して暴露した。民進党政権はこの六年間、自由経済政策を実行し、大企業に肩入れ、支援を行い、富めるものを富ませ、貧しきものをさらに貧困のふちに叩き落してきた。そもそも民衆が民進党を支持して政権の座に押し上げた理由は、民進党が国民党時代の政官財癒着構造を改革すると期待したからである。いまこの期待は完全に裏切られた。
 では国民党はどうであろうか。野党に転落したこの六年間、国民党は換骨奪胎の変革さえも話にならず、なんら新しい、進歩的な政治的見通しを提起することもできなかった。連戦(国民党名誉主席)が中国を訪問して中台関係の緊張緩和において若干の進歩的役割を果たしたこと以外に、国民党がふたたび政権に就いて労働者民衆の利益のなる改革を進めることを信じることのできる理由は何一つない。二〇〇八年の総統選挙を前に、国民党は当初、台湾市長の馬英九の個人的イメージに期待していたが、市長特別費の流用疑惑は、少なくとも馬英九神話の崩壊が始まりつつあることを物語っている。
 台湾の政治はきわめて政治家個人のイメージが重視される。強調されるのは個人のイメージや魅力、道徳概念、あるいは抽象的な精神力などである。これらはまったく重要ではないとは言わないが、過分にこれらの点のみに問題意識が集中してしまい、真に重要な問題――候補者と政党が主張する政治経済体制はどのようなものなのか、それらの主張は誰(大企業か民衆か)に利益をもたらすのか――が覆い隠されてしまう。
 もし、これらの基準に基づいて各政党を再検証すれば、表面上は意見が異なり対立しているように見える各政党が、じつはその立場は大同小異に過ぎないことが見えてくる。かれらはだれもみな清廉だ、改革だ、台湾地元主義だ、などと標榜し、ときには労働者、青年、マイノリティを意識した空虚なスローガンを掲げたりもする。しかし決定的な問題に際しては、これら各政党の性格は完全に暴露されてしまう。
 たとえば、彼らはみな自由主義経済制度を支持し、いかなる修正主義的政策さえも行おうとはしない。自由主義経済の正体は「一元一票」の金権政治であり、金銭の力が支配権を規定する。このような制度は、近年の台湾における貧富の格差の拡大、貧困と不安定雇用の蔓延、そして政官財癒着の根源である。結局、政治の舞台における各政党は、社会科学の用語における「ブルジョアジー」の政党であり、その主張は、政府は労働者民衆による社会改革の道具ではなく、大企業のために奉仕するものである。この意味においてかれらは「同じ穴の狢」である。

新しい政党と
第三勢力の違い

 実際、普通の人々に問いかけると、その多くが現在の政治に不満を持っており、台湾の未来に希望を持っている人は多くない。そして議論すれば、多くの人が各政党は大企業の側に立っており、民進党も国民党も変わりなく、信頼に足る政治家などいないと考えていることがわかる。しかし選挙になれば、政治家個人のイメージを重視する社会ゆえに、普段は批判的な主張を持っている有権者も、慣習的に政治家個人と政党とを分けて考え、印象の良い政治家に票を投じる。もう何度も投票を繰り返しているにもかかわらず、政治はますます不透明になり、社会はまったく進歩しない。民衆は、著名な政治家への期待――失望――別な政治家への期待――そして再度の失望、という悪循環に陥っている。
 この悪循環から抜け出すには、強力な草の根社会運動の力をつくりだし、それを基礎にした、そして真に労働者民衆のために社会改革を行う道具としての新たな政党を建設しなければならない。草の根社会運動とは、救世主によってではなく、民衆の集団的な力によって権利をかちとり、制度を改革することを深く認識したものをいう。
 そして政治とは、社会改革のひとつの道である。それゆえに、社会運動の勢力とは、進歩的で、民主的な政党を建設し、政治権力の掌握を通じて政治を改革し、社会を改造しなければならない。もし政党がなく、社会運動しかないとすれば、その力をさらに多くの改革に集中させることは難しいだろうし、また社会運動がなく政党しかない場合は、その政党がどれだけ進歩的であろうと、民衆の監視を欠いた中で堕落してしまうだろう。
 民進党と国民党の罵倒戦と混戦に直面し、多くの政治家たちもあらたな方向性を模索し、いわゆる第三勢力の可能性を追求していることが何度となく報道されている。しかしわれわれがここで言っている新しい政党とこれらの第三勢力とは大きな違いがある。われわれが創ろうとする新しい政党とは、草の根勢力の結集であり、政治家の権謀術数の産物にはあらず進歩的政治理念の先行者であり、時代遅れの思想にしがみつき守ろうとするものではなく社会改革運動の推進者であり、選挙の利益のみを図る政治家の野合ではない。
 来年の立法院選挙(国会議員選挙)では、新たに小選挙区・比例代表制が導入される。この制度の小選挙区(一選挙区から一人のみが当選)はきわめて悪い選挙制度である。金があり、派閥基盤があり、メディアに多く登場する候補者が当選しやすく、民衆に基盤をおき、マイノリティや新しい政治理念をもった新興勢力には不利な制度だからだ。しかし二票制(候補者個人と政党にそれぞれ投票できる)は、新党の誕生をいくらかでも後押しすることも確かである。なぜなら、もし労働者民衆の利益を代表し、社会運動を代表する新党がもし形成されるのであれば、政党への投票によって民衆の支持を集めることが可能になるからである。二〇〇七年の立法院選挙が、台湾政治の新たなスタートとなるかどうかは、社会運動圏の努力と民衆の覚醒にかかっている。(2006年11月27日)


投 稿
「無言館」を訪れて
戦争で逝った画学生の鎮魂録
                  秋谷静雄


毎年恒例の
日帰り旅行

 十一月二十三日、長野県上田市にある「無言館」を訪れた。荒川区の市民派区議会議員せの喜代さんを「応援する会」が、恒例のバスハイクとして企画した。定員を超える区民ら約五十名が参加した。昨年は「丸木美術館」を訪れ、川越の町並みを散策した。今年は天候が心配だったが、幸い終日好天に恵まれた。
 朝七時。日暮里駅前に集合した参加者は、最初の目的地「無言館」をめざす。首都高から関越自動車道へ、渋滞もなくバスは快適に走る。車窓に浮かぶ山並みを眺めながら東部湯の丸ICを過ぎると、山肌の紅葉が目前に迫ってくる。
 出発から三時間半、無言館に到着。小高い丘の上にきれいな町営の駐車場がある。大型バスなどはここに停め、徒歩で細い林道を登っていく。普通車はそのまま上がり、入口前に駐車できる。
 戦没画学生慰霊美術館「無言館」は、まわりを山々に囲まれた塩田平と呼ばれる田園地帯の丘陵地の頂にある。背景に浅間山を望む。中世のヨーロッパの僧院を思わせる建物のなかに、先の太平洋戦争で志半ばにして戦地に散った画学生三十余名、三百余点の遺作・遺品が展示されている。
 画家で自らも出征経験がある「信濃デッサン館」の館主窪島誠一郎氏が、一九九七年に分館として設立した。美術学校の仲間を戦争で失った画家野見山暁治さんとともに、日本各地の戦没画学生の遺族のもとを訪ね、貴重な遺作を集めた。

胸を打つ作品群

 館内は見学者でいっぱいだ。ほの暗い照明下に掲げられた油絵や水彩画の数々。そこに描かれているのは家族であったり、恋人であったり、故郷の風景であったり、愛用した日常品であったりする。ありふれた、なんの変哲もないこれらの題材が、これほどまでに観る人の胸を打つのはいったいなぜだろうか。
 書き手の多くは、一九三五年前後に当時の東京美術学校(現東京芸大)に入学した。だが戦火が激しさを増すなかで徴兵され、フィリピン、中国、シベリアなど出兵先で戦死した。二十〜三十歳代で人生を閉じた名もない若き画学生たち。生きていれば、どんなに輝かしい未来が待っていたかもしれない。戦争によって愛する家族や恋人と引き裂かれた無念が、これらの作品ひとつひとつに重く深く沈殿し、観る人に無言で訴えかけているかのようだ。
 「絵の巧拙は問題ではない」と、作家の澤地久枝さんは語る。「修業途中の『わかがき』のういういしさ、どこまで伸び得たか未知数の才能が、戦争によって無残にねじきられた実相を、展示の作品はあなたに語りかけてこよう」(※)と。しかし私たちに多くの思いをかきたてる作品群の、その美術品としてのリアリティは、どれも一定の技術水準、力量によって裏打ちされているものばかりだ。
 私たちの眼になじんだ、戦争そのものの悲惨さを直截に描いた作品とは異質の輝きを放っている。その力は観る人の心の内面に突き刺さり、目を醒めさせるかのようだ。会場のあちこちで鼻をすする音が耳についたのは、この土地の寒さだけではないだろう。私もついつい涙腺が緩んでしまう。

紅葉に埋もれて

 「無言館」を出た一行は、最終目的地別所温泉へ向かう。大型バスがやっと通れるほどの道の両側に、風流な温泉宿が軒を連ねている。昼食は釜飯とそば。宿の窓にはこぼれるばかりの紅葉が映り、疲れを癒す。食事の後、全員徒歩で北向観音や国宝・八角三重塔がある安楽寺へ。ここで法話を聞く。住職の若林氏はシャンティ国際ボランティア会(略称SVA・旧名称は曹洞宗ボランティア会)の常務理事も務める。この境内の紅葉も素晴らしい。まるで絵葉書のような景観だ。記念撮影の後は自由行動。町にある温泉は百五十円を払えば自由に入れる。都内の銭湯料金の三分の一である。帰路も渋滞なく、東京へは四時間弱で到着した。数年ぶりに美しい紅葉と感動的な絵画に触れた、充実した晩秋の一日だった。(※)無言館―戦没画学生「祈りの絵」窪島誠一郎著 講談社 1997年



読者からの通信

厚労省抗議行動に参加して
早急に「障がい者自立支援法」の見直しを勝ち取ろう
                            Y S

 障がい者の生活をむしばむ「障がい者自立支援法」の成立によって、障がいの程度をランク付けする(軽度の障がいである区分1から、最も介助を要する区分6まで振り分ける)ための認定調査が、八月から東京でも行われてきた。その調査内容は、百以上の項目がありながら、全身性障がい者に対する項目はできておらず、高齢者の介護保険の認定調査項目に知的障がい者・精神障がい者のための項目を付け加えただけのものだ。調査に来た福祉課の職員は「厚生労働省からの具体的な案がないので困ります」「脳性小児麻痺の障がいのことは、よくわからない」などと話し、このまま認定結果が出されたら大変だ!と思ってしまった。
 事情があって障がいを持っているにもかかわらず、障がいの違いなど理解できない人たちが、私たちの生活を勝手に左右できるのだろうか?それはまさしく人権を無視しているのではないだろうか?私は思う、高齢者の場合とは違うのだ。障がい者には障がい者の生活の歴史があり、考え方も違う。だから、高齢者の介護保険と同じようには考えてほしくない。
 十月から障がい認定区分の決定結果に基づいた福祉サービスが開始された。私の場合はあまり変化がなかったが、先の認定調査項目では障がいの程度が正確に区分決定に反映されず、サービス時間が削減された仲間も多い。十月三十一日には、「障がい者自立支援法」の早急な見直しを求め、厚生労働省への抗議行動が呼びかけられ私も参加した。東京日比谷公園には、何と1万5千人もの障がい者や家族があふれかえっていた。

石川一雄さんか
らお礼の手紙が

 銀座デモには出られなかったが、有楽町駅に向かうと、丁度10・31ということで、石川一雄さんたちが狭山事件の再審を求める署名活動を行っており、しばらく情宣のお手伝いをした。後日、石川さんからお礼の手紙が届き、感激してしまった。


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