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大統領選におけるルラ再選が意味するもの        かけはし2006.11.20号

新自由主義政策の妥協がもたらす危機と政治基盤の分解



上位2人の決戦投票

 十月一日に大統領選候補者によるTV討論会が開かれ、そこではルラ政権下での汚職問題が取り沙汰された。大統領選の直前になってルラ側近の汚職問題が次々に暴露され、対立候補から格好の攻撃の的にされた。この結果、一方的なルラ候補の優勢とは言えない状況となり予断を許さない様相となっていた。
 その日、ブラジル大統領選の第一回投票が行われたが、ルラ(註1)は四八・六%、アルキミン(註2)は、四一・六%、左翼戦線の候補者となったエロイザ・エレナ(註3)は、六・八%という結果が出ていた。
 これを受けて上位二人の候補者による決戦投票となり、十月二十九日の決戦投票の結果、PT(労働者党)の代表候補ルラが前回に引き続き再選された(ルラ61%、アルキミン39%)。
 決戦投票前、ブラジルの財界は、アルキミンが大統領就任後に行う財政政策及び金融政策が景気拡大につながるとの判断を示す見解を明らかにし、事実上のアルキミン支持表明を行った。
 十月二十九日のブラジル大統領選の決戦投票を前にダダフォリャが行ったアンケート調査によれば、大統領ルラが五〇パーセントでアルキミンが四三パーセントという結果が出ていた。
 両候補とも新自由主義(ネオ・リベラリズム)を維持しながら経済政策を推し進める政策方針に変わりはないのだが、貧困と搾取の中、カルドーゾ政権に対抗した労働者出身のルラは、二〇〇二年の大統領選で失業対策、格差是正を訴えて大統領に就任した背景がある。
 この点では、カルドーゾ政権時代の逆行ともなりかねないアルキミンへのけん制、つまり現実的代替案(オルタナティブ)をもったルラ支持層が多く存在するのも事実である。
 例えばブラジルの女性解放運動の創始者のひとりであり、著名な作家であるロセ・マリー・マラーロさんは、メディアのインタビューに答えて様々な留保をつけながらも大統領就任後、貧困と収奪の現実に取りくんできたルラを評価し、再選への支持を表明した。

ルラ政権誕生の背景

 一九九五年に成立したカルドーゾ政権は、二〇〇二年まで継続した。この政権の特徴として、一九九〇年からの国家による開発方法である輸入代替工業化政策からの転換を行ったことであり、「社会的公正」を重視したと言われる「市場志向型の改革」を推進した。これは、一九八〇年代の他のラテンアメリカ諸国の新自由主義的経済政策をそのまま受け入れてきた経過とは違う特徴を持つものであった。
 しかし、カルドーゾ政権は、「社会的公正」を唱えるその裏で、これまでの関税障壁、つまり量的制限の撤廃に伴う資本の自由化、多くの公営企業の民営化を押し進めた。さらに一九九四年に行ったレアル・プランと呼ばれるものがあった。これは、経済安定化を柱とするインフレ抑制のための為替政策である。しかし、これまでの自由化政策とこの政策のセットこそ経済停滞と対外不均衡をもたらした。また貿易自由化に伴う輸入の増大、貿易収支の赤字への転落は、それと引き換えに安定した外資導入のための高金利政策を導いてしまった。こうした一連の動きは産業合理化を急激に押し進めることとなり、失業を増大させた。失業の増大、貧困と格差は、カルドーゾ政権交代の背景となった。
 二〇〇二年の大統領選は、四人の候補者によって争われた(註4)。その後、成立する労働者党(PT)ルラ政権は、先行したカルドーゾ政権時代の財政、国際収支の制約のなかでの再出発でもあった。
 さらにカルドーゾ政権時代からの民衆の対抗措置として次のものが重要な役割を果たしている。
 ブラジルでは協同組合が二〇〇一年末で七〇二六団体、組合員約五百万人の規模を持ち、そのうち一九九〇年代に三三四〇団体、二〇〇〇〜二〇〇一年に一三〇七団体が組織された。これは、経済の停滞、失業、国家の機能低下のなかで、人びとが協同して事業をおこし雇用を創造しようとした結果である。比率のうえでは農業、サービス部門で多いが、製造業、商業などでも数多くの協同組合が設立されている。
 ブラジル南部のポルトアレグレの縫製協同組合の例では、二十人の組合員が主に注文生産によって衣服の裁断、縫製、仕上げを行っている。縫製協同組合に対しては、ポルトアレグレ市政府が技術的な支援を行い、民間企業の財団が資金的な支援を行っている。こうした他にも流通的範疇での大資本への対抗措置としての零細商店の協同購入などを採用し、連帯経済への相互扶助がなされている。
 ルラ政権の重要な特徴は、地方に基盤を持っていることであり、農業の遺伝子組み替えに反対する立場を取っていたことで知られている。この連帯経済の成長もそうした背景がある。

連帯経済の重要性

 連帯経済のはじまりは、フランスの協同組合運動から生まれたと言われているが、ここブラジルでは、雇用創出及び雇用対策は、社会から排除されてきた底辺、周辺で組織されている下からの対抗の動きに連帯経済の出発点がある。零細中小生産者による協同組合、倒産企業の労働者による自主管理などがそれである。一九九〇年代に連帯経済は急速に普及した。ブラジルでそれが注目され広がったのは、貧困、失業、雇用に対するカルドーゾ政権時の行政が、資金と統治能力の点で対応できないという事情があった。
 ブラジル南部のリオグランデドスル州の州都ポルトアレグレは政治への住民参加という意味でも画期的都市である。一九八九年に労働者党政権で始まった住民参加による予算決定(OP)がそれである。
 予算決定では、住民が予算決定に直接参加し公共工事、サービスの支出を決定する。予算決定によって地域住民が本当に必要とする公共工事、サービスが選ばれ、限られた予算の効率的な利用が可能になる。
 これによって予算決定、支出の透明が増し汚職を防止できる。予算決定は市民の政治意識と行政への関心を高め、行政の側にも行政の目的が市民へのサービス提供にあるとの意識を生んだ。連帯経済は市場、国家の代替あるいは補完する制度のことであり、それを体現する開発のことである。
 ポルトアレグレの予算決定の例では、三十二に分割された地域ごとの住民会議、十二の分野別の会議の二つが、地域および当該分野の優先する公共支出を決定する。これらの会議には二〇〇一年まで年平均四万五千人の住民が参加した。住民会議、分野別会議の決定は、それぞれの会議で選ばれた委員、行政の代表などが構成する住民参加予算委員会(COP)によって審議される。ただし行政の代表には投票権はない。COPは市財政の収入と支出について企画、提案、監督をする。ポルトアレグレで始まったCOPはベレン、ベロオリゾンテなどブラジルの多くの都市で採用され、現在では約百七十の市町村で行われていると言われている。ルラ労働者党政権は、連邦政府を含めて、何らかの形で参加型の予算決定を導入している。

ルラ政権の4年間

 しかし一方で、ルラ政権は、他のラテンアメリカの新自由主義的経済政策にならい、新自由主義の妥協的採用によって内外の危機と分解をもたらしたことも事実である。
 二〇〇二年八月、IMF(国際通貨基金)並びに国際機関は、アルゼンチン経済危機の余波を受けたウルグアイに十五億ドル緊急融資後に、通貨レアルの減少からブラジルへ総額三百億ドルの緊急融資を発表した。これまで過去の歴史上、IMFにとって単一国の融資額としては最高額であった。
 ルラは、大統領就任中に五千二百億レアルの債務を銀行家に支払った。こうしたIMFや世銀などの国際機関に妥協的政策に批判的な労働者党(PT)内の潮流がルラ大統領に対する批判的政治分岐を作り出していた。

PT内の政治的分岐

 今回の大統領選前、労働者党(PT)ではルラ政権の評価をめぐり党内の幾つかの潮流は、党内にとどまり政策の転換を迫るのか、党を出て新たな政治潮流となるのかを迫られた。
 ポルト・アレグレの前市長で労働者党(PT)の創設メンバーであるラウル・ポントは、労働者党内に留まり、党内選挙の第二ラウンドとして新自由主義的経済政策を批判し方針の訂正を迫ることを明らかにした。
 二〇〇五年ルラ政権を批判するブラジルの多くの左翼活動家は労働者党(PT)を離れ社会主義と自由党(PSOL)に参加している。PT内に残った左翼活動家はPT指導部選挙に左翼候補を立てたが、党委員長をわずか三・二%の差で逃した。十月十三日発表された選挙第二ラウンドの公式最終結果によると、前ポルト・アレグレ市長で社会主義的民主主義潮流(第四インターナショナルブラジル支部)のメンバーである委員長候補、ラウル・ポントの得票率は四八・四%であった。
 一方、党多数派陣営の候補者であり、ルラ大統領に近いリカルド・ベルゾイニは、五一・六%の得票率。しかし投票した党員数は総計で二十二万八千百七十五人にとどまり党員総数の三〇%をわずかに超えたに過ぎなかった。
 第二ラウンドでラウル・ポントを支持した様々な左派諸潮流は今、将来の党執行部の構成を多数派陣営と交渉した。ベルゾイニは、二〇〇三年に紛糾を引き起こした年金改革をルラ政府が押し通したときの年金相であった。その彼は新たな執行部についてPT諸潮流すべてが代表されていると感じることのできる「統一を体現する執行部」を実現したいと語った。これによって、単一の声による党の支配という形と手を切り、二〇〇六年におけるルラ再選に向けてPTを準備した。

PTの分岐と第3勢力候補

 PT(ブラジル労働者党)に留まり内部批判と代表選による改革を推し進めるラウル・ポントのような立場と、ルラ政権を批判するブラジルの多くの左翼活動家は、二〇〇五年にPTを離れPSOL(社会主義と自由党)に参加した。そこには、国会議員や州議員がいるが、新自由主義的経済政策に対抗する政策を大衆的圧力で押し返す新たな勢力としての動きがあった。それが、左翼戦線の創設であった。
 先の二つの勢力の選択肢に替わりうる第三の勢力としてPSOL(社会主義と自由党)、PSTU(統一労働者社会主義党)、PCB(ブラジル共産党)のアピールによって創設された左翼戦線の宣言をもとにエロイザ・エレナを共同の候補者とした。
 これは、両候補の新自由主義(ネオ・リベラリズム)の政策に対抗する目的で新たな現実的代替案(オルタナティブ)を民衆に提示したが、残念ながらエロイザ・エレナは、第一回大統領選投票の結果、六・八%という結果であった。
 二〇〇三年から大統領に就任したルラの政権は、先行したカルドーゾ政権交代の背景があり、さらにルラを押し上げた勢力の現在の分岐が今後、どのような展開になるのかを注視する必要がある。内部の批判が強まる一方、左翼戦線のように苦しい闘いになることを覚悟で袂をわかった勢力が、ブラジルで近年行われてきた連帯経済の延長上に、雇用創出及び雇用対策、社会から排除されてきた底辺、周辺で組織されている下からの対抗の動きや零細中小生産者による協同組合、倒産企業の労働者による自主管理など民衆の利益を打ち固めていくことが問われている。それとともに彼らがルラ政権に替わりうる政治勢力に成長し、PT(労働者党)内部の批判勢力及び潮流との連携と統一行動が今後どのようになるかが、ブラジル政治情勢の重要な鍵になることは間違いない。
 他方、ブラジルの財界、金融界および外国投資家と結びついた右翼連合アルキミンの政治的影響力の拡大は、ブラジル大統領選の第一回投票の四一・六%という得票率が物語るように著しい伸張を示している。
 さらに外国からの投資動向もここで見ておく必要がある。特に日本企業の直接投資は、一九七〇年代第三位から十位に下がったが、しかし近年、中国の中南米諸国との経済的濃密さが増すにつれ、それに対抗する石油関連の直接投資を皮切りに新ためて投資先としての比重を強めている。
 十一月五日付日本経済新聞によるとブラジル大統領選ルラ再選直後に新日本製鉄が鉄鋼最大手ウジミナスに出資するとの発表があった。ウジミナスは世界レベルの高級鋼板材メーカーとして日本を初め世界の自動車各社に提供している。今後、こうした直接及び間接投資が増加するだろうし、ますます新自由主義的経済政策に妥協した政策を採用することは内外の危機と分解をルラ政権に、もたらすことになるだろう。
(浜本清志)

(註1)PT(ブラジル労働者党・一九八二年創設)の候補で、二〇〇二年から大統領に就任したルイス・イナシオ・ルラ・ダシルバ候補。
(註2)アルキミンは、前サンパウロ州知事であり、PSDP(ブラジル社会民主党)の代表候補であり、この大統領選挙中にPFL(自由戦線党)はこの連合から離脱するものの、それまでアルキミンは、両党の右翼連合の代表候補であった。因みにPFL(自由戦線党)は、カルドーソ政権下で与党の一翼を担っていた。
(註3)先の二つの勢力の選択肢に替わりうる第三の勢力としてPSOL(社会主義と自由党)、PSTU(統一労働者社会主義党)、PCB(ブラジル共産党)のアピールによって創設された左翼戦線の宣言をもとにエロイザ・エレナを共同の候補者とした。これは、両者の候補の新自由主義(ネオ・リベラリズム)の政策に対抗する目的で新たな現実的代替案(オルタナティブ)を民衆に提示した。左翼戦線の主張は、本誌十月九日号で紹介している。
(註4)PT(労働者党)ルラ。PSDP(ブラジル社会民主党)ホセ・セーラ。PPS(国民社会党)シーロ・ゴメス。PSB(ブラジル社会党)アントニオ・ガローニョの四候補。


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