四月二十八日、「成田空港の暫定滑走路の使用の中止を訴える運動」が「成田空港暫定滑走路の騒音実感体験バスツアー、三里塚の今をこの眼で確かめてみませんか」と呼びかけた第二回目の成田体験バスツアーがあったので参加した。
三里塚闘争に参加したが遠ざかっていた人や初めて参加するという学生、ワンパック野菜をとっている人、高木学校に参加している人など四十人ほどが参加した。参加者は「住民の反対を押しきって暫定開港した空港を、ぜひ目と耳で確かめたい。三里塚とつながっていたい」と思いを自己紹介の中で語った。
頭上40メートルの騒音を実体験
最初に、東峰神社に行った。そこで、さっそく暫定滑走路に進入してくる飛行機に遭遇した。飛行機はぐんぐん近づいてくる。「ドドードー」という地響きとともに真上を通過した。「こりゃたまらない!」これが毎日何十回と通過すると思うとゾッとした。らっきょう工場の平野さんがツアーの案内をしてくれた。平野さんは、「空港公団が東峰部落の共有の財産である神社の土地を部落の意志を踏みにじり、不当に奪っていった経過を語った。そして昨年六月十六日、空港公団による不法な立木伐採に対して、四月九日、東峰区民全員が空港公団を千葉地裁に、「@土地所有名義を村に戻すことA原状復帰のため樹木植栽B新聞への謝罪公告を要求して提訴して闘っている」と説明した。
東峰出荷場脇の広場に移動した。昼食のために、石井紀子さんが竹の子の煮物、かぶのおしんこ、らっきょうを差し入れくれた。石井さんは暫定滑走路共用開始後の状況を説明し、「騒音がひどいがなんとか頑張れそうだ。顔が見える交流がうれしい、元気づけられる」と語った(別掲)。
島村昭治さんとらっきょう工場
食事後、大木よねさんら五人が眠る東峰の共同墓地、ワンパックの鶏舎・堆肥場の見学の後、ちょうど支援者とともによもぎもち祭りが行われていた島村昭治さん宅を訪問した。
次男の豊さんが「みなさん、ごくろうさんです。私といっしょに兄も農業やっている。今後どうなるかということはあるが、普通に生活することに変わりない。現場を知ってもらって考えてもらいたい。一昨年から、豚を飼いはじめている。私は三里塚の土に生きる」と少し照れながらも若者らしく元気よくあいさつした。真上を飛行機が飛んでいる写真を見せてもらった。頭上数メートルと思うような屋根の上を巨大な飛行機が飛んでいる所が写っていた。豊さんのこの地に生きるという決意をうれしく聞いたが何としても早くこんなひどい状態をやめさせなければと強く思った。
らっきょう工場に移動して、平野さんから、らっきょう工場の歴史と現状を聞いた。平野さんは「七二年から三里塚では複合汚染が問題になっている時、有機農法を始めたがこれは全国のさきがけだった。らっきょう工場をやりはじめて二十五年になるが、最初の十年はたいへんだった。その後、生協や大地を守る会などで販路が広がり順調にきた。塩だけで漬けるこの地のやり方でやっているが評判は良い。東峰の住民とともにがんばっていきたい」と語った。
石井さん一家のハウスや畑のなかで
この後、東峰の石井武さん宅に行った。恒司さん、紀子さんがハウスや畑を案内してくれた。ハウスには酒米、にがうり、なす、きゅうり、ズッキーニ、ハーブなどの苗、畑ではキャベツ、ウドなど数種類の野菜が栽培されていた。石井さん一家は戦後入植・開拓して、一町歩を超える畑を整備した。さぞかし大変であったろうと思った。それにしても、こんなにたくさんの種類の野菜を育てることができるなんて、恒司さんや紀子さんなど農業を営む人は魔法使いのようだと感心した。
石井武さんは病気を押して三里塚の闘いの歴史を語ってくれた。石井さんのお宅で作ったウドをいただき、次の横堀に移動した。横堀では熱田一さん、テルさんから横堀の様子を聞いた。ちょうどその時、頭上を飛行機が爆音をまき散らしながら、飛び去って行った。この後、木の根ペンションに行き、空港の全景を見た。最後に岩山の航空博物館でジャンボジェット機の騒音を実体験した。田んぼくらぶやバスツアーなど、さまざまな人が東峰をはじめ、三里塚の農民たちと日常的にどうつながっていくか、紀子さんの「顔の見える交流はうれしい」という言葉をかみしめながら、「空港より緑の大地を」の必要性を実感したツアーであった。 (M)
石井紀子さんの発言から
「顔の見える交流がうれしい」
開港で心配だったのは養鶏だ。鶏は爆音には慣れるのか、それほどでもないが「爆風と飛行機の影、振動」を怖がる。いまは普通に卵を生んでいる。何が降ってきているか分からないのが心配だ。窒素化合物などについて観察している。人工的怪鳥が飛んでいる。飛んでいる時はすごい。五分おきぐらいに頭上を飛ぶと考えていたが北へも飛んでいるので、そんなに頻繁ではない。暮していけるかどうかと思っていたがなんとかやっていけるという感じだ。
それでも夕方四時から五時、朝とたて続けに下りてくる。ちょうどその時、宅急便がきたり電話で話をしようとすると爆音でできない。仕事にさしつかえている。なんとか長期戦でやってゆきたい。空港公団は「休憩所を作ったから使ってくれ」と言ってきているが、それは窓も水もなく防火用水のような作りになっている。自分で自分の身を守るしかないと思っている。
夜間は十一時半まで、早朝六時台から運行されている。運行を減らすように申し入れしようと考えている。東峰神社裁判を四月に提訴した。東峰区の住民がまとまって歩きだした。やられっぱなしではない。展望もあるということでやっている。何度も来てくれて、顔が見える交流がうれしい。元気づけられる。(発言要旨・文責編集部)
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