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米国のイラクでの経験を思い出させる今回のレバノン侵攻  かけはし2006.10.2号

再度の戦争準備を絶対に許すな

ミシェル・ワルシャウスキー


 今朝(九月十三日)のイスラエルの新聞のトップ記事は、イスラエルのエフド・オルメルト首相が、イスラエルのレバノンでの戦争を、政治的・軍事的なあらゆる側面から評価するために、上級判事を責任者に据えた事実調査委員会の形成に同意した、と発表している。この委員会は、首相と軍が先に創設した非独立的な調査委員会に代わるものである。
 しかしそれは、イスラエルの多数派や多くの古参政治家たちが、一九七三年戦争の後や、一九八二年のサブラ、シャティーラの虐殺後に作られたような、司法的権力を持つ全国的な独立調査委員会を求めているというわけでは、まだない。先週、レバノンで戦闘に参加した予備役兵士や士官を先頭にした六万人の市民たちが、こうした要求をはっきりと提起した。このような委員会が作られるかもしれないと期待することができる。

何度となく変更
された戦争目的

 もし、レバノンでのイスラエル軍の攻撃が哀れにも失敗したことに今なお疑いを持つ人がいるならば、首相の決定は本当のことを理解させるものとなるだろう。三十三日間に及ぶ軍事力の途方もない行使は、大規模な破壊と恐るべき虐殺を除けばなにものももたらさなかった。「ハアレツ」紙の論説は、イスラエルの攻撃の失敗についていささかのあいまいさもない。
 「誤りの余地はない。首相とイスラエル国防軍の将軍たちの、最終段階ではうまくいくことを見込んだ企てにもかかわらず、この戦争は中東地域や世界だけではなく、イスラエルの人びとにとっても、広範囲に及ぶ否定的な意味を持った苦痛に満ちた敗北として認識されている……」(1)。
 政治的であるとともに軍事的なイニシアティブは、通常はその当初の目的にしたがって評価されるものである。われわれが直面する第一の問題は、明確に定義された目標が欠けていたこと、より正確に言えば、語られる戦争の目的が何回も変更されたことであった。最初に発表された目的は、ヒズボラに捕まったイスラエルの戦争捕虜を釈放することだった。イスラエルの攻撃が始まって数日たってから、オルメルト首相は、戦争の目的はまさしくヒズボラを根絶することだと発表した。イスラエルの高官が提示した方法は、軍の高級幹部の偏狭と、彼ら自身のものをふくむ歴史から学ぶ能力のなさによって特徴づけられる。
 「レバノン政府と人民に教訓を与える」ことを目的としたレバノンに対する大規模な恐怖作戦は、ヒズボラにレバノン領土で活動を展開させていることへの代価であった。レバノンでの無差別な破壊と殺戮(ベイルート空港、百以上の橋、発電所などをふくむ)の結果は、キリスト教徒の住民をふくむレバノン民衆の間に、大衆的な親ヒズボラ感情を作りだした。
 ヒズボラへの共感の拡大と、幾百ものロケットでイスラエルの中心部を直撃する彼らの驚異的な能力に遭遇して、発表された戦争の目的は「イスラエル領土にロケットを届かせるヒズボラの能力を破壊する」ことに切り縮められた。ヒズボラへの圧倒的な空爆の二週間後、イスラエルを直撃し、北部のすべての地域に被害を与えたロケットの数は、以前よりも増加した!それはもう一つの失敗だった。最後に現在、戦争の目的は再び拡大された。それはイスラエルの抑止力と、地域の軍事大国というイメージを回復することである。
 しかしこの目的も達成されなかった。「ハアレツ」紙のアラブ専門家であるズウィ・バレルは次のように述べている。
 「家が破壊され、近所の子どもたちやその両親たちが数百人も殺され、学校の新学年が間に合って始まるチャンスがほとんどないような時に、レバノンの誰がなぜ思い止まるように説得されるだろうか。今や彼は確信している。戦争はヒズボラのみに対するものではなく、レバノンに対するものであり、彼自身に対するものである。彼がキリスト教徒であろうと、ドルーズ派であろうと、シーア派であろうとだ」。(2)
 バレルはこの文章の中で、イスラエルの指導者に対してパレスチナの経験から何事かを学ぼうとつとめるよう提案している。
 「この定式を理解しない誰もが自らに問うことができる。……この三週間で百五十人もが殺されたのに、彼らはなぜカッサムの発射を、ロケットの発射を試みるのか。自らの力を自らが使用できる鋼鉄の量によって計算するイスラエル国防軍の論理は、なぜ彼らに対しては通用しないのか、と……」。
 イスラエル軍が、一つの目的すら達成できなかったという事実、そして一カ月経ってもヒズボラがなおイスラエルに対して何百ものロケットを発射できるという事実は、イスラエルの中で国家的惨劇として認識されている。
 ヨエル・マークスは問うている。「われわれが勝利したと考える人はいるのだろうか。ヒズボラを一掃し、イスラエルのロケットの脅威を終わらせるという戦争開始にあたってのエフド・オルメルトの約束が履行されたと誰が信じるのか」(3)。

中東での米国の
戦争パートナー

 しかし、軍の高官、イスラエルのほとんどの指導層、イスラエルの多くのコメンテーターが引き出した結論は、依然として攻撃を強化すること、もっと多くの予備役部隊を動員すること、レバノンに侵攻し、占領しようとすることだった。「ハアレツ」紙のコメンテーターであるこのヨエル・マークス「閣下」は、彼の文章でイスラエルの攻撃の完全な失敗を結論づけるとともに以下のアピールを付している。
 「闘いがレバノンに関するものではないことは今や明白である。われわれは地域的組織と衝突しているのではなく、イランやシリア、アルカイーダ、そして『ツイン・タワー』の倒壊で始まった道に従っている者たちと連携し、彼らの代わりに闘っている武装集団と衝突しているのだ。イスラエルはキルヤト・シモネ、ヘデラ、そしてテルアビブを防衛しているだけではない。イスラエルは、その意思に反して、ブッシュが世界のこの地域における『悪の枢軸』と命名したイスラム原理主義に対する戦争のパートナーとなった。……結論は、一息入れて、われわれの国境における民間軍事組織としてのヒズボラを無力化させることができるようになるまで、空と地上からわれわれの全力を振り絞って戦闘を主導することである。われわれは、小さなサタンでさえ歯を持っていることを示すために、勝者の側になった時にこそ停戦を実現しなければならない……」(4)。
 結局、さらなる破壊と殺戮――国際組織によれば、爆弾の八〇%以上は戦闘の最後の一週間に投下された――が行われ、イスラエル軍にもさらに多くの死傷者が出た後に、オルメルトは、停戦ではなく「敵対行為の中止」を呼びかけた国連安保理決議を受け入れることを余儀なくされた。イスラエル軍は依然としてレバノンで行動しているが、それはまさしく敗北を被った軍である。
 パレスチナの被占領地域でのデモにおいて、あるいは市民に対するイスラエル軍の大規模な暴力の行使や残虐行為に対して、しばしばわれわれは彼らに次のように語っている。
 「偉大なヒーローたちよ! 諸君の戦争は非武装の女性や子どもたちに対するものだ。そして諸君は、それをあえて『衝突』や『戦闘』とさえ呼んでいる。諸君がいう強い戦争とは、無力な市民に対するものだ。しかし諸君が真の戦士たちに立ち向かった時、諸君はどのように戦うかを知らないし、諸君は死ぬことになるか、ウサギのように逃走することになるだろう」。
 そして実際、イスラエル兵は、訓練を積み、戦意の高い戦士たちとの戦争を経験し、自分たちが完全に役に立たないことが立証されている。ヒズボラの戦士たちの死傷者の数の相対的な少なさに比べるとイスラエル兵士の死傷者数は多い。そしてもし、イスラエルが確かに圧倒的優位を持っている空からだけではなく、シリアを攻撃することになれば、その死傷者がどれほどのものになるかを問うべきである。
 明らかにイスラエルの経験は、米国のイラクでの経験を思い起こさせている。その強力な軍隊は、しかし余りにも強力で、余りにも自信に満ち、余りにも傲慢で、有効に戦うためには増長しすぎていために、彼らが期待していたようにはその自ら手にした巨大な戦闘手段を見せつけることができなかったのである。
 今や、イスラエルの政治・軍事体制は分裂している。一方には、彼らが依然として抑止力を持ち、グローバルな終わりのない先制的戦争においてイスラエル国軍に割り当てられた役割を果たすことができることを世界に対して、そして米国のネオコン指導部に対して示すために、即時の報復を望んでいる人びとがいる。
 他方には、勝利するためにはまず初めに軍の再組織化が必要だと確信している人びとがいる。いかにして、そしてどういう人びとが「本当にものごとをなしとげることができる」能力と機会を持っているのかを示す要求は非常に強い。そしてイスラエルの混乱に秩序をもたらす要求もまた強い。
 ここ数カ月のうちに、われわれはいずれの潮流が勝利するかを知ることになるだろう。それは、他の要因とともに、さまざまな事実調査・尋問委員会の結論にも依存している。しかしいずれの場合にも、第二ラウンドがやって来るだろう。それが、世界の再植民地化のためのグローバルな終わりのない戦争と、米国の完全な覇権の下での「偉大な中東」の確立という、ネオコン戦略の側からのみによる場合であったとしてもである。そしてわれわれもまた、この次のラウンドのために準備を進めるだろう。
(ミシェル・ワルシャウスキーはジャーナリスト、著述業で、イスラエルのオルタナティブ情報センター〔AIC〕設立者)

(1)「ハアレツ」社説 06年8月8日
(2)「ハアレツ」06年8月6日
(3)「ハアレツ」社説 06年8月8日
(4) 同右
(「インターナショナルビューポイント」電子版06年9月号)


軍によるタイ政府の乗っ取りを許さない
人民の基本的権利の即時回復を

クーデターに対するフォーカス・オン・ザ・グローバル・サウスの声明

 九月十九日、タイで軍部によるクーデターが起った。この時タクシン首相は国連総会に出席するためにニューヨークに滞在しており、テレビを通じて非常事態宣言を発表したが、首相を支持する運動は広がらず、バンコクのテレビ局をはじめ主要なビルや機関は軍によって制圧された。軍は、政党活動の自由や集会、デモなど民主主義的権利を禁圧している。ここに掲載したのはバンコクに本部を置く国際NGOフォーカス・オン・ザ・グローバル・サウスの軍部によるクーデターを批判する緊急声明である。

 フォーカス・オン・ザ・グローバル・サウスは、軍によるタイ政府の乗っ取りを、タイの民主化過程におこった最も残念な後退であると考える。
 この乗っ取りの合理化理由、すなわちタイ社会はタイの歴史においてかつてなかったほど分裂しており、暴力の脅威は平和と安全を維持する何らかの措置を要求しているという説明は、今日の政治、社会状況を正確に言い当てているものかもしれない。疑いもなく、タクシン・シンワトラ政権の腐敗と傲慢は、民主主義と憲法を掘り崩してしまい、そのため人びとはこの体制の合法性に挑戦するようになっていた。しかしながら、民主改革評議会を自称する将校集団による権力の簒奪、ならびに権利と自由の蹂躙は、いかなる意味でも正当化することはできない。事実、クーデターに先立って、憲法の枠内での民主的参加によってこの政治危機を解決しようとする試みがすでに進行していたのである。こうした努力は軍の介入によってご破算になった。
 参加民主主義の誠実な主唱者として、われわれは一九九七年憲法の尊重を要求する。この憲法は、社会の全階層の広範な協議のプロセスから生まれたものであり、人民の憲法と呼ばれるにふさわしい唯一の憲法である。したがってわれわれは、大多数のタイ民衆とともに、民主的権利が直ちに完全にタイ民衆に返還され、情報の自由、表現の自由、結社の自由にたいする人民の基本的権利が即時回復されることを要求するものである。
(ピープルズ・プラン研究所の武藤一羊さんの仮訳による)


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