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オアハカ州民の運動を支持しよう            かけはし2006.11.27号

闘いの高揚を政府は軍と警察で弾圧
民主革命党は民衆運動を防衛する意志がない

アドルフォ・ヒーリー


解説

選挙と議会の枠にとどまる民主革命党


サパティスタ解放
戦線の新たな闘い

 メキシコでは、長く暑い闘いの夏の後、退陣するフォックス政府はオアハカの準反乱的運動を押しつぶすために準軍事部隊と正規軍を送り込んだ。アドルフォ・ヒーリーは、オアハカを防衛しなかった中道左派PRD指導部を酷評している。
 二〇〇六年、メキシコは、巨大な民衆の抗議によって麻痺したが、今度は民衆の側が残忍な弾圧をこうむった。対決の合図となったのは、マルコス副司令官とサパティスタ指導部が行った「他の運動」である。二〇〇五年に始まったこの運動は、メキシコを下から再構築する闘いの中で、メキシコの多様な民衆運動、先住民運動、左翼運動を統一することを狙いとしている。これは、EZLN(サパティスタ解放戦線)がチアパス山中の立てこもりから打って出て全メキシコ的な指導性を発揮し始めるという、非常に積極的な、大胆な動きであった。

6月大統領選で
の大量の不正

 五月、マルコス副司令官のメヒコ州サンサルバドルアテンコの急進的共同体訪問の後、フォックス政府は警察による挑発を展開し、この町を襲撃して、死者二人と数十人の重傷者をもたらし、四十人以上の女性に強かんや性的暴力を働いた。このことが全国的、国際的な抗議を引き起こした。
 この間、南部太平洋岸の州オアハカでは教員組合を先頭とする大衆運動が、オアハカ州の知事で腐敗を極めた右翼PRI(制度的革命党)党員であるウリゼス・ルイス・オルチスの退陣を求めて盛り上がっていた。教員組合とオアハカ人民民衆会議(APPO)は州都(やはりオアハカと呼ばれる)を麻痺させ、中央広場と主要政府建物を占拠した。これに対してルイス・オルチスは、殺し屋集団を雇って抗議運動参加者を襲撃し暗殺することによって応えた。市の中心部を片付けようとした八月の準軍事警察による残虐な行為は、結局、無数の死者を出して敗北した。
 しかし、オアハカの運動とときを同じくして行われた六月の大統領選挙のドラマは、大量の選挙不正によって右翼PAN候補者フェリペ・コールデロンの「勝利」となり、したがって中道左派PRD(民主革命党)の候補者アンドレス・マニュエル・ロペス・オブラドールの「敗北」となった。
 不正選挙の後、一カ月以上もの間、PRDの支持者たちは大衆的に野宿してメキシコ・シティーの広大な地域を封鎖し、PAN政府を大いに悩ませた。しかし、最終的にはPRDが抗議を終わらせるように呼びかけた。PAN政府は立場を確保したことにより、PRIと共謀してオアハカの民衆運動に対する暴力をエスカレートさせたのであった。少なくとも十五人が殺害された。
 十月二十九日に、雇われた殺し屋たちは、二人の抗議運動参加者とニューヨークのインディメディア社のジャーナリストであるブラッド・ウィルを殺害した。フォックス政府はこの事件を利用して三千五百人の警察と軍隊をオアハカに送り込み、力によって運動を押しつぶそうとしている。ここに、十一月一日付け中道左派系日刊紙「ラ・ホルナダ」に掲載されたアドルフォ・ヒーリーの記事を紹介する。彼はPRDの著名な党員であるが、この記事は、国家の暴力からオアハカを防衛しなかったPRD指導部を痛烈に非難している。(インターナショナル・ビューポイントより)


炎の中で孤立
するオアハカ

 政治組織と体制内化した労働組合の構造全体は、程度の違いはあれ、孤立したオアハカを決定的瞬間に見捨てようとしている。一九九四年にサパティスタ運動に対する戦争を阻止するために行われたような大きな社会的動員は行われず、アテンコ村虐殺に抗議して起こったような動員も行われていない。
 選挙運動の定石、すなわち既存の制度の論理が、あらゆる社会的動員より優先されている。いくつかの宣言や抗議は行われたが、選挙の論争の中で組織されたような大きな勢力の動員は行われていない。
 民主革命党(PRD)は、論争の議会的側面の中に吸収されている。議会では、PRDはオアハカ州における権力の消失に賛成投票し、政治的裁判を要求した。もしこれでうまくいかなければ、残念だが、われわれは名誉を守り、長い週末に入る、というわけである。PRDが選んだ知事たちは、連邦区(メキシコ・シティー)を含めて、全員が全国知事会議でウリゼス・ルイスと並んで署名した。CND(アンドレス・マニュエル・ロペス・オブラドールが組織した全国民主主義会議)は、投票の数え直し以外には、あらゆる実際的効果は存在しないも同然であることを示した。
 PAN(国民行動党)とPRI(制度的革命党)の間の古い協定が、今やウリゼス・ルイスを支持するためにオアハカの人民に対して動員されたのであり、オアハカにおける現在までの十五名の死者に関する責任は彼らにある。この古い協定が、退けられた知事を擁護し、オアハカ人民の社会的運動の正統性に反対させたに違いない。今や、彼らはPFP(連邦警備警察)と兵士にPFPの制服を着せ、過去にしばしばやったような政治的解決をはかろうとしているが、これは彼らの無能と信用できないことのもう一つのあかしである。

PRIとPAN
の歴史的な協定

 PRIとPANの協定は、珍しいことではない。シナルキスモ(PRIの前身の党に反対した一九二〇年代および三〇年代の主として宗教的社会運動)の法定相続人として、また聖職者階層およびメキシコ保守派の政治的声の法定相続人として、PANが一九三九年に創設されたとき以来のものである。
 この協定は、決定的瞬間には常に発動された。すなわち、一九五九年の鉄道労働者のストライキの弾圧、一九六八年の学生運動の弾圧、一九七〇年代の汚い戦争、一九八二年に始まった新自由主義的リストラ、一九八八年の不正選挙(数百人のPRDメンバーが他の人々とともに殺害された。当時、政治的抵抗は命がけであった)、一九九一年の選挙における証明書の焼き捨て、憲法二十七条および百三十条の消滅、NAFTA調印、一九九四年以降のチアパス弾圧、サンアンドレス合意の破棄とココパ法反対投票、ファバプロア(民間銀行の負債を公共債務に吸収する協定)、大統領候補となるための政治的権利をアンドレス・マニュエル・ロペス・オブラドールから奪うことに賛成して両党の三百六十人の議員が投票した道化協定(圧倒的な民衆の不満のためにうまくいかなかった)、二〇〇六年選挙における投票数え直しの拒否、である。このリストはいつまでも続き、重要な例外はない。
 十月二十九日の日曜日付け「ラ・ホルナダ」に発表されたアンドレス・マニュエル・ロペス・オブラドールの手紙は、受け入れがたいものである。彼は、警察の行動、PANとPRIの間の協定、ウリゼス・ルイスの「卑劣で弾圧的な」政府を非難することに自己を限定している。彼は、知事の辞任が唯一の解決策であると主張し、七月の選挙でオアハカ州民のほとんどが彼に投票したことを読者に思い起こさせる。それでおしまいである。
 これに続いて、連邦地区(メキシコ・シティー)や国の他の場所で、オアハカ州民の運動を支持し、ウリゼス・ルイスの準軍事部隊による殺人や連邦政府による弾圧に反対する大動員が呼びかけられると期待したであろう。千五百万票を獲得した人物からのこのような呼びかけは、首都のメインスクエアや全国の多くの他の広場を人々であふれさせたであろう。彼の手紙に書かれたような、遅ればせの糾弾では、何の役にも立たない。

見捨てられた
オアハカの闘い


 この文章を書いているときにも、オアハカは、PAN政府がPRIの残忍な知事を守るために派遣した連邦軍によって占領されている。本日、さらに二人が殺害された。私は、CNDの指導者たちに、全国の公共広場や職場や学園での動員を要求しようとは思わない。その理由の第一は、彼らにはそうする気がないからであり、第二は、彼らには勢力を動員するだけの影響力がないからである。野党の指導者、アンドレス・マニュエル・ロペス・オブラドールにも要求しようとは思わない。彼の手紙が、そうする意志がないことを述べているからである。
 憤慨と驚きの中で、メキシコ人民は再び、連邦政府の弾圧部隊が大衆的な正統な民衆運動をどのように攻撃し、追い詰め、極限に追いやりあやまらせるかを注視している。民衆的支援組織、人権組織やその他の組織(これらは大勢力には入らない)の抗議、非難、動員の中で、大組織の沈黙と受動性がオアハカを孤立させている。オアハカは独力で、自らの勇気と動員能力で、独自の古来の組織的枠組みで独り立っている。詩人の忘れがたい言葉「終わりのない死」のように、オアハカは、今、「炎の中で孤立」している。オアハカの人民は、さんざんに打ちすえられて終わるであろうが、しかしいっそう組織される可能性がある。そうしている間に、票集め人たちは別の文句を思い出すだろう。「ぼくらは運び屋、馬に乗って道を行く。みんな自分にふさわしいものを手に入れるだろう。」
(06年10月30日)
(「ラ・ホルナダ」、11月1日)
▼アドルフォ・ヒーリーは、マルクス主義の観点から書かれた非常に有名なメキシコ革命に関する本の著者である。トロツキスト組織PRTの元メンバーであるが、現在はPRDの著名なメンバーである。


解説
メキシコにおける闘いの経験を共有しよう

 二〇〇六年一月一日、サパティスタ民族解放軍(EZLN)は、ラカンドン密林第6宣言(注1)に基づいて、(大統領選挙とは)別のキャンペーンを全国的に開始した。キャンペーン隊の一行は先住民だけではなく、各地の人権団体や左翼、また、差別され、差別と闘う人々と精力的に意見の交換を行ってきた。
 しかし、五月三〜四日、メキシコ州アテンコで襲撃事件が起き、キャンペーン隊の一行は襲撃への抗議と、百人以上にものぼる逮捕者の釈放を求めてメキシコ市に留まることを決定した。こうして、キャンペーンは一時中断を余儀なくされたのだが、十月中旬キャンペーンは再開された。
 この文章はPRTが「別のキャンペーン」を支持し、キャンペーンに参加する際に発表した声明である。短い文章ではあるが、PRTとEZLNとの関係のみならず、反資本主義左翼、及び、その統合の問題についての彼らの考えが具体的に記されている。この間の私たちの討論の一助になればと思い訳出した。 (O)

「別のキャンペーン」とともに
反資本主義の闘いのための全国プログラムを作り出そう!
PRT(労働者革命党)=第四インターナショナルメキシコ支部

変革を体制の枠
内に限定しない

 別のキャンペーンは、搾取されている階級、迫害され、差別され、抑圧された階層を反資本主義左翼という独自の展望の下に結集させている。われわれの生活状態や、この国の状況を改善するためには、改革や変革をなすだけで十分であるという幻想がこの計画には存在していない。
 反資本主義左翼であるということは、体制や社会の根本的な変革を提起するということである。政府や法律面でのいくつかの変革を提起することではない。すなわち、別のキャンペーンは、労働者人民の自立した組織化を提起しているのである。人民を代表して誰かが状況を変革してくれるという幻想を提起しているのではない。別のキャンペーンは、労働者人民の組織化や、行動や、闘争のみを信頼する。英雄、メシアや救世主、代表者や指導者、議員や大統領に信頼をおくことはない。大衆の行動や組織の力がなければ、指導者は、指導者ではなくなる。
 別のキャンペーンは、選挙のためのキャンペーンではない。選挙に対応して展開されるキャンペーンでもない。従って、特定の候補者を支持したり、反対したりはしない。選挙を棄権することや、サボタージュを呼びかけるものでもない。別のキャンペーンは、全く別種のものであり、選挙とは別の領域に関心や目的があるのである。
 つまり、下層にいる人々や、左翼の人々を組織化することを提案している。すなわち、反資本主義左翼の独自の政治的・社会的勢力の構築を提案しているのだ。変革を行うには選挙で十分であるとし、変革を体制の枠内に限定している政党などとはまったく異なる闘いの方法を提起する政治勢力にほかならない。そうした意味で、別のキャンペーンは、現在の選挙制度下における諸政党といった政治勢力に代わりうる勢力の構築をめざしている。それは同時に、唯一の左翼として自己提示したがってきた制度化した左翼に代わりうる勢力を構築することである。別の左翼、つまり異なった展望をもっている反資本主義左翼が存在しているのだ。

社会主義者の
統一戦線組織

 反資本主義左翼の中には、当然にも別のキャンペーンの中には、サパティスタだけではなく多様な政治組織や政治潮流が存在している。そのことについては、これまで副司令官マルコスが何度も説明している。われわれが参加している別のキャンペーンの多様な潮流の中には、PRTのように社会主義を掲げている左翼も存在している。
 別のキャンペーンの構成者全員とわれわれが共有している反資本主義の定義は、PRTにとっては、社会主義であることにほかならない。資本主義とは異なる世界という代替案は、社会主義でしかありえない。それはまったく新しい社会体制である。法制面での段階的な変革や、あるいは政権の交換で達成できるものではない。体制の根底的な変革によってはじめて達成できる。その変革は、人民や人民の掲げる要求を尊重するように権力に対して要求することではない。権力そのものの変革によって、達成できるのである。つまり、労働者人民が権力を行使できるようにすることである。
 現時点で、PRTは登録政党ではないが、選挙は棄権すべきものという原則を掲げてはいない。われわれが主張したいのは、現在の選挙―政治制度下では、下層の人々の歴史的利害を防衛し、代表する党は存在していないということである。新自由主義のいくつかの側面を批判することにとどまらない、反資本主義という解決策が存在していない。それゆえ、われわれは主張したい。新自由主義がメキシコにもたらした全国規模での社会の破壊から脱出するためには、反資本主義左翼の政治的、社会的に巨大な勢力を構築することが求められているのだということを。
 すなわち、制度的な枠組の中で左翼と自称している左翼にとって代る左翼を構築することが必要なのである。そのため、ここ数年、われわれは懸命になって社会主義左翼の再結集を模索してきた。この点に関しては、昨年、社会主義戦線(注2)を構築するまで前進できた。現在、EZLNの呼びかけによって、別のキャンペーンは、社会主義者だけではなくより広範な勢力の中に、この勢力を構築する絶好の機会を提供している。

別のキャンペ
ーンに参加を

 以上に述べた理由から、われわれは反資本主義左翼という立場のあらゆる組織や活動家に対して呼びかけたい。各々の組織を解散することではなく、共同して代替的な社会勢力を構築することを意味する統一にむけた努力のなかで、別のキャンペーンに参加してほしい。
 だが同時に、われわれは、以上の枠組みの中で、PRTと社会主義戦線を構築しながら、社会主義的、革命的な代替勢力の構築を強化していくことを呼びかけたい。われわれ社会主義者は、セクト主義を排して、ビセンテ・フォックスの構造改革のような新自由主義のいくつかの側面に反対して闘っている人々とも共闘して闘っていきたい。さらに、われわれは、システムに対する根底的な批判のプロジェクトに統一して参加している。それが別のキャンペーンである。
 人民の直接的要求の単なる集合体としての闘いではなく、EZLNが提起しているように、反資本主義という展望をもった闘争を展開する全国プログラムを構築しようとしている。こうしたあらゆる機会に、われわれは闘争の団結をめざしながら、新しい世界、社会主義の世界を構築する能力を獲得するための闘争の政治的展望についても提起していく。
 このプログラムのため、社会主義的で革命的なプログラムを持った労働者人民の独自の政党が必要とされている。選挙闘争だけの政党ではなく、労働者大衆が自らの力と、直接闘争という方法に自身をもつようにしながら、下層の人々の組織化、政治的意識化をめざす政党である。

(注1) EZLNは一九九五年以降、先住民族自治という領域での闘争に自らを限定せざるをえなかった。二〇〇五年六月二十九日に発表された第6宣言は、その彼らが新たな領域に一歩踏み出すこと決めた画期的なものといえるだろう。二〇〇六年の大統領選挙を控え、諸政党が自らを中道と規定し、新自由主義の諸政策を展開しようとしている現状に対して、反新自由主義、反資本主義を原則とする左翼の運動を、さまざまなセクターと共同してつくりあげることを提案している。詳しくは、かけはし一八八九号(2005年8月1日発行)を参照されたい。
(注2) 二〇〇五年七月に結成された社会主義者の統一戦線組織。PRTなど、二十一の組織が加盟している。


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