第四インター第15回世界大会の成果と日本における挑戦課題(1) |
今年二月に開催された第四インターナショナルの第十五回世界大会については、すでに本紙上でフランソワ・ベルカマンの総括的文書(本紙03年6月9日号)や各議案の討論の概要(6月16日号〜6月30日号)
が紹介されている。世界大会決定報告集についても、刊行の予定である。ここでは簡潔に今回の世界大会の特徴について述べ、合わせて日本の第四インターナショナル派としての主体的な挑戦に引きつけて、幾つかの課題について提起することにしたい。
運動と組織の世界的な前進
世界大会には地球上のすべての大陸・地域にわたる四十カ国から、二百人以上の代議員、オブザーバー、ゲストが参加して、きわめて集中的な討論が展開された。参加者の気分は攻勢的で確信にあふれたものであった。それは、前大会以後の八年間にわたる試行錯誤をふくめた経験の中で、第四インターナショナルの同志たちが果たしてきた重要な役割と運動的・組織的前進を反映したものであることは間違いない。
第四インターナショナルに結集する各国組織のメンバー数はトータルで、前回の大会に比較してほぼ倍増した。それは第四インターナショナルの運動と組織の中心であるヨーロッパとラテンアメリカで、拠点としての位置を占めているフランス(LCR〔革命的共産主義者同盟〕)とブラジル(PT内DS〔社会主義的民主主義潮流〕)が、それぞれ二倍から三倍の拡大を達成したことに表現されている。さらに今回の世界大会で正式に支部として承認されたフィリピンのRPM―M(ミンダナオ革命的労働者党)が、フランス、ブラジルに次ぐ規模の組織となりアジアでの第四インターナショナルにとって重要な前進の手がかりになったことにも支えられている。
大会出席者の女性比率は約三割で、年齢構成の点では全体としてバランスのとれたものであった。とりわけ元毛沢東派の組織や共産党から離脱したグループとともに左翼ブロックを結成して国会にも議員を送り込んでいるポルトガル支部(PSR〔革命的社会主義党〕)は、組織全体の平均年齢が三十歳以下と、青年層の獲得に大きな成功を収めており、イタリアからも二十代の若い女性同志が指導部として活発な発言を行っていた。
しかしその一方で、総体としての第四インターナショナルの前進は、当然のことながら各国レベルでは不均等性をふくんだものであり、組織人員を減らした諸国も少なくはない。これは、一九九五年に開催された前回の世界大会から今回まで八年間にわたって大会が開催できなかったインターナショナルとしての独自の指導機関の弱さとも関係している。そのことは、八十歳となる現在もかくしゃくとして第一線で活躍しているリビオ・マイタン(彼は、第四インターナショナル派を代表してイタリア共産主義再建党の全国指導部の一員となっている)が開会あいさつの中で強調していたことであった。
主体の危機克服への大長征
一九九五年の第四インターナショナル第十四回大会(その報告集は『社会主義へ、いま』として新時代社から刊行されている)は、ソ連・東欧のスターリニスト官僚体制の崩壊、湾岸戦争を通じたアメリカ帝国主義の一極的軍事覇権、そして新自由主義的な規制緩和・民営化・失業と雇用の不安定化の攻撃が拡大し、社会主義への信頼性が大きく損なわれ、労働組合運動が大きく後退し、全体としての階級的力関係が労働者の側にとってきわめて不利に傾く情勢の中で開催された。
第二次大戦後の先進資本主義国において共通のものとなっていたフォーディズム的階級統合を通じた「福祉国家」体制は、解体攻撃にさらされた。スターリニズムが解体的状況(これ自身について言えば、労働者の階級的意識にとって積極的側面を持っていたことは間違いないが)に陥り、社会民主主義が新自由主義的グローバリゼーションを受け入れ「社会自由主義」へと急速に転化しただけではなく、スターリニズムや社会民主主義の左側で革命的潮流を目指していた諸組織も、階級闘争的原則を急速に放棄するにいたった。
第十四回世界大会は、こうした変化と後退を単に一時的・局面的なものとしてではなく、今日のグローバル資本主義が作りだした構造的なものとしてとらえ、それに立ち向かうためには旧来の延長線上にではなく、一九世紀末から二〇世紀初頭の労働者運動が直面したと同様の綱領的な再把握・再検討が必要であると強調した。
「さしあたって世界規模における主要な傾向は、社会的運動の弱まりである。……伝統的諸政党に対する不信から利益を引きだすのは一般にポピュリズムの組織であり、しばしば極右政党である。前回の世界大会の時点と比較して、革命的左翼はほぼ全面的にバラバラになり、弱体化している。……われわれはかなり困難になった状況のもとで革命的展望とインターナショナルのために闘わなければならない」(14回世界大会決議「新しい世界情勢が提起する挑戦課題」)。
同決議はまた「われわれが投げ込まれているのは通常の上昇と下降の局面的交代ではない……。ひとつの枠組みが終焉し、資本の再編成と結びついている変化が新しい諸問題を提起している。グローバリゼーションというテーマがイデオロギー的に利用されているとしても……グローバリゼーションはやはりひとつの現実である。それは社会的転換、そして政治的亀裂、そして国家の不安定化の力学を決定している」と述べた。そして新たな革命の構想については「おそらく新たに復活する社会的運動が、誰も前もって予想できない回答をもたらすだろう」と提起したのである。
この階級闘争の「底」の局面からの脱出は、世界大会から半年後のフランスの公共部門労働者の大規模なストライキ闘争を軸にした新たな社会運動の再生から、そのきざしが実感されはじめた。そして一九九九年末のシアトルでWTO閣僚会議を破綻に追い込んだ闘いを転換点にした反グローバリゼーション運動の急速な発展と世界社会フォーラム(WSF)運動の成長、そして「9・11」を契機にブッシュ米政権が解き放った「グローバル戦争」との闘い、とりわけイラク侵略戦争に対する空前の国際的反戦運動の発展の中で、より強力な潮流へと成長したことを、もはやだれも否定できない。
一九九五年の十四回大会と今年の十五回大会をへだてる八年間の変化は、世界大会の決議が強調することであった。ベルカマンが世界大会の総括文書(本紙6月9日号)で、決議文書から引用して述べているように「一九九〇年代の終わりは、世界政治情勢の転換点である。新しい局面が開かれ、労働運動と社会運動の活動、綱領、組織の根元的な復活が日程に上っている」状況が作りだされた。この変化はまた、F・オリビエが世界政治情勢討論の冒頭で力を込めて訴えたことであった(本紙6月16日号)。
そしてさらに重要なことは、こうした社会運動の新たな登場と再編を作りだす闘いの中心にほぼ例外なく第四インターナショナルの同志たちが立っていたということである。十四回世界大会で第四インターが強調した「主体の危機と状況の困難さ」の強烈な自覚こそ、同志たちが全力で局面打開のイニシアティブを発揮することのできた前提条件であった。
反失業ヨーロッパ行進の成功と欧州議会選挙・大統領選挙での躍進を作りだしたフランスの同志たちの闘い、そしてヨーロッパ社会フォーラムを基盤にした数百万人の規模での反グローバリゼーション運動と反戦運動の大衆的な結合はその端的な証である。さらに二〇〇一年からポルトアレグレで開催された「世界社会フォーラム」の成功と「もう一つの世界は可能だ」を合言葉とした新しい運動の成長は、ポルトアレグレを拠点として「参加型予算」などの実践を積み重ね、ルラPT(労働者党)政権誕生の重要な推進力となったブラジルの同志たちの闘いをぬきに語ることはできないのである。
反資本主義左翼結集の試み
この闘いは、スターリニズムの事実上の崩壊と社会民主主義的実践への移行、社会民主主義諸政党の新自由主義の推進者への転落に抗した、ラディカルな反資本主義左翼を作りだす組織的再編・再結集のための非セクト的実践をぬきにしては不可能であった。第四インターナショナルは、トロツキズムのセクト主義的宣伝集団として自らの「陣地」に立てこもる態度を絶対に取らなかった。それは一九九〇年代初頭の最も困難な時期においても決して例外ではなかった。そして今日、反グローバリゼーション運動の急速な発展と社会的抵抗運動の各国レベル、地域レベル、そして国際的な連携の拡大の中で、新しいラディカル左派の結集に向けたアプローチが具体的に結実しつつある。
こうした挑戦は、一九八〇年代の後半からすでに模索されていたことであった。ドイツやスペインでの旧毛沢東主義組織との統合に向けた試みは、その現れであった。しかし、それは多くの場合、失敗に終わり、これら諸国の第四インターナショナル支部内の深刻な対立と分裂をもたらす要因となった。
これと対比した時、今日の欧州規模での反資本主義左翼結成のための試みは、全く新たな基盤で始まっている。イタリアの反戦運動、反グローバリゼーション運動の圧倒的な中軸である共産主義再建党の中では、左翼民主党に移行した旧イタリア共産党(PCI)主流派に反対した頑迷「保守派」の影響力は完全に失われ、約十万人の党員構成から見てもPCI経験を持たないラディカルな新世代が中心である。
国会議員を擁するデンマークの「赤と緑の同盟」やポルトガルの左翼ブロック以外にも、イギリスでは労働党の左に位置する左翼の最大組織であるトニー・クリフ派トロツキスト(ソ連=国家資本主義論者であるトニー・クリフは数年前に死去したが)の社会主義労働者党(SWP)が、その党派主義的実践の転換を開始し、彼らの国際組織であるIST(国際社会主義潮流)とともに、「革命的左翼の再結集」へ向けた共同の討論と実践の場に踏み込んだ。イギリス(イングランド地方)の社会主義連盟(SA)やスコットランド社会党(SSP。同党は元々ミリタント派トロツキストが中心だったが、ミリタント派のセクト主義と決別し、スコットランドのSWPなどをもふくめた多元的左翼組織として再出発した)の前進はその現れである。
今回の世界大会にも初めて社会主義労働者党(SWP)の理論的リーダーの一人として著名なアレックス・カリニコスやスコットランド社会党の代表が出席して、討論に参加した。
もちろんこうした反資本主義左翼の再結集の努力は、現在のところ決して安定的な流れということはできず、今後幾つかの紆余曲折も予測できる。しかしその可能性を最大限にどう生かしていくかが、第四インターナショナルにとっての核心的テーマであることは間違いない。(つづく)(平井純一)
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